岐阜城にゆく 其の壱:岐阜公園から山頂への詳細

岐阜城にゆく  其の壱:岐阜公園から山頂へ
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記事タイトル 岐阜城にゆく 其の壱:岐阜公園から山頂へ
概要

岐阜県岐阜市にあります岐阜城です。   岐阜城は織田信長公が「天下布武…… more 」の朱印を用いるようになり、本格的に天下統一を 目指すようになった城として知られています。 それ以前に斎藤氏の居城だった頃は稲葉山城と呼ばれていました。 信長公は山麓に居館を設け、城下町を発展させました。 その様子は宣教師のルイス・フロイスにより「まるでバビロンの様な混雑なり」 と伝えられています。 「本能寺の変」の後は織田家以外の城主を迎えますが、最後の城主は信長の孫にあたる 織田秀信(幼名・三法師)公でした。 秀信公は「関ケ原の戦い」で西軍につくものの、その前哨戦で福島正則公や池田輝政公らに 攻められて落城し、徳川家康公によって岐阜城は廃城となります。 現在は山頂に復興天守が建てられており、ロープウェイでのぼることができます。 岐阜城には、JR岐阜駅からバスで約15分で到着します。 バスを下車後、徒歩約3分程で金華山ロープウェー「金華山麓」駅に着きます。 ロープウェイ乗り場の近くにあります山内一豊公と千代の婚礼の地の石碑です。 平成18(2006)年の大河ドラマ「功名が辻」にちなんで建てられました。 永禄10(1567)年、一豊は信長の家来として岐阜に移り、岐阜城に居を構え千代と 結婚しました。 内助の功により、一豊を出世に導いた千代を顕彰しています。 この石碑に夫婦いっしょに手を添えてさわると、一豊・千代にあやかり、夫婦円満に なれるといわれているそうです。 千代の鏡と一豊公の説明板です。 「千代の鏡と一豊の出世」 千代が一豊に嫁ぐ際「夫の大事に初めて之を使うように」と言い含められ鏡箱に 金十枚を忍ばせ持参した。 貧しい暮らしながらも千代は決してその隠し金を使わなかった。 ある日 市に出された名馬に一豊は釘付けになる。 値は誰もが手が出ない金十枚 千代は一豊に隠し金を差し出し ついに一豊は名馬を手に入れる 信長家臣が競う馬揃えの晴れ舞台 信長から名馬とその心構えを讃えられ 一豊は出世を掴むことになる ・・・と記されています。 「千代と長良川」の石碑です。 長良川上流に位置する郡上八幡では、千代は初代郡上八幡城主の娘といわれています 水のまち郡上で育った千代は、幼少時に父親を亡くし、母親と共に各地を流転しました やがて一豊との縁が結ばれ、岐阜長良川の地に嫁いできました ひと雫から渓流へ 滔々たる流れから大海へ 千代の足跡を辿れば、まさに長良川そのものといえます 千代の心奥深くで輝き続けた、美しく優しく時に厳しい長良川 一豊にそそいだ千代の愛 それは長良川から授かった、清流のひと雫だったのかもしれません ・・・と記されています。 ふもとに広がるこの公園は、戦国時代の岐阜城主であった斎藤道三公や織田信長公の 居館があったとされる場所です。 金華山の大自然に包まれた園内には、信長公の庭をはじめ信長居館跡、冠木門、 岐阜市歴史博物館、加藤栄三・東一記念美術館、立礼茶室華松軒、名和昆虫博物館等 多くの施設が並び、金華山山頂駅までを約3分で結ぶ金華山ロープウェー山麓駅や 金華山登山道の登り口もあります。 また、織田信長居館跡についての発掘調査がすすめられており、庭園の可能性のある石敷き や建物の礎石などが見つかっています。 こちらは岐阜城の井戸です。 井戸の説明板です。 では、いよいよロープウェイに乗り込み、山頂を目指します。 ロープウェイから三重塔が見えてきました。 公園東の山腹にある樹木に包まれた朱塗りの三層の塔です。 大正天皇御大典記念事業として大正5年に建立されたものになります。 山頂が見えてきました。 山頂には約3分ほどで到着しました。 山頂です。 秀吉公の馬印でもある千成びょうたん発祥の地でもあるようです。 山頂からの景色です。 岐阜城跡の説明板です。 では岐阜城天守に向かいましょう。 岐阜城歴代城主の説明板です。 天下第一の門です。 説明板によると、この門は信長公の大志を讃えて建てられた冠木門で、 当時は存在しなかった門のようですね。。 天下第一の門を少し進んだ先が伝一ノ門跡になります。 説明板です。 現在も倒れた巨石や石垣の一部が残っているとのことです。 巨石を道沿いに立て並べていたようです。 岐阜城歴代城主一覧です。 こちらは馬場跡です。 岐阜城郭内で唯一の平坦な土地で、将兵が馬を繋いでいた場所か乗馬を訓練した 場所と云われています。 岐阜城の歴史の説明板です。 創建は鎌倉時代で二階堂行政公が、ここに砦を構えたのが始まりだそうです。 その後、二階堂氏が稲葉氏に性を改めてたため、稲葉山城といわれるように なったとのこと。 勉強になります。。。 さらに進むと石段があらわれます。 ここはニノ門跡になります。 説明板です。 ニノ門の入口の両脇には、巨大な石を使った石垣が残っているようです。 堀切の説明板です。 こちらは岐阜城題目塚です。 いつの時代に建立されたかは不明ですが、幾多の英雄を排出してきた岐阜城に 関連する戦没者の霊を慰めるために建てられたものだそうです。 岐阜城の歴史其の弐です。 道三公・義龍公・龍興公の斎藤氏三代の時代が記されています。 岐阜城の図です。 ニノ門に到着しました。 次回は二ノ丸から天守を中心に紹介します。   【其の弐に続く】 訪問日:2017年1月 ▽ ▽ ランキングに参加しています。  応援(クリック)よろしくお願いいたします。   ⬅︎  クリックしてくださいね〜 にほんブログ村 ※毎週土曜日9時に更新しています。 close

岐阜城にゆく 其の壱:岐阜公園から山頂へ
サイト名 廃城にゆく
タグ 岐阜県にゆく
投稿日時 2017-07-08 15:20:02

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