月山富田城にゆく 其の壱:太鼓壇から花ノ壇への詳細

月山富田城にゆく  其の壱:太鼓壇から花ノ壇へ
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記事タイトル 月山富田城にゆく 其の壱:太鼓壇から花ノ壇へ
概要

島根県安来市にあります月山富田城址です。     当ブログ93城目となります月山富田城は、月山に築かれた複郭式の山城です。 富田城は、南東以外の三方は急峻な斜面であり、…… more 北側を正面とし、山麓部から山頂部へ曲輪を 連ねる「連郭式」の縄張となっています。 城への進入路は、北麓の菅谷口からの大手道、富田橋を渡った正面の御子守口からの搦手道、 南麓の塩谷口からの裏手道の3か所のみで、すべての進入路は山腹の「山中御殿」に通じ、 急峻な一本道「七曲り」で、詰の城である山頂部につながっています。 登城口は安来市立歴史資料館の裏にあります。 なお、百名城スタンプは、この歴史資料館で押すことができます。 月山富田城の古絵図です。 現存する古絵図「富田月山城絵図」には石垣や瓦葺きの櫓などが描かれていますが、 これは1600年に入封した堀尾氏による改築と推定されています。 尼子氏・毛利氏が城主であった時代の姿は定かではありません。 登城口に向かいます。 歴史資料館の真裏に広場がありました。 広場には、月山富田城址の歴史の説明板がありました。 月山富田城は戦国時代、山陰の覇者尼子氏が本拠を構え、170年間の尼子氏六代の盛衰の舞台と なったお城です。 もともとは歴代の出雲国守護職の居城で、1396年から1566年は尼子氏の居城でした。 尼子氏は中国地方の覇権を巡って周辺諸国と争い、尼子経久公の時期に出雲に基盤を造り上げ、 その孫にあたる尼子晴久公の代には山陰・山陽8カ国守護の大大名となりました。 天然の地形を利用した難攻不落の城でしたが、1566年に 毛利元就公によって攻め落とされ、 以後は毛利氏の城となります。 毛利領となって以降は城代として 福原貞俊公、 口羽通良公、 天野隆重公らが居城し、 尼子再興を目指す 山中幸盛(山中鹿介)公らに攻撃されますが、これを退けました。 1600年以降、関ケ原の戦いでは東軍に与した堀尾吉晴が城主となりましたが、1611年に 堀尾忠晴公が松江城に移ったため廃城となりました。 1934年に国の史跡に指定されています。 月山富田城の全体地形の模型もありました。 月山富田城は月山(吐月峰、標高191.5m)の山上に本丸をおく典型的な山城です。 登城口までやってきました。 坂道を進みます。 この辺りの景色です。 石段がありました。 こちらに向かいます。 千畳平に向かいます。 石段を登ります。 曲輪にでました。 千畳平です。 千畳平とは広場の意味で、当時は太鼓壇と呼ばれる曲輪跡になります。 この曲輪では、鼓楼を設けて太鼓を打ち鳴らしたとも、時を報じたともいわれています。 太鼓壇の奥に鳥居がありました。 尼子神社です。 尼子三代城主および山中鹿之助公を祀っている神社です。 尼子神社を参拝します。 さらに太鼓壇上段に向かいます。 銅像がありました。 山中鹿之助公の銅像です。 正式には、「願わくは、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈った山中鹿之助祈月像 です。 この銅像は1978年(昭和53年)、山中幸盛の没後400年を記念して建立されました。 山中鹿之助公の説明板です。 尼子氏に仕えた名将で、尼子氏滅亡後も尼子氏復興を目指し、秀吉公の配下になり上月城の守備を 命じられますが、毛利氏に攻め込まれ捕らえられ、護送中に暗殺されます。 太鼓壇より一つ上段にあります奥書院に向かいます。 奥書院です。 現在ここには慰霊碑が建てられていました。 続いて花ノ壇に向かいます。 花ノ壇までの道のりは、この堀切が整備されており、堀切に沿って歩きます。 上段に登ります。 花ノ壇です。 現在地はここになります。 説明板がありました。 「花ノ壇」という名前は、かつてここに多くの花が植えられていたことから名付けられたと いわれています。 現在は発掘調査をもとに主屋と侍所が復元されています。 手前の侍所内部です。 管理棟の役割を果たしていたと考えられています。 続いて奥の主屋です。 主屋内部です。 この先にありました山中御殿から近い位置になりますので、指導力のある武将が暮らしていたと 考えられています。 次回は山中御殿跡からスタートします。 【其の弐に続く】 訪問日:2017年5月 ▽ ▽ランキングに参加しています。  応援(クリック)よろしくお願いいたします。   ⬅︎  クリックしてくださいね〜 にほんブログ村 ※毎週土曜日9時に更新しています。 close

月山富田城にゆく 其の壱:太鼓壇から花ノ壇へ
サイト名 廃城にゆく
タグ 島根県にゆく
投稿日時 2018-02-23 16:00:01

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