第220回:徳島城(近世阿波国の支配拠点)の詳細

第220回:徳島城(近世阿波国の支配拠点)
こにるのお城訪問記
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記事タイトル 第220回:徳島城(近世阿波国の支配拠点)
概要

訪問日:2016年1月徳島城は徳島県徳島市にあったお城です。国史跡に指定され,日本100名城にも選定されています。徳島県で最も有名なこの城は1585年より四国平定を開始した豊臣秀吉が阿波国(現在の徳島県)を蜂須賀氏に与えたことに始まります。秀吉は当初 古参の蜂須賀正勝に領地を与え…… more ようとしましたが,辞退し息子の蜂須賀家政が治めることになりました。家政は最初一宮城に入りましたが,秀吉の命にて築城を開始したのがこの徳島城です。元々,中世より城山にあった渭山城(いのやまじょう)と麓にあった寺島城を取り込む形で大規模な近世城郭に生まれ変わりました。江戸時代に入り家政の子である蜂須賀至鎮(はちすかよししげ)が徳島藩の藩祖となり,阿波国は明治維新まで蜂須賀氏の治めるところとなりました。  【左】JRを跨ぐ歩道橋より城山を見ています。当時は徳島城を挟んで北側を助任川(すけとうがわ),南側を寺島川という川が流れていましたが,現在 線路となっている部分が南側の寺島川でした。【右】線路沿いに護岸のための石垣。矢印の先にある突起は舌石と呼ばれ,当時はあった屏風塀の支柱を受けていた石だそうです。案内板です。城山の山上にある曲輪群と山麓の御殿で成り立っていました。南北の助任川や寺島川は外堀の役割を果たし,堀川を内堀として設けています。  【左】堀川の南側に築かれた三木曲輪。徳島城は青石と呼ばれる緑泥片岩を使用した石垣が美しく特徴となっています。【右】東側の堀川と石垣。  【左】三木曲輪に復元された鷲の門。明治維新後も残っていましたが,残念ながら戦災で焼失してしまいました。【右】山麓部の中心である表御殿跡へは下乗橋から枡形虎口を抜けていきます。藩主以外はここで馬を下りたそうです。枡形の右手には月見櫓,左手には太鼓櫓がありました、  【左】上から大手の枡形構造を見ています。ここに黒門がありました。【右】表御殿跡に建設された徳島市立徳島城博物館。徳島藩,蜂須賀氏に関する資料をここで確認していきましょう。  【左】国の名勝にも指定されている表御殿庭園。茶人武将として知られる上田宗箇(うえだそうこ)による回遊式庭園です。【右】庭園内の大橋には義伝公踏み割石と呼ばれる割れた部分があります。35歳の若さで亡くなった初代徳島藩主の蜂須賀至鎮は徳川家康の養女であった正室の氏姫に毒を盛られ,その時に地団駄を踏み割れたという伝説が残っています。伝説の域は出ません。  【左】表御殿庭跡の東側にある屏風櫓跡。【右】東側の出入り口である数寄屋橋。山麓部の鬼門に当たる旗櫓の下に数寄屋門はあり,凶事以外は開くことがなかったそうです。別名は不明門。  【左】内側から数寄屋門方面を見ています。左の櫓台には隅櫓がありました。【右】城山の貝塚は大正時代の1922年 鳥居龍蔵により発掘されました。縄文時代は海であったことがわかっています。  【左】藩祖である蜂須賀家政銅像。戦前は蜂須賀正勝の像があったそうですが,戦争で供出。現在の家政の像が出来たのは1965年です。【右】弁天池は当初からあった遺構で中央の石組みには弁天社がありました。この池は野鳥の観察スポットでもあります。  【左】山上部に登りましょう。【右】東二の丸の様子。本丸より低い位置のこの曲輪に天守が石垣の天守台も無くそのまま建っていたそうです。  【左】本丸の北東側の素晴らしい石垣。城内でも最も古い部類の石垣で青みがかった青石が美しい。【右】本丸の様子。  【左】本丸から徳島の街並みを望む。【右】本丸にある清玄坊神社。築城の際に立ち退かず打ち首となった修験者の清玄坊(せいげんぼう)を祭っています。  【左】本丸北側の石垣。【右】本丸西側の弓櫓跡の石垣。築城当初は最高所であるここに天守があったようです。  【左】西二の丸への虎口。左手には帳櫓跡(とばりやぐら)があり大きな石材を使用した鏡石が複数設置されています。【右】西三の丸門の枡形へ向かいます。この城は西側の方が防御力が高いようですね。  【左】西の丸に下りてきました。1月の訪問にも関わらず,季節外れの紅葉が!【右】徳島城の北側を守備した助任川の様子です。  【左】城の北側にある興源寺にやって来ました。蜂須賀氏の菩提寺として歴代藩主墓所となっています。これは初代藩主の蜂須賀至鎮の墓。【右】これが蜂須賀氏の家祖であり,最も知名度が高い蜂須賀正勝の墓。至鎮の祖父に当たる正勝は豊臣秀吉の若かりし頃からに仕えた最古参,蜂須賀小六の名前で知られ物語などでは野党の親玉として語られることの多い人物です。徳島県を代表する近世城郭であり知名度も高い徳島城。豊臣家を草創期から支えた蜂須賀氏が徳川政権下である江戸時代を通じてしぶとく生き残った証なのです。大きな地図で表示 お城巡り ブログランキングへ にほんブログ村FC2 Blog Ranking close

第220回:徳島城(近世阿波国の支配拠点)
サイト名 こにるのお城訪問記
タグ 徳島県の城郭
投稿日時 2017-02-05 07:48:00

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