第280回:岩殿城(武田氏の滅亡に関わったことで知られる城)の詳細

第280回:岩殿城(武田氏の滅亡に関わったことで知られる城)
こにるのお城訪問記
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記事タイトル 第280回:岩殿城(武田氏の滅亡に関わったことで知られる城)
概要

訪問日:2016年8月岩殿城(いわどのじょう)は山梨県大月市にあったお城です。昔は岩殿山城と呼ばれることの方が一般的であったような気がしますが,県史跡に指定されている名称に従っています。築城時期,築城者など正確なことは不明ですが,一般的には戦国時代を通じて甲斐東部である郡内地方を…… more 収めた小山田氏の城として知られます。小山田氏は元々は桓武平氏の流れをくむ独立勢力ですが武田氏と婚姻関係を重ね重要な旗下として活躍していくことになります。中でも常に武田軍の先陣を切った小山田信茂は,1582年 織田軍に追い詰められた武田勝頼をこの岩殿城に迎えるとしながら裏切ったという,印象的な逸話で知られます。織田軍に降伏後の信茂ははあっさりと処刑され小山田氏は滅亡してしまうわけですが,元々は独立勢力であった小山田氏が生き残りをかけた対応をしただけであり裏切りに当たらないとの考え方もあります。また,そもそもこの話自体に疑義を抱く歴史家も多く,非常に優れた戦国武将であったという見方も存在します。岩殿城自体が武田氏直轄の城であったとする説もあったりと謎が多いのですが,甲陽軍鑑では岩櫃城,久能城とともに関東三名城として挙げられる名城でもあり,甲斐東部の主要城郭であったことは間違いなさそうです。  【左】岩がゴツゴツと露出した奇怪な山容の岩殿山に岩殿城は築かれました。【右】登山口より少し離れた場所にある観光駐車場に車を置きます。山頂付近に曲輪が配置されているのですが,案内板によって曲輪の名称が異なるので混乱します。現在の登山ルートは現代に整備された登山道で,本来の大手筋はもっと西側から登山道に合流する形です。また,さらに西側の兜石,稚児落しに至るルートは険しく,落城の際 小山田信茂の側室であった千鳥姫,赤ん坊であった万生丸と信茂の次男 小山田賢一郎が小幡太郎の護衛の下脱出した道との伝承があります。脱出の途中で万生丸が泣き出したため賢一郎の命を守るために小幡太郎が万生丸を投げ落とした場所が稚児落しだとか。今回は行けませんでしたが城好きにも良く知られる難所です  【左】国道139号線からの登山道入り口です。【右】少し登ると丸山公園として整備された場所があります。  【左】丸山公園にあるふれあいの館。小山田氏関連の展示があります。【右】ふれあいの館のそばにある、展望台の土壇は どうやら山麓に築かれた城郭遺構を活用したもののようです。櫓台でもあったのでしょうか。  【左】見上げると岩肌が大きく露出している様子がわかります。【右】さて登ります。クマ,イノシシ注意。  【左】岩山を無理やり登っていきますのでかなり急な階段が延々と続きます。【右】主要な関門の一つ揚城戸跡です。自然岩の隙間をうまく利用しているようです。  【左】岩に挟まれた間をくぐります。中々の圧迫感。【右】揚城戸跡を抜けるとあるスペースは番所跡です。この横を屈曲しながら山上の曲輪に入ります。  【左】まずは西端の細長い曲輪。【右】曲輪の先に西側の物見の役目を果たしたと伝わる大岩があったようですが,崩落の危険性のため人工的に破壊したそうです。  【左】大岩撤去に関する説明版。【右】引き返して中心部に向かうと馬屋と呼ばれる場所があり,その奥は広大な馬場。鏡岩の上部にあたる一段上の曲輪に上ることができます。  【左】上の曲輪に上ってみます。【右】乃木希典将軍の歌碑がありました。戦術研究のために登ったそうですが,あまりの険しさに驚いて歌を読んだとか。  【左】奥に富士山も見える絶景ポイントです。【右】下に降りて奥に進むのですが,場内最大の曲輪である馬場が広がっています。  【左】馬場から少し南に下りると二つの用水池があります。左が馬冷やし池、右が亀が池です。【右】岩山にも関わらず,水には困らなかったようで,これも難攻不落と城の必須条件です。  【左】もとに戻りさらに東奥に進んでいきます。蔵屋敷などの曲輪を経ながら高度を上げます。【右】さらに急勾配を登ります。  【左】本丸や本城と呼ばれる曲輪が見えてきました。虎口は改変を受けて判然としないものの,左に屈曲して入っていくように見えます。【右】虎口を守ったであろう小曲輪もあります。  【左】何と本丸は電波塔に占拠されています。最高所ではありますが,面積は馬場程の広さはありません。狼煙台として使用されたとも考えられています。【右】本丸の背後は二本の堀切で遮断されています。これが一本目。  【左】二本目の堀切。【右】おまけで近くの名所 猿橋です。橋脚の無い独特の構造は二本三奇橋の一つに数えらることもあります。戦国の雄 武田氏滅亡の最終局面で知られる小山田信茂の裏切りより一気に名前を知られることになった岩殿城ですが,真偽はさておき最後に敵を迎え撃つにはなるほど納得の険しさです。個人的には敗者の歴史は勝者により塗り替えられたものであると思っており,武田軍の主力を担い続けた小山田信茂は名将の類に違いないと考えるのです。裏切り者のレッテルを貼られ続けた明智光秀や関ヶ原の敗者として長らくイメージの良くなかった石田三成のように,研究が進み解釈も多様化するにつれてイメージも変わってくることに期待するのです。大きな地図で表示 お城巡り ブログランキングへ にほんブログ村FC2 Blog Ranking close

第280回:岩殿城(武田氏の滅亡に関わったことで知られる城)
サイト名 こにるのお城訪問記
タグ 山梨県の城郭
投稿日時 2018-03-10 15:00:01

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