美濃 松山城  美濃地方最南端に位置する境目の山城の詳細

美濃 松山城  美濃地方最南端に位置する境目の山城
久太郎の戦国城めぐり
ページの情報
記事タイトル 美濃 松山城  美濃地方最南端に位置する境目の山城
概要

美濃 松山城 (岐阜県海津市南濃町松山・城山)豊かに実った稲刈りを待つ候、南濃町へとやってきました。南濃町は付近で栽培されるミカンが南濃みかんとしても有名な地域です。西と南は三重県境、東も数kmで長良川と木曽川を挟み、愛知県境と接します。背後には養老山脈の南端山系が控えています。…… more 美濃最南端の山城・松山城は三国国境という稀な位置にあると言えます。(三国とは、美濃・伊勢・尾張の三国です)ところで、・・「松山城」というと皆さんはどの松山城を頭に浮かべますか?恐らくは国宝になった伊予(愛媛県)の松山城ではないでしょうか。(城ファンですね~。)次は、恐らく備中(岡山県)の松山城でしょうね。(城フリークですね~。)いやいや、武蔵(埼玉県)の松山城も代表的な土の城郭ですぞ!(城マニアです!)・・そんなところでしょうか・・。しかし岐阜県人なら、美濃国人なら、10万人に一人はこう答えるでしょう、美濃の松山城である!(*`皿´*)ノ・・とそしてその一人はこう呼ばれるでしょう、城オタクである、・・と。・・そんな変態自慢はこのへんにしときまして美濃松山城に向かいます。まずは山麓最寄りの松山諏訪神社を訪ね、駐車場をお借りします。本殿の裏には大きなクスノキが覆い被さるように自生しています。地形図で確認すると、ここから尾根を直登すれば城山に登れる・・ハズでした・・。しかし、ここで予想だにしない驚愕すべき事実を目のあたりにします・・。それは・・。高さ2mの獣除けスチール製ネットに山麓一帯全てが囲まれて入山できないのです。(写真の掲載は個人所有の物件というとで控えます)折角の訪問ですが、諦めざるを得ませんか・・。それでも諦めきれず途方に暮れていると果樹園の関係者の方が見えました。ここで思い切って無理は承知、ダメで元々で入山許可を嘆願してみます。入山の目的と事情を伝え、粘り強く交渉してみました。「そいや、以前にもそんなご仁が見に来たっけな~」 (出ました、10万人の内の一御方)猿や猪がおるから危ないき、気いつけてな、と有り難い許可をいただきました。感謝です!その方の作業時間内に下山する、という条件で松山城まで登れることになりました。本日は一転、なんとラッキーなのでしょう。噛み締めるように登城していくのでありました。全体的に崩落が激しい山です。山自体が手入れがされていないのもありますが、地盤の地層が弱いのでしょう。あちこちで、地滑りや崩落の箇所がみられ、城の遺構なのか、判断が難しい箇所もあります。足元も↓のように瓦礫のような岩の破片まるけで登山もままなりません。石垣等の崩れでなく、軟弱な地盤崩落片と思われます。(ブーツは自分のです)スロープを伴った郭への進入口。上の写真は城郭遺構と断定できる最初の遺構だと思われます。尾根に対して周囲に切岸も付けられ上部の遺構へと連動していきます。そして進路を塞ぐ土塁が待ち受け・・竪堀へと続く堀切が確認できます。惜しむらくはかなりの崩落をうけているようで本来の姿が失われているであろう点です。もちろん、築城の際にはこういった地盤の特徴を踏まえて構築されたものなのでしょう。こちらは主郭部へ至るルートに設けられた土橋と空堀の様子です。大小の岩が荒い土に食い込み掘削の困難さが伝わってくる遺構です。そして城山頂部の主郭部に到達したようです。主郭の奥には高さ1m~2mにもなる大土塁が尾根続き側にあります。ここの軟かい土質を考慮すれば往時はその倍、4mくらいの高さがあったと推察。築城者は困難を伴うこの土質を承知の上で手掛けたのでしょうね・・。大土塁からは背後の養老山脈を間近に感じられます。さて、時間内に縄張り図の作成を開始します。途中、お猿さん達の集団に遭遇、身の危険を感じながら書き上げていきます。帰宅後、清書し、冴えない彩色をした図が↓です。(いつも失敗する・・)山腹からみる濃尾平野がとても見晴らしよかったです(*^_^*)。こうして俯瞰すると、西美濃・尾張に対して遮るものなく見渡せる位置にあり三国境目の山城として絶好の選地であるとしかいいようがありません。あるいは伊勢方面への出撃も即座に対応可能な前線基地でもあるのです。正面から見ると、高い山脈に周囲を守られているような感です。実はこの松山城に関する城主や来歴は不明な点が多いのです。一説には、慶長年間に原長頼が秀吉から知行を受け、在城したのが太田山城といわれ、後年、彼が関ケ原の戦いに西軍として修復したのが、ここ松山城なのでは?とも伝わります。原長頼は別名が多く、或いは原政茂の名乗りが有名かもしれません。太田山城の位置が不明な点からしてこの説とは密接な関係にあるようです。今後の研究成果も待たれますね。柴田勝家の与力として、府中三人衆にも劣らない活躍をした原長頼。織田軍にあっては遊撃軍として、金森長近らと各地で転戦した活躍の士です。彼の業績に対して関連史跡が少ないので、なんとかしてあげたいのですが・・。(北陸在任中は越前・勝山城に赴任していました)今は静かに野生動物と共にある美濃の松山城でございました。※松山城訪問並びに山城の入山に関して。 今回、自分はたまたま果樹園の関係者様にお会いでき、ご好意で入山の許可をいただきました。 したがいまして、松山城に関しては現在入山禁止の山となっております。ご注意してください。 また特に秋の個人所有の入山は山菜やキノコ類等の無断採取者と判断されかねません。 事情を説明してもトラブルに巻き込まれることも多いようです。 中には万単位の違反金を現場で要求されることもあるようです。(知人の実話です) そうならないためにも充分に注意していただきたいものです。 基本的には登城前に付近のお住まいの方にお声をかけるのも方法かと思われます。 熱意と誠実さが伝われば皆さん、聞き届けてくださると思います。 城に関する思わぬ情報を拝聴できる可能性もありますのでお勧めします。 とにかく無断と無理は禁物、時期をずらすのも方法と考えましょう。 以上です。 close

