再び赤穂城にゆく 其の弐:花見広場の詳細

再び赤穂城にゆく  其の弐:花見広場
廃城にゆく
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記事タイトル 再び赤穂城にゆく 其の弐:花見広場
概要

兵庫県赤穂市にあります赤穂城址です。 今回は花見広場よりスタートです。 米蔵に向かいます。 かつて水手門の内側には米…… more 蔵、番所があり、水手門から荷揚げされた米などの物資が ここに収められました。 米蔵です。 米蔵の説明板です。 当時はここに二棟ないし三棟の米蔵が建っていたそうです。 内側の壁面には、米俵の荷ずれ防止のための荷ずり木がはめ込んであります。 休憩所内部には、米俵などの荷物が壁に触れて傷まないように壁に埋め込まれた「荷ずり木」を再現 し、外観同様に米蔵の雰囲気が体感できます。 現在は、外観を米蔵として復元し、二ノ丸休憩所として整備されています。 米蔵の南西にあります南沖櫓台です。 米蔵の目の前に石垣の門跡が復元されています。 水手門です。 水手門説明板です。 二ノ丸の南端にあり、海もしくは干潟に面した門でした。 二ノ丸水手門脇の石垣は、曲線に延びる石垣が採用されています。 画像ではわかりにくいかもしれませんが、石垣がほぼ90度曲がっている部分が、 見事な曲線を描いています。  石垣の角部分は、戦のときに死角を無くし、また弓矢や鉄砲を一斉に射かけるためと 言われていますが、一方で外敵へ弓矢を射かける際、方向が限定されてしまうという 側面があります。 その一方、曲線を描く石垣は当時としては珍しく、どこに石垣の角があるのか困惑させると 同時に、放射状に弓矢や鉄砲を射かけることが可能でした。 現在は橋がこのように架けられ、水辺の上を歩くことができます。 門の前面には船着き場の雁木が設けられ、さらに波よけの突堤が城壁から突出していました。 これらの雁木と突堤は平成10年(1998)に発掘調査が行われ、復元整備されました。 門礎石は、現在ももとの場所に残されています。 橋を渡りきりました。 当時はここは海でしたので、船の上からしか見れない景色です。 ここにも水手門の古い説明板がありました。 東に向かいます。 櫓台が見えてきました。 櫓台は、軍事目的で建てられたのはもちろんですが、それに加えて、城外からみた「威容」を見せる ためのものでもありました。 赤穂城には天守台があっても天守は建てられませんでしたが、多くの櫓がありました。 赤穂城は海岸平城ですので、北側の城下町から赤穂城を見たとき、三ノ丸大手隅櫓など一部の 櫓しか見ることができません。 しかし南側は瀬戸内海、東側は熊見川に面しており、航行する多くの船からの威容も考慮し、 南側にも多くの櫓が建築されています。 このほか、当然ながら門の近くにも築かれました。 こちらは、潮見櫓台です。 海上を監視するための櫓でした。 入口から西に向かうとあります南沖櫓台です。 水手門の周囲は船の出入りのため城壁を大きく内側に引き込んだ「水撚り」の縄張りをとり、 その城壁は緩やかな曲線を描いて、西方の南沖櫓台へと続く、大変特徴的な石垣となっています。 ここには黒鳥が住んでいるようです。 説明板もありました。 花見広場に戻ります。 目の前の櫓台は、横矢枡形です。 赤穂城には多くの櫓が築かれていましたが、現在、一見すると櫓が築かれていたかのように 見える場所でも、実は櫓ではなかった、という場所があります。 それが、横矢枡形になります 横矢枡形は「横矢掛かり」とも言われます。 一般的な横矢掛かりのように、一部をわずかに突出させて築かれたものではなく、 あたかも櫓台のように方形にこの横矢枡形の上には、かつて土塀がめぐらされており、 外部から侵入してくる敵兵を鉄砲等で撃退する施設となっていました。 横矢枡形の隣には、屏風折になっており、本来は直線の石垣としても良いところに、 突出部をつくりだし、外敵に備えています。   江戸時代には石垣のうえに土塀が立っており、その間に空けられた「狭間(さま)」 から鉄砲を構えるという構造でした。 その先にあります西仕切門です。 赤穂城は本丸を取り囲むように二ノ丸があり(輪郭式)、二ノ丸の北側に三ノ丸が取りついて います(梯郭式)。 赤穂城の場合、城郭の南側は海であり、「搦め手」となるとともに逃げ口でもありました。 そこで、戦のときに三ノ丸が攻め落とされ、二ノ丸門まで突破された際、本丸が周囲を 包囲されないよう、二ノ丸南北に分断するように「仕切り」土塀を築いたのです。 この仕切りは東西にあったため「東仕切り」「西仕切り」と呼ばれ、 それぞれに城門が築かれていました。 明治時代になって、これらの門や土塀は取り壊されましたが、西仕切り土塀、 西仕切り門については、二之丸庭園整備に伴い、整備されました。 庭園沿いに土塀もしっかり整備されています。 二ノ丸庭園の説明板があります。 遊水池です。 遊水池説明板です。 二之丸南西部にあり、古絵図には何も描かれていませんでしたが、発掘調査を行ったところ 池泉が発見されました。 この池泉には、本丸堀の余水が流れ込み、さらに池泉から城外へ排水される仕組みとなっていました。 現在は池泉の復元がなされ、周囲には元禄期のサクラの品種など18種200本余りが植えられ、 市民の憩いの場となっています。 これより先は整備中で進むことができないため、本丸沿いを歩き戻ります。 厩口門まで戻ってきました。 さらに進みます。 大手門まで戻りました。 二ノ丸庭園の整備はこれからも進んでいくようです。 さらなる整備を期待したいと思います。 【其の参に続く】 訪問日:2017年2月 ▽ ▽ ランキングに参加しています。  応援(クリック)よろしくお願いいたします。   ⬅︎  クリックしてくださいね〜 にほんブログ村 ※毎週土曜日9時に更新しています。 close

再び赤穂城にゆく 其の弐:花見広場
サイト名 廃城にゆく
タグ 兵庫県にゆく
投稿日時 2017-07-15 15:40:00

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