美濃 広恵寺城  飛騨・木曽間の古道を押さえる苗木城前身の姿の詳細

美濃 広恵寺城  飛騨・木曽間の古道を押さえる苗木城前身の姿
久太郎の戦国城めぐり
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記事タイトル 美濃 広恵寺城  飛騨・木曽間の古道を押さえる苗木城前身の姿
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美濃 広恵寺城 (岐阜県中津川市福岡町植苗木・城ヶ根山)ススキに赤トンボ・・。お月様・・。秋ですね。でも耳を澄ませばほんのかすかにツクツクボウシ(^^♪・・。また来年まで憶えていますからね。以前には見られなかった案内標識です。地元の方々の愛を感じます。今回は中津川市の北、旧福岡町…… more の広恵寺城の見学をしてまいりました。麓には調整池の広恵寺堤が満々と水を湛えてとても美しいのです。・・普段は・・。しかし、今回は堤の工事のため水がすっからかんに抜かれていました・・( ;∀;)広恵寺城の手前の堤池は水が抜かれていました・・。まぁ・・、これはこれで滅多に見れない原風景なのだと思います。工事現場の皆さん、ご苦労様ッス!ということで登城口に向かいます。立派な石碑に超感動するのであります。(゚□゚*)これも以前訪れた時にはなかった石碑です。祀られている、というイメージの存在にやはり地元の方々の愛着を感じるでしょう。ご丁寧に、東へ600m、との案内も彫り込まれていますね。城ヶ根山は全体が露出した岩に覆われています。まるで天然の石垣のようです。付近の笠置山山系によくみられる地形です。もちろん自然地形なのですが存在感のある岩ばかりです。他の城だったら、物見岩、とか、〇畳岩とか名前がつきそうな露岩があちこちに。大手道を見守る祠。出会えたら幸運かも。頂上が近くになるにつれ、斜度がきつくなっていきます。中央の窪地がなんとなく大手口に感じながら通過していきます。連続で現れる虎口状の遺構です。これはあくまでも目を凝らしての観察ですが・・。尾根に向かって平行に開口している姿、この2つがおそらく大手虎口なんでしょう。脇には腰郭も配されています。二ツ森山山系の素晴らしい眺めが堪能できます。\(^o^)/絶景!城の南側は一部、採石の削り址が間近まで迫っており、断崖絶壁になっています。そのため、遮るもののない風景が楽しめます。現在は消失していますが、かつて「腹切り岩」なる岩がこの先にあったようです。ちょっとこれ以上へは足がすくんでしまひまふ・・。(´Д`lll)そして、主郭部に到着です。結構広~いのです。主郭部内は地質のせいか傾斜も伴い、削平も落ち着かない様子です。郭内に明確な段差は見られないので基本的に単郭タイプの城ですね。唯、東側には少し高台になった一画が見られます。主郭部を西から北方面に取り巻く腰郭の切岸。北尾根筋からの侵入にも備えていたのでしょう。法面にはしっかりと切岸が全体にかけられています。それは大切な水の手を守る意図も感じられます。 ↓井戸曲輪にある「姫井戸」。写真の中央の窪み、今でも枯れることがない「姫井戸」と呼ばれる井戸址です。おわかりでしょうか・・。傍らの樹木が今でも蜘蛛のような根で井戸を見守っているのです。(ちょっと感動)そして、城中最大の圧倒遺構、大堀切です。やや時代が古いせいもあってシャープさに欠けますが幅が広い堀切です。堀底には土橋が設けられていたであろう址があります。端部は竪堀となって尾根を遮断しているようです。露岩を上手く活用しての堀切は見応えがあります。こういった地形が防御に活かされた、とは思います。しかし逆に地形に規制され明確な郭を構成できなかったことも事実でしょう。戦国期以前の貴重な城郭の姿、なのかもしれません。斜面(法面)の露岩は逆茂木の役割も果たせそうです。東の尾根には続けて2条の堀切も確認されます。上の写真は城の東を画す、主郭からの3本目の堀切です。ちんの峠、木曽方面に対する防備、とも解釈できましょう。下図に↓縄張り図を示します。(また余計な彩色ですが・・)広恵寺城は元弘(1331~1333)から建武(1334~1335)年間頃の築城、とされます。築城者は遠山景長で、或いは彼の父、一雲入道景利とも伝わります。大永年間(1521~1527)から天文年間(1532~1554)に高森城、現在の苗木城に本拠が移されます。遠山直廉は、木曽路の重要視に着目、岩村城との連絡もしやすい苗木城を本拠としたようです。約200年もの間、遠山氏の居城として存在していたのでしょうか、驚きです・・。遠山氏の恵那郡一円への勢力拡大、この地が起点であったと思うと感慨深いです。「広恵寺」の名は城の南東麓の寺院の名にちなんだものです。広恵寺城が築かれた地は、北の飛騨口と木曽への西古道を押さえる要地でした。実際、何度か飛騨勢との合戦も伝わっており、また信濃の勢力の侵攻も受けたようです。城には落城の悲話も伝わっており、平穏無事でなかったことを物語っています。城友・日向さんからの情報によれば・・、落城の際に川に身投げをした、と伝わる乙姫淵の伝説も残っているそうです。(悲しい現場には一人では行けません・・)かつて存在した「腹切り岩」では、実際にそのような伝説もあるのでしょう・・。城からの眺めは美しくもありながら悲壮な落日の場面も思い起こさせます。城内に見られる露岩も苗木城の様相と通じる所が見受けられます。巨石とのつながりは、遠山氏の精神として受け継がれていったのでしょうか。苗木城へと受け継がれていった精神と姿が見学できる城、古風な遺構が手付かずで残されている、貴重な広恵寺城でございました。片岡寺址の土塁遺構。帰り道に片岡寺址(へんこうじあと)に寄ってまりました。かつては方形の館状となり、土塁と堀に囲まれていたそうです。広恵寺城とは居館と詰め城、という関係も導きだせる遺構です。(やや離れている感はありますが)高さ4mにも及ぶ大きな土塁です。土塁の対面にある地は「殿畑」と呼ばれているそうです。近世遠山氏に関わる寺院でしたが、明治時代の廃仏毀釈によって、廃寺となりました。広恵寺城と直接、関係があったのかどうか、注目したい遺構ですね。 close

美濃 広恵寺城  飛騨・木曽間の古道を押さえる苗木城前身の姿
サイト名 久太郎の戦国城めぐり
タグ 中津川市の城めぐり
投稿日時 2017-10-13 04:20:07

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