岡豊城 [2/2] 詰西側に残る石積を持つ礎石建物跡と虎口跡は必見。の詳細

岡豊城 [2/2] 詰西側に残る石積を持つ礎石建物跡と虎口跡は必見。
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記事タイトル 岡豊城 [2/2] 詰西側に残る石積を持つ礎石建物跡と虎口跡は必見。
概要

岡豊城 訪問記 其の二。 [前回までの訪問記 概要] 山腹の歴史民族資料館からスタート。長宗我部元親公の銅像の真裏は、もう城跡だ。二ノ段から詰下段、詰には期間限定で築かれた櫓があった。其の二では最大の見所、三ノ段の石積を持つ礎石建物跡へ。 訪問時期:2017年5月 岡豊城 訪問記…… more − 其の一、二。 <訪問記> 案内図 再掲。現在は中央部「詰」の右側(西側)にある「三ノ段」まで来ている。ここから西側の遺構を見て回ろう。 では三ノ段の奥へ。詰の西側部分には、詰から石段を通って礎石建物に通じる道が発掘されている。更にその建物跡の周囲には石積が見つかっている。 ここが、詰 西側の三ノ段 礎石建物跡。例によってコンクリートで固められているが、周囲に等間隔に礎石がズラリと並び、外周部を小粒な石が積み上げられている。建物は三ノ段の幅いっぱいに築かれており、この建物の中を通らないと向こう側には行けない仕組み。 詰へ通じる立派な石段。石段と建物が隣接しており、隙間を抜けて奥には行けない構造。 石段。サイドは野面積みの石垣となっている。 建物跡を反対側(北)から。L字に折れ曲がっている。 三ノ段 礎石建物跡 説明板。鍋や石臼など生活用品も出土しているとか。 建物跡を北側に出たところ。桝形風になっているが、下から上がってきた敵兵を180度転換させて勢いを削ぐ場所だろうか。 ではもう1つの見所、四ノ段前の虎口へ。右側の土塁に囲まれた場所の奥が虎口。 虎口へ。斜面脇には一部石垣も築かれている! 虎口 全景。右へ左へ折れ曲がっており、見通しは悪く、更に木戸などを設けて堅固な造りになっていたことだろう。 伝厩跡曲輪方面 案内板、という名前だが、説明文は虎口のもの。土佐ではここ岡豊城が始めて虎口を実装した城だとか。虎口から更に下へ降りていくと伝厩跡曲輪へ行くことが出来るが、その前に四ノ段を見よう。 虎口を抜けて南へ。このあたりは四ノ段。 四ノ段の奥には、外側に向けて巨大な城跡碑が建っている。こちら側からは見づらいが、見落とさないようにしよう。 四ノ段から入ると、石碑の真横に出てしまう。でかい! 長宗我部氏岡豊城址。 裏面には古い文体で、岡豊城の由来が書かれている…のだが、それは最初の2行だけで、後は城跡の保存に貢献した(?) 西田という人の功績を称える文章だった。黒ずんでいて読みづらい。昭和9年建立。最初の二行はこんな感じ→「岡豊城ハ長宗我部氏代々ノ城居タリ 元親出ツルニ及ヒ 雄武大ニ興リ 一時四国ヲ統一ス 後桑滄ノ燮ヲ閲シテ 荒墟トナル」。 城跡碑は城の外側に見せるように建てられている。 土塁の上に建つ城跡碑。 城跡碑と、その下部の曲輪。四ノ段の南端にあたる。 再度虎口へ戻り、西へ向かってみる。 四ノ段の一段下の曲輪。帯曲輪のように細長い。このあたりから、横堀や竪堀など中世山城らしい防衛施設が多く見られる。左側の切岸の上は、虎口〜礎石建物跡の間あたり。 切岸と帯曲輪の間は、横堀が掘られている。切岸を上がるためには横堀に降りねばならず、更に高さが増す仕掛け。 横堀 説明板。往時 幅2.5mもあったという。 埋もれてしまってはいるが、確かに横堀があった。 丸い曲輪の周囲をぐるっと囲むように堀が掘られている。 その他、竪堀や堀切などが多く構築されている。これは堀切をまたぐように造られた木の橋。当時はもっと簡素な橋が掛かっていたのだろうか。 もう1段下の帯曲輪。斜面(切岸)には竪堀跡も見られる。 下の帯曲輪には切岸下に土留めだろうか小さな石積も見られた。建物跡や虎口で見られた石積と雰囲気が異なり、これは当時のものでは無さそうな気がする。 帯曲輪と、斜面に向かって落ちる竪堀。 細長い帯曲輪が何段も築かれている。 案内図。四ノ段の下の帯曲輪は、この図面では白い道として描かれている。更にこの奥へ行けば、最も西の曲輪・伝厩跡曲輪へ到達するようだ。 竪堀 説明板。このあたりには斜面を縦に凹ませた「竪堀(たてぼり)」が多数残っているようだ。 しかし、草や腐葉土などが積もり、実際には やや凹んだ場所、程度にしか見えないかもしれない。肉眼ではもう少し立体感を持って見ることが出来る。 竪堀。V字に掘られている。 では伝厩跡曲輪へ行ってみよう。車道からでも石段からでも到達できる。 こちらが伝厩跡曲輪。城内最も西の高台に築かれた曲輪で、城の西側を見張る場所であったか。 伝厩跡曲輪 説明板。西方からの攻撃に対し城を守る重要な防衛拠点。 伝厩跡曲輪の周囲には畝状竪堀や堀切がある、と書かれていたので訪れてみたが、あまりここまで整備はされていないようだった。西側の堀切はこんな状況。 堀切を散策。硬い笹のようなものが生えていて非常に歩き辛い。左側の斜面の上が伝厩跡曲輪。ここから攻め上がるのはかなり難易度が高そうだ。 伝厩跡曲輪には展望台が築かれている。その上から西側を見た様子。城下の様子が良く見える。城下を東西に横切り流れるのは国分川。 先ほど散策した西側の堀切を見下ろす。西側から攻めてきた敵兵を狙い撃ちするには容易い場所だ。 下山。岡豊城跡 遠景。国分川 対岸から。右側の最高所が「詰」跡、左側の高木がある場所が「伝厩跡曲輪」。出丸的な位置づけだったことがよく分かる。 最後に、資料館前にあった長宗我部元親公の銅像をグルっと360度見てみよう。まずは正面から。まさに四国統一に向けて土佐から飛び立とうとする姿。 後ろ側から。後ろ髪をくくっている!? 刀の鍔に指をかけて、槍を掲げている。カッコいい。 地面には四国の絵が描かれており、ちょうど土佐の位置から飛び立とうとする元親公が建っているというデザインになっている。ちなみに元親公の銅像は、最後の居城とした浦戸城 近くにも築かれている。そちらは浦戸城 訪問記にて。 土佐の雄 長宗我部氏が代々居城とした岡豊城跡。やや整備されすぎな感もあるが、故に夏でも散策しやすく、また資料館の裏すぐということもあって、中世山城跡の中でも随分と敷居の低い訪れやすい史跡だと感じた。 訪問時期:2017年5月 撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF14mm – – – – – – – – ブログ人気投票参加中. いつも投票アリガトウ(^-^) 投票するのも、順位を見るのも、上↑のアイコンを押してね! ページの一番上に戻る close

岡豊城 [2/2] 詰西側に残る石積を持つ礎石建物跡と虎口跡は必見。
サイト名 城めぐりチャンネル
タグ お城 続・日本100名城
投稿日時 2017-07-20 04:40:15

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