第260回:和歌山城(御三家である紀伊徳川家の城)の詳細

第260回:和歌山城(御三家である紀伊徳川家の城)
こにるのお城訪問記
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記事タイトル 第260回:和歌山城(御三家である紀伊徳川家の城)
概要

訪問日:2016年5月和歌山城は和歌山県和歌山市にあったお城です。言わずと知れた暴れん坊将軍 徳川吉宗を輩出した徳川御三家の一つ紀伊徳川家 55万石の城。国史跡に指定され日本100名城にも選定されています。元々は1582年に紀州を平定した豊臣秀吉が実弟の豊臣秀長に命じて築かせた城…… more です。当時,秀長の家臣であった築城名人として知られる藤堂高虎が普請奉行として築城に携わりました。秀長は本拠地の大和郡山城に居り,家臣の桑山重晴が城代として入りました。1600年の関ケ原の戦い以降に浅野幸長(あさのよしなが)が37万石で入り1619年に徳川家康の十男である徳川頼宣(とくがわよりのぶ)が55万5千石で入り,以後 尾張,水戸と並ぶ徳川御三家の城として明治維新まで継続しました。明治時代に入っても残った建物は多かったのですが1945年のアメリカ軍による大空襲でほとんどが消失してしまったことは誠に残念な話です。  【左】JR和歌山駅方面から来ますと,北東側から江戸時代には大手筋であった一の橋に辿り着きます。【右】北堀を一の橋で渡ると高麗門形式の大手門(1982年 再建)。豊臣秀長の家臣である桑山重晴が城代の時代は南の岡口門が大手門でしたが,1600年 浅野幸長時代にこちらに大手門が変更されました。全体の案内板,東西南北の内堀に相当する部分より内側が残り,公園整備されていますが,かなり広いためどこから見て回るのが効率的か悩むところです。取りあえず,北東の大手門周辺,北西の西の丸周辺を見て本丸方面に向かいます。  【左】大手門を通り少し進んでみましょう。この枡形は一中門跡。【右】一中門を過ぎ二の丸に入るとある伏虎像(ふっこぞう)。和歌山城のある虎伏山(とらふすやま)は海上から見ると虎が伏せているように見えることから伏虎城,虎伏城とも呼ばれます。別名に因んだ像で戦時中に拠出されてしまった初代に代わり昭和34年に造られた二代目とのこと。  【左】一度,大手門の外に戻り北堀沿いの北辺を進みますとこの定番の光景です。御橋廊下(おはしろうか)と奥に天守。内部に食い込み二の丸と西の丸を分ける堀は西堀と呼ばれています。【右】西の丸は広場になっており,何か謎の体操の集会が行われていました。  【左】城の北西側にあるわかやま歴史館。ここで和歌山城の歴史や資料を見てから入るのが良いでしょう。【右】わかやま歴史館の西側には吹上門跡(鳥居の辺り)。  【左】吹上門跡>のさらに西側には西外堀が一部残っています。【右】さて,わかやま資料館のところから内部に入っていきますと国の名勝にも指定されている西の丸庭園(紅葉渓庭園)。紀州徳川家初代藩主である徳川頼宣によって整備されたという池泉回遊式の庭園で虎伏山の地形を利用した起伏に富んだ美しい庭園です。  【左】この西の丸庭園と西堀を渡る御橋廊下が復元されており,通ることが出来ます。【右】藩主の居館のある二の丸から庭園のある西の丸への渡るための橋で,斜めに掛けられ屋根付きと大変珍しい構造となっています。  【左】御橋廊下を渡ったところ二の丸側にある穴蔵遺構。発掘調査で発見されました。具体的な用途は不明も非常時に大奥の調度品等を収めたのではないかと考えられています。【右】西の丸の南,鶏の渓,山吹渓と呼ばれる場所は野面積みの石垣が続く城好きにはたまらない光景です。  【左】切手門跡。紀州や四国でよく見られる緑泥片岩の石垣が美しい。【右】二の丸は政庁や藩主居館,大奥等があり実質的な中心部でありました。  【左】二の丸からは裏坂経由で本丸へ向かいます。【右】これが良くネタになる人型の根っこ。  【左】裏坂のつづら折れを登っていきます。やはり緑泥片岩の石垣が美しい部分です。【右】裏坂の途中にある銀明水。金明水とともに和歌山城を代表する井戸跡です。  【左】現在は水道施設になってしまっていますが,天守の東側のピークに本丸御殿がありました。【右】天守に向かう一の門跡。  【左】空襲で焼失したため戦後に再建された天守ですが大天守,小天守,櫓をそれぞれ多聞櫓で繋ぐ連立式天守。この形式は姫路城が有名ですが,外観が複雑で色々な表情を見せるところが良い。【右】天守入口の様子。  【左】大天守の正面。【右】天守からの眺望。  【左】前述の本丸御殿を天守から見ています。【右】天守の北面に回り込んでみました。埋門,奥には乾櫓です。  【左】帰りは南側に下りていきます。ここが本丸表御門跡。【右】松の丸にある七福の庭。緑泥片岩の巨石を七福神に見立てたもので,徳川頼宣時代に造られ,頼宣の妻の父に当たる加藤清正の好みとも伝わります。  【左】南側にある表坂を下りて東側の二の丸へ。表坂と呼ばれるのは築城当初,南側が大手であったことによるのでしょう。【右】岡中門跡の枡形を過ぎると南の丸のエリアです。  【左】松の丸の櫓台の高石垣。この石垣は花崗岩の整然とした切込みハギで江戸時代のものです。【右】1621年の建築とされる岡口門は貴重な現存門で重要文化財にも指定されています。築城当初はこちらが大手門でした。  【左】岡口門から続く現存土塀と幅の広い東堀。【右】城の南側にある岡山の時鐘堂(じしょうどう)。1712年 徳川吉宗が藩主の時に造られたもので県史跡に指定されています。梵鐘は大坂夏の陣で豊臣方で保有していた大砲を改鋳させたと伝わっています。  【左】時鐘堂より道路越しに見る不明門跡(あかずのもん)。城内で最高の高石垣がある場所です。【右】不明門の手前にある南堀は空堀となっています。  【左】現在は駐車場への入口にもなっている不明門跡の枡形構造です。【右】南の丸は和歌山公園動物園となっています。  【左】南の丸からは松の丸や天守郭の石垣が累々と築かれてる様子を見ることが出来ます。【右】上記の南西部にある和歌山県護国神社。  【左】新裏坂の下の石垣には多くの刻印を確認することが出来ます。【右】刻印が見えるでしょうか?  【左】これも貴重な現存門である追廻門(おいまわしもん)。裏口の搦手で裏鬼門の方角に当たるため朱塗りとなったそうです。【右】市街地に残る北外堀。紀の川と和歌川を結び,当時は三の丸側は土塁が築かれていたそうです。豊臣秀吉の実弟 豊臣秀長が築き発展させ,徳川幕府では御三家の城。そしてあの暴れん坊将軍を輩出したことでも知られる紀州の誇る名城です。大きな地図で表示 お城巡り ブログランキングへにほんブログ村FC2 Blog Ranking close

第260回:和歌山城(御三家である紀伊徳川家の城)
サイト名 こにるのお城訪問記
タグ 和歌山県の城郭
投稿日時 2017-09-14 18:00:08

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