美濃 御嵩小原城  山中に完在する最前線の城の姿の詳細

美濃 御嵩小原城  山中に完在する最前線の城の姿
久太郎の戦国城めぐり
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記事タイトル 美濃 御嵩小原城  山中に完在する最前線の城の姿
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美濃 御嵩小原城 (岐阜県可児郡御嵩町小原・西山)今記事では前回の公約どおり、御嵩町の小原城を取り上げていきます。お隣の加茂郡にも小原城(白川町)が存在しましすので御嵩小原城、と表題しました。「かくも素晴らしい遺構が残っていたのか・・。」それがこの小原城に抱いた第一印象でした。前…… more 回の御嵩城は可児川沿いの街道筋に備えられた場所に築城されました。対して、ここ小原城は旧中山道に近い山中に構えられています。静かな里山といったやや奥まった集落に位置しています。なだらかな山容は、城の存在雰囲気を感じ取れない山容です。御嵩町の観光パンフなどには簡単な説明と位置案内はあるものの・・。現地へ行ってみても案内標識などは一切ありません。まずは目印となる白山神社からの登頂を試みます。いきなりの石階段(汗)。白山神社参道を登っていきます( ̄^ ̄)ゞ。 どこか懐かしい匂いと風景だったりします。(*´∀`人 ♪白山神社本殿に到着しました。中南米の遺跡のような石組み様式にも感じられる見事な祭壇です。神を崇めるそのルーツにはやはり共通点が感じられるものですね。ちょっとおススメできませんが左脇からかすかな道を辿ってヤブ漕ぎ登っていきます。(道はなくなる寸前状態・・)尾根を進むと堀切がお出迎えです。堀切は両端が竪堀となって尾根を分断しています。城域に入ったな、と感じられるわかりやすい遺構です。しかし、その奥にはさらに大きな堀切が待ち構えていました。どうやら二重堀切となって行く手を遮っているようです。(゚△゚;ノ)ノ山頂方面側の切岸も鋭く、容易な登攀はできません。後で歩き回って気付いたのですが、ほぼすべての尾根筋には堀切がありまして。そして、それに連動するような曲輪、武者走りなどが確認できます。途中で見られる腰曲輪、直下には竪堀もみられます。さすがに手付かずのガサ山だけに撮った写真も訳わからず(笑)。比較的わかりやすいかな、と思われる写真だけを掲載したいと思います。まぁ、それが遺構を今現代まで残し伝えてきた理由ともいえますから。むしろ感謝したいくらいです。(正直、山中での竪堀群の写真は特にムズいです・・、自分の目で見るのが一番!)主郭の本丸部と思われるピークに到達。若干、手入れがされているようです。他所と比べると見通しがききます。後世のと思われる石柱が2本立ち、ここが本丸部と思われます。神武天皇遥拝所です。1940年(昭和15年)は神武天皇が即位した皇紀2600年にあたる年でした。日本国内で様々行事が行われ、11月10日には国をあげての大式典が執り行われました。全国の神社はそれにあわせて神武天皇の陵墓である橿原神宮に向けて遥拝所を作りました。これらが現在でも全国の多くの神社に残っていたりします。・・豆知識でございます。( ^ω^ )こちらの無銘の石碑は何を意味しているのでしょう?・・城址を示す石標なんでしょうか(でた、危険な思い込み)いずれにせよ、城山が戦前までは人々の出入りがあったことを示しています。主郭南端部には櫓台と思われる一段高い空間があり・・、さらに幅の広い土塁状の高まりで仕切られています。この主郭部は見学しやすく、見下ろす形で全体の構造を把握できます。派生した尾根や連絡する曲輪などをじっくりと調べていきます。残念ながら眺望は木々で得られません、地形図で想像するしかないか・・。主郭部と腰曲輪を分かつ、高くはっきりした切岸の様子です。主郭部と尾根筋の間に備えた大竪堀。本来、断ち切るべき尾根を掘り切らず、側斜面に竪堀を備えます。広場を設け、明かに城の尾根筋との連絡を容易にする意図がみられます。それはこの城が背後からの攻撃を想定していない縄張りである、ともいえます。図面の方がわかりやすいと思いまして掲載します。攻撃が想定される南西筋と南東筋には周到なハノ字形竪堀と曲輪の連動配置がみられます。図面に落とすと実に規格的な配置であるように思えます。こういった近隣には見られない遺構は外部の勢力による築城を想像させます。では具体的にはどの勢力なのか?興味深々です。地元の伝えや近年の研究からは甲斐武田氏系の前線城砦ではないか、とみられています。岩村や苗木を手中にした武田軍が織田軍の備えに対して仕寄った城、という見方です。城主には小倉織部の名が伝わっています。小規模ながら張り巡らされた防御遺構が武田氏系と類似している点。御嵩城方面には特に周到なのに対し、兵站確保口(木曽川方面)にはそれが見当たらない。小倉織部なる人物が在地性不詳であること。こういった理由も武田氏築城説を後押しするものです。もしそれが事実だとしたなら・・。武田氏先遣隊は織田氏の部将、森氏の兼山城のすぐ間近にまで迫っていたことになります。・・となると東美濃は、岩村城方面からとの2方面からの侵攻を受けていた可能性も・・。なんだか信長公の背中がゾクゾクしていた様子が伝わってきます。この城が武田軍の東濃侵攻の足取り・作戦目標を明らかににする貴重な遺構なのか?そう考えると皆さんもゾクゾクしてくるのではないでしょうか。小原城を御嵩方面の南西側から見ますと・・。冒頭の写真、のどかな集落の里山姿とは違います。最前線の城砦としての重々しい雰囲気をまとった山容に見えてきます。 close

美濃 御嵩小原城  山中に完在する最前線の城の姿
サイト名 久太郎の戦国城めぐり
タグ 可児郡御嵩町の城めぐり
投稿日時 2017-09-23 04:00:02

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