第95景 〜七尾城の詳細

第95景 〜七尾城
カメも歩けば城に当たる… 城跡酔夢譚
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記事タイトル 第95景 〜七尾城
概要

石川県には百名城指定の城跡が二ヶ所。ひとつは加賀百万石の象徴、金沢市の金沢城。もうひとつが能登半島の中心部、富山湾に面した七尾市に遺るこの「七尾城」である。金沢は仕事や個人的な旅でもう十回以上訪れたが、七尾はかつて一度素通りしただけで、長いあいだ行ってみたい町のひとつだった。で、…… more 先日、ついに「夏の城旅~2017・第二弾」と勝手に称し、江戸から車を飛ばして七尾へと向かった。今回は戦国の山城、七尾城への登城記だ!七尾城(桜馬場下石垣):石川県七尾市古屋敷町→Map 連郭式山城   日本百名城No.34別名:末尾城、松尾城   築城年:永正~大永年間(1504~28年)頃 築城主:能登畠山氏                              (撮影2017年8月)写真は七尾城の紹介では必ず使われる、桜馬場下の五段の石積みである。以前は同様の写真を見て、城跡と云うより日本庭園などによくある、小振りの石を使った 石垣にも見えたし、東京からのアクセスのこともあり、登城を先送りにしていたのだ。しかし、その後七尾城について諸々読むうちに、待ちきれない思いのこの頃であった。その七尾城についてキーワードを上げておくと、五大山城・能登畠山氏・七尾城の戦い・上杉謙信……などである。ではそのあたりからひとつずつ見ていこう。五大山城 春日山城、月山富田城、観音寺城、小谷城、そして七尾城の五城をもってそう呼ぶらしい。しかし、この三大〜とか五大〜というのは基準も曖昧で一種の符牒と考えても良いだろう。だからといって七尾城の価値が下がるわけではない。城は急峻な七つの尾根にわたって築城されていることから「七尾」の名がある。往時は標高300mほどの山頂本丸から2.5km下の山麓部まで曲輪が断続的に連なり、麓には戦国城下町「七尾」が北の海岸まで続いていた。北陸随一の山城と呼ばれた由縁である。能登畠山氏その七尾城を築いたのは能登畠山氏。室町幕府三管領の名門であり、嫡流が管領と河内、紀伊、越中の守護を、庶流が能登の守護を世襲した。七尾城も十五世紀後半までは砦のようなものだったが、三代義統(よしむね)が能登に下向し在国守護となり領国支配が確立し、七代義総(よしふさ)の頃に大幅に拡張された。義総は応仁の乱で荒廃した都から公家・歌人・僧侶達を連れ帰り能登畠山文化が花開いた。本丸跡標高 305mの本丸跡から、現在の七尾市街と七尾湾、さらに能登半島まで一望できる。隆盛を誇った畠山氏の領国経営が偲ばれる。現在、城域は城山と呼ばれ、本丸跡に城山神社が祀られている。本丸下の三段の石積み当時、この地方ではまだ普及していなかった石垣で要所を固めているのも七尾城の見どころである。本丸下の斜面も高さ2mほどの野面の石積みが段築状に三段に積まれていてる。二の丸跡三の丸跡広大な城域に、二の丸、三の丸、西の丸、調度丸、遊佐屋敷、温井屋敷等の曲輪が連なる。しかし調査発掘はまだ緒についたばかりで、戦国最大級の山城の全貌解明にはもう少し時が必要に思えた。現在七尾城を保全したいという地元ボランティアの方々が、草刈りなどの整備を続けられているそうで、なんともありがたいことである。二の丸と三の丸の間は深い堀切となっている。急角度の階段で上り下りすることになる。登城には足元の準備も怠りなきよう!七尾城の戦い・上杉謙信七尾城を有名にしているものに「七尾城の戦い」がある。これは上洛への橋頭堡として、北陸随一の山岳城を奪い取った上杉謙信による七尾城攻略戦のことだ!上杉対畠山の攻防戦である。天正四年(1576年)越後の上杉謙信が上洛をめざし、能登へ侵攻。能登の城砦を次々と落とし、残すところ七尾城のみとなる。城方の畠山氏は八代義続のころから、跡目争いなどで勢力が衰え、畠山家臣団が支配を強めていた。派閥争い、十代当主義慶(よしのり)の暗殺、十一代も病没し後継にはわずか五歳の春王丸。この機を見た謙信の能登侵攻であった。しかし天然の要害七尾城は簡単には落とせず、最後は城内の親上杉を懐柔、調略によって開城 させたのである。能登攻略開始から十ヶ月目であった。この時、「内応承知」の返事を得た謙信は祝宴を催した。その中秋の名月の夜、謙信が詠んだ 漢詩が残っている。読み下すと、霜は軍営に満ちて秋気清し  (霜は軍営に満ち、秋の気配が清々しい)数行の過雁月三更  (真夜中の月に雁が列を成して飛ぶ)越山併せ得たり能州の景  (越後と越中だけでなく能登の景色も眺めることができた)遮莫家郷遠征を憶うを  (故郷の人々は、遠征のこの身を案じているだろうがそれはどうでもよい )越後、越中と能登の三国を手に入れた謙信の感動が伝わるようで素晴らしい、とは思うが、確かに出来過ぎた話でもありこれは後世、江戸期に頼山陽が謙信の気持ちを代弁して書いたという説が有力である。しかし、そういう概略を知って訪れることで、登城の感動も大きくなるのだ。かなり端折ってしまったので、詳細については参考にした本を紹介しておこう。我々素人には分かりやすさが何よりありがたい、謙信側から見た歴史群像8と最近引き合いに出すことの多い伊東潤作品だ。 *   歴史群像シリーズ8「上杉謙信」学研*「城を攻める 城を守る」伊東 潤 講談社現代新書参考になれば幸いである。アクセスなど、まとめ今回は自分の車で行ったので、山頂近くの本丸駐車場まで一気に登ることができた。ただ、七尾城に限らず山城のスケールを体感するのは麓から徒歩で登るのが良い。七尾城歴史資料館からすべて歩くと、往復で3時間近くを要することになる。機会を見て挑戦してみたい。 しかし、ここは日本百名城指定の城郭で、スタンプラリーなどを楽しむ老若男女全ての来城者が支障なく見学できる場でもあるべきだ。七尾市街から麓まで5km、市内循環バスでは麓の歴史資料館までしか行けない。(ここにスタンプがあるらしく押すことは可能だ。ちなみに私はスタンプは集めていない)本丸駐車場までの運行が望まれよう。素晴らしい城跡なので、多くの方に本丸まで登って頂きたい!!最後は、例によって、今日の一枚を上げて七尾城の結びとしたい。やはり五段の石積みからの一枚を補修、管理をして頂いている地元の方々への感謝とともに…….。じゃぁ また  close

第95景 〜七尾城
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タグ 北陸東海の城
投稿日時 2017-09-03 15:40:01

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