大胡城(上泉伊勢守に関して)②の詳細

大胡城(上泉伊勢守に関して)②
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記事タイトル 大胡城(上泉伊勢守に関して)②
概要

本丸周辺から大胡神社へ 本丸西虎口 西虎口から下りて、虎口を見返しています。ここが一番の見どころです。 二の丸と本丸との空堀 本丸北側の空堀 橋を渡って越中屋敷(現在保育園) 大胡城縄張り図「群馬の古城 中東毛編」山崎一氏著 大胡神社 本殿 本殿裏の土塁の残る北…… more 曲輪(西側) 東側の土塁 北曲輪の北側の空堀、東は荒砥川の断崖へ 北曲輪の西側の空堀、途中から沢の堀に通じています。 大胡城の歴史 大胡城は大胡氏の居城であった。大胡氏は藤原秀郷の子孫であり、東毛地方で勢力を扶植していた豪族であった。「吾妻鏡」の建久元年(1190年)の記事には大胡太郎の名前が見えるので、鎌倉時代の初期にはすでにこの地域の有力な支配者であったと思われる。しかしこの頃の大胡氏の居館は、現在の大胡城ではなく、城の西300mほどの所にある養林寺の辺りであったのではないかと推定されている。また、現存の城趾には近世大名牧野氏の城主時代の縄張りや構造が認められる 南北朝時代、観応の擾乱に際して大胡氏は山上氏らと共に足利尊氏に与し、足利直義方の桃井直常、長尾景忠と笠懸野で戦って敗れたが、やがて尊氏は勢力を回復し直義を自害に追い込んだ。 その後しばらく大胡氏の動静はつかめないが、享徳の乱のさなかに古河公方足利成氏は配下の岩松持国に赤堀・大胡・深津氏を攻撃させているので、この大乱において大胡氏は上杉方に加担していたものと思われる。また、文明元年(1469年)に川越城で行われた太田資清主催の連歌会に大胡城主とみられる大胡修茂の名が見えている。 子孫の牛込氏の伝えによれば、天文10年(1541年)、新田金山城の横瀬氏(由良氏)の勢力が強大となってきて、圧迫されるようになったため、大胡氏は当地域をすてて江戸に赴き、牛込城に移ったといわれる。少なくとも永禄2年(1559年)以前には江戸へ出ており、既に後北条氏配下にあった(『大胡町誌』)ウィキペディアより close

大胡城(上泉伊勢守に関して)②
サイト名 山城めぐり(兄弟ブログ biglob)
タグ 山城ー上州 関東・信州一覧
投稿日時 2017-07-27 21:00:01

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