第211回:宇陀松山城(宇陀地方を支配した秋山氏の本拠地){付 宇陀松山陣屋}の詳細

第211回:宇陀松山城(宇陀地方を支配した秋山氏の本拠地){付 宇陀松山陣屋}
こにるのお城訪問記
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記事タイトル 第211回:宇陀松山城(宇陀地方を支配した秋山氏の本拠地){付 宇陀松山陣屋}
概要

訪問日:2016年1月宇陀松山城(うだまつやまじょう)は奈良県宇陀市にあったお城です。大和国宇陀郡を治めた主要な国人が秋山氏,沢氏,芳野氏で宇陀三将と呼ばれました。宇陀松山城はその内の秋山氏が本拠地とした城で南北朝時代には既に存在したと考えられ,当時は秋山城と呼ばれており,現在も…… more そのように呼称されることも多いです。宇陀地方を代表する城郭で国史跡に指定されています。1585年に豊臣秀吉の弟である豊臣秀長が大和郡山城に入り大和国を統治するにあたって秋山氏は去り,以後 伊藤義之、加藤光泰、羽田正親、多賀秀種と城主が頻繁に変わった豊臣政権の間に大きな改修が為されました。1600年 関ヶ原の戦いで西軍につき改易された後に入った福島高晴が松山城と改名し,整備を進めたが,1615年改易となり廃城。その後,織田信長の子である織田信雄が宇陀を領し織田氏による統治は五代続きましたが,1695年以降は幕府直轄地となっています。織田氏以降は城を使わず藩政の中心は麓の屋敷(宇陀松山陣屋)に移りました。  【左】西側 国道付近からの遠景。宇陀松山城は城山に築かれた山城です。車は道の駅宇陀路大宇陀に置くのが良いでしょう。【右】麓にある松山地区まちづくりセンター 千軒舎。旧内藤家住宅を利用した観光案内所で,まずはここで情報収集。 【左】千軒舎にあった縄張図。上に登ってしまうと縄張りを示した案内板がありませんでした。【右】実は千軒舎に向かって右横の通路からも城の南東から登れるのですが,メインの登り口ではありませんし,まずは重要伝統的建造物保存地区に指定されている宇陀松山の街並みの中を北上しました。  【左】町中には松山西口関門が残っており,貴重な現存門です。16世紀末 多賀氏,福島氏が治め,城下を整備した頃の建築と伝わり,それ以後の陣屋時代を通じて機能していました。しっかり枡形構造になっており,鉤の字に曲がった狭い道路ですが,結構車が通ります。ここから春日門に向かっていく道が大手筋と伝わります。【右】南東麓にある千軒舎より北上しましたので,西口関門や春日門は城の北東側にあたります。  【左】山麓の大手筋正面にある春日門跡,17世紀後半 織田氏が城主の時に今の形になり,陣屋時代を通じて重要な門でした。現在は二つの櫓台が残っている状態です。【右】春日門跡の西側櫓台石垣。  【左】春日門跡を抜け春日神社へ向かいます。【右】大手筋はこの春日神社を経由することになり,曲輪としての機能も有していたとのことで,確かに城郭のような立派な石垣造です。宇陀松山城からの抜け穴伝説もあります。  【左】春日神社水鉢。元禄年間に荻野五郎左衛門が寄進したとあり,江戸時代からの貴重な遺産として市史跡に指定されています。【右】いよいよ春日神社の横から登っていきます。  【左】15分くらいの登山でしょうか,最初に度肝を抜かれるのがこの横堀。城域の南から西へ巻いているようです。【右】雀門前を少し右にそれるとある御定番郭。ここは整備されていないようですが矢印のように土塁を確認できます。  【左】南西側にある虎口の様子で当時は雀門という門がありました。何度も方向転換を強いる枡形虎口はこの城の見どころの一つです。【右】虎口付近は石垣で固められていたようです。  【左】虎口部を上から見ており,屈曲しているのが良く分かりますね。【右】本丸の南側に沿って伸びる帯曲輪です。防御機能の他,南側にある3つの虎口を結び,東西の通路として重要な役割を担っています。  【左】これが南側中央にある虎口。【右】虎口の外側を見てみると,やはり土塁で方向を変えられているようです。  【左】帯曲輪より本丸,天守郭方向を見る。【右】さて,本丸に向かいます。  【左】本丸の様子。奥が天守台のあった天守郭です。【右】本丸の西側に開いた虎口。これは平虎口のようですね,先に見えるのが西側の虎口郭です。  【左】天守郭の石垣。【右】天守台には白髭大明神の碑。  【左】天守郭からの眺望。北側を見ています。【右】天守郭から見る東側の曲輪群。大御殿から御加番郭が良く見渡せます。天守郭東側に横堀が走っている様子を写真からも見て取れます。  【左】下に下りて来て大御殿手前です。先程の横堀も確認できます。【右】天守郭の切岸を下から見上げています。  【左】大御殿から北側に回り込んで,天守郭を見上がています。かなり石垣が残っていますね。【右】木を伐採して非常に見やすいのですが北側斜面の複雑な防御機構。竪堀の間に竪土塁が走り畝を成しているように見えます。その先の曲輪の切岸下にも横堀が見えています。  【左】天守郭の北側の切岸下もご覧のように深い横堀が掘られています。【右】3つ目の虎口である南東側の虎口にあった大門跡です。右側が大御殿,左側が二の丸です。  【左】虎口を外から見ますと,やはり屈曲させられ枡形構造になっていることがわかります。虎口から外側の道は薮になっており進入できませんでした。【右】二の丸は未整備のようですが,奥に土壇のような高まりがありました。物見台でもあったのでしょうか。  【左】戦国時代に秋山城(松山城)を詰城とした秋山氏は南の尾根先に平時の居館を築きました。下城(しもじょう)と呼ばれるこの部分は春日門方面には下山せずに途中で南の千軒舎方面への分岐を進みます。さらに途中の写真の場所(奥が松山城,手前が千軒舎)で矢印方向へ進みます。【右】一応道はついているのですがシダ類が群生しており,真冬の日陰でも問答無用の生い茂りっぷりの中を登っていきます。  【左】削平地のようなところに出てきました。ガサゴソと進みます。【右】下城の主郭には神社がまつられています。お参りにくる人はいるのでしょうか?  【左】奥に進みますと段状になった曲輪らしきものを確認できるのですが,如何せん草木が生い茂っており明確ではありません。【右】元の道に戻り下りてくると冒頭の千軒舎の横の隙間に出てきます。有力な戦国大名がいなかったこともあり,有名城郭の少ない奈良県にあっては高取城や大和郡山城に次ぐ名城と言えるのではないでしょうか。整備も大分進んでおり見やすくはなって来ていますが,縄張り図などの案内が不足しており,訪問時はまだまだ予習が欠かせない状態でした。今後も整備が進んでいくようですので期待大です。大きな地図で表示 お城巡り ブログランキングへ にほんブログ村FC2 Blog Ranking close

第211回:宇陀松山城(宇陀地方を支配した秋山氏の本拠地){付 宇陀松山陣屋}
サイト名 こにるのお城訪問記
タグ 奈良県の城郭
投稿日時 2016-12-24 00:24:00

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