美濃 松山城  美濃地方最南端に位置する境目の山城
サイト名 久太郎の戦国城めぐり
タグ 海津市の城めぐり
投稿日時 2017-10-08 01:20:02

「美濃 松山城  美濃地方最南端に位置する境目の山城」関連ページ一覧

新着記事一覧

<打込み接・布積み(関八州)> 江戸城、小田原城、佐貫城


シロスキーのお城紀行
「石・石塁・石垣シリーズ」は、昨日から、下記の分類表「①②-(4)打込み接・布積み」の石垣を導入しているお城を、再び日本の北から南にかけてご紹...
シロスキーのお城紀行
2022-09-26 01:00:04

中城城 日本100名城 沖縄 路線バスで行く世界遺産5城 5-4


hachiの日本100名城 続日本100名城 お得な切符で行く 鉄道・バスの旅
 ◆中城城 三の郭の石積 またかなり間が空いてしまいました。引き続き3月中旬に久々に沖縄、世界遺産5城を2泊3日で路線バスを利用して...
hachiの日本100名城 続日本100名城 お得な切符で行く 鉄道・バスの旅
2022-09-25 14:40:05

<打込接・布積み(奥羽・出羽)> 弘前城、盛岡城、仙台城、会津若松城


シロスキーのお城紀行
「石・石塁・石垣シリーズ」は、「①②-(3)打込み接・乱積み」を日本の北から南まで展開しているお城の写真をお届けしてきましたが、昨日で一応終了...
シロスキーのお城紀行
2022-09-25 02:00:03

讃岐小豆島 星ケ城  西峰と東峰から成る素晴らしい眺望の山城


久太郎の戦国城めぐり
讃岐小豆島 星ケ城 (香川県小豆郡小豆島町安田・星ケ城山) <県指定史跡> <ちょっと小豆島まで行ってきます・②>坂手港から安田館を訪問した後...
久太郎の戦国城めぐり
小豆島の城めぐり
2022-09-25 01:40:03

第439回:江馬氏下館(北飛騨における江馬氏の繁栄を示す城館跡)


こにるのお城訪問記
訪問日:2021年11月江馬氏下館(えまししもやかた)は岐阜県飛騨市にあった城館です。江馬氏城館跡の一つとして国史跡に指定されています。北飛騨の雄...
こにるのお城訪問記
岐阜県の城郭
2022-09-25 01:20:03
;