岡豊城 [1/2] 長宗我部氏の歴代の居城だった中世山城跡。の詳細

岡豊城 [1/2] 長宗我部氏の歴代の居城だった中世山城跡。
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記事タイトル 岡豊城 [1/2] 長宗我部氏の歴代の居城だった中世山城跡。
概要

岡豊城 (おこうじょう) は高知市の東隣・南国市に残る中世山城で、土佐の戦国大名・長宗我部氏が歴代居城とした地。最高部の詰 (本丸) を中心に尾根に沿って東西に曲輪群が築かれている。最初の築城は鎌倉時代とされ、元親の代に四国の覇者となった頃まで居城だったが、直後に秀吉の侵攻で降伏…… more 、所領を土佐一国とされると、居城を大高坂山城 (現在の高知城) や浦戸城へ移し、代々の岡豊城は廃城となった。比高100mほどあるが、現在は山腹に県立歴史民俗資料館があり、その裏手から簡単に登城することができる。 <基本データ> ●名称:岡豊城 (Wikipedia) ●所在:高知県南国市 (地図) ●城主:長宗我部氏 ●築城:13〜14世紀頃 ●遺構:石垣、堀切、土塁、虎口 等 ●情報:続日本百名城 No.180 (一覧) 訪問時期:2017年5月 岡豊城 訪問記 − 其の一、二。 <訪問記> 岡豊城へは、高知県立歴史民俗資料館の裏側から上がるのが定番となっている。まずは民俗資料館へ。 そしてその入口の正面には「長宗我部元親 飛翔之像」。四国の覇者を目指しまさに飛び立とうとしている若き日の姿をイメージしているとか。銅像は帰りにじっくり見るとして、まずは裏側の階段をあがって、岡豊城へ向かおう。裏山がまさに岡豊城跡。 階段をあがる。博物館自体が結構上にあるので、もう詰の丸はすぐそこだ。山城感はない。 階段の上から飛翔之像と資料館を見る。像の足元は四国の絵になっており、像の位置は土佐で、まさに「土佐から飛び立つ」姿だ。遠くを見ると、かなり山上に博物館が築かれていることも分かる。 階段の上にある岡豊城跡 全体案内板。オレンジに塗られているところが恐らく曲輪部で、手前から二ノ段、詰下段、詰、三ノ段、四ノ段、奥には伝厩跡曲輪もあるようだ。ぐるっと一周してみよう。 地面の石段などは後世の公園化に伴う整備のものだろう。 まず最初の曲輪、二ノ段へ。平らに削平されている。 周囲には土塁が築かれていたようで、わずかだが盛り上がりが見られる。 かなりの高さを感じる場所。標高は100mほど。こちらは東方面。国分寺跡や国府跡などが見渡せる「土佐のまほろば」と言われる文化財エリアなのだとか。 二ノ段の先端部もグルっと曲輪の形に合わせて土塁が築かれている。 斜面を見下ろしてみると、かなりの角度となっている。ここから登って攻め上がるのはかなりの難易度だし、其の上には土塁が築かれ兵が待ち構えているとなると、難攻不落だろう。 二ノ段 全景。先ほどの急斜面に比べて、ここはかなり平らに加工されている。長宗我部氏の力の大きさが伺える。 二ノ段から詰(本丸)方面を見る。曲輪の間には大きな堀切が築かれているようだ。 二ノ段 説明板。発掘調査により、先ほど見た斜面側の土塁はかつては幅3m、高さ1mであったことが判明したとのこと。建物跡は無く、深い地中からも遺構が出ていることから、詰などから運ばれた土により造成された地で、かつては土塁に囲まれた兵溜まりの場所だったと考えられている。 堀切前から見る二ノ段 全景。尾根の先端に向かって三角(△)の形をしている。 こちらは二ノ段と詰下段を隔てる堀切。かなり深く、V字に鋭く削られている。 堀切と井戸 説明板。反射するパネルは読みづらい。堀切は幅3−4m、深さ2m前後。またこの堀切の底には岩盤を掘り込んだ方形の井戸(溜井)があるとか。 堀切。手前の落ち込んでいるところが井戸跡。 井戸跡。岩を掘り込んで造ったことが分かる。岩なので水は湧かず、雨水を貯めるための場所だったとか。岩盤の上には数段の石積も見られる。 空堀を越えて(土橋)、整備された階段を上がる。この上は詰下段。 詰下段。コンクリートで固められている。 詰下段 礎石建物跡 説明パネル。礎石建物跡と土塁などが残るという。半間ごとに礎石が並んでいたとか。 コンクリートで固められているが、礎石らしき石(位置を示すだけのダミーかも)が等間隔に並んでいる。右側の緑が土塁、左側の斜面が詰斜面なので、曲輪いっぱいに建物が建っていたようだ。しかし、なぜコンクリートで固めてしまうのか。 コンクリート詰下段は早々に立ち去り、詰へ。ここは城内最上段、後の本丸に相当する。かつても何かの建物が建っていた跡は残り、訪問時 (2017/5) は期間限定で二層模擬櫓が建てられていた。史跡の上なので、期間限定で取り壊すとか。 模擬櫓の脇には、大理石の小さな 岡豊城跡碑。 模擬櫓の手前には、礎石跡の遺構。何と礎石跡の上に模擬櫓を建てているのか。 詰 礎石建物跡。大小二棟の建物が石敷遺構で繋がった東西に長い建物で、後の天守に相当するような二層以上の建物だったとか。 ではせっかくなので模擬櫓の上にあがってみよう。城があった当時の構図で城下を眺めてみる。 期間限定の建物なので、中は塗装なども無い簡素なもの。 この建物は「櫓」という名前だとか。志国高知 幕末維新博 の開催に合わせて櫓をあげた、とあるが、幕末維新と中世山城、まったく関係ないじゃないか! 櫓の姿は慶長期の現存天守・丸岡城を参考にしたとか。確かに言われてみると。 櫓の中には発掘時の鮮明な写真が幾つか展示されていた。興味深い。外の案内板にも掲載されているが、劣化や反射で見づらいので、コチラのほうが助かる。 二階へ。 櫓の高欄から見る、岡豊城下の様子。当時もこのような眺望を、長宗我部元親らは見ていたのだろう。 では櫓を降りて、櫓の裏側へ。ちょうど真裏に「詰」の説明板がある。「天正三年」(1575)と刻まれた瓦も出土しているとか。 では櫓の裏側から三ノ段へ降りてみよう。土塁の間が一部削られている。 三ノ段は詰の下をぐるっと取り巻くように築かれた、帯曲輪。その三ノ段の外周にも土塁が囲んでいる。 三ノ段から、詰と模擬櫓を見上げる。 三ノ段から詰に建つ模擬櫓を見る。模擬だが、幟も相まって、何だか雰囲気が出る。 其の二では、三ノ段奥の石垣遺構、虎口を経て、西の伝厩跡曲輪へ。元親公銅像もじっくり見に戻ります。 >> 岡豊城 [2/2] へ続く。<< 訪問時期:2017年5月 撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF14mm – – – – – – – – ブログ人気投票参加中. いつも投票アリガトウ(^-^) 投票するのも、順位を見るのも、上↑のアイコンを押してね! ページの一番上に戻る close

岡豊城 [1/2] 長宗我部氏の歴代の居城だった中世山城跡。
サイト名 城めぐりチャンネル
タグ お城 続・日本100名城
投稿日時 2017-07-16 03:00:00

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