勝瑞城 : 戦国時代、阿波国における三好氏の拠点だった城館跡。の詳細

勝瑞城 : 戦国時代、阿波国における三好氏の拠点だった城館跡。
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記事タイトル 勝瑞城 : 戦国時代、阿波国における三好氏の拠点だった城館跡。
概要

勝瑞城 (しょうずいじょう) は戦国時代に東四国・畿内で絶大な権力を誇った三好氏の、阿波国における拠点だった城館。室町時代に細川氏が勝瑞に守護所を築いたことで街は発展、更に戦国時代に下克上で成り上がった三好氏一族の拠点となって全盛期を迎える。三好長慶の弟 三好実休が治めていたが、…… more 次の長治の代には勢力が衰え、長治弟の十河存保の頃に土佐の長宗我部氏に攻められ廃城となった。三好氏の巨大館跡とされる「勝瑞館跡」(現 史跡公園) と、今も水堀と土塁が残る砦跡「勝瑞城跡」(現 見性寺、三好氏の菩提寺) から成る。 <基本データ> ●名称:勝瑞城 (Wikipedia) ●所在:徳島県板野郡 (地図) ●城主:細川氏 / 三好実休 ●築城:室町時代 / 16世紀中旬 ●遺構:水堀、土塁、墓 ●情報:続日本百名城 No.175 (一覧) 訪問時期:2017年2月 <訪問記> 勝瑞城は、戦国末期に築かれた砦跡と、三好実休らが住んだ館跡の2つから成る。まずは砦跡へ行ってみよう。現在は「見性寺」というお寺の境内となっている。 勝瑞城の特徴は、平城だが土塁やその外周に築かれた水堀がそのまま残されている点にある。水堀跡には橋が架かる。 勝瑞城 水堀跡。それなりの幅を持って残されている。 反対側。堀の内側は見性寺 境内となり、堀沿いは木々が生い茂っているが、当時は土塁と土塀や柵などが張り巡らされていたことだろう。 堀を渡って境内へ。現在は江戸時代に当地に移設してきた見性寺の境内となり、お城らしさはほぼ失われている。わずかながらに当時を偲ばせるものが残っているので、ぐるっと一周してみよう。まずは足元に設置されたタイルの説明板から。 勝瑞城跡 説明パネル。細川氏が室町時代にここ勝瑞に守護所を築く。阿波の政治文化の中心として栄えたそうだ。その後 細川氏の家臣だった三好氏が下克上で権力を握り、畿内は兄・三好長慶、阿波讃岐は弟・三好実休が治めた。しかし土佐の長宗我部氏との戦いにより三好氏は追い出され、その長宗我部氏も羽柴軍に屈すると、天正10年(1585)に阿波は蜂須賀氏の所領となる。蜂須賀氏は徳島に城を築き、勝瑞は衰退した。現在は三好氏の菩提寺である見性寺が江戸中期に移転、境内には勝瑞にゆかりのある三好氏四代の墓が残る。 堀の脇に残された、土塁跡。現在残るのは一部だけだが当時は発掘調査で全周を覆っていたことが判明しているという。土塁は基底部幅12m、高さ2.5m、水堀は幅14mあったという。堀底からは瓦片も大量に出土し、長宗我部氏との戦いで破壊された跡が見られる。 廃城後400年以上を経て僅かに残る土塁と水堀。 「やだけ」。戦国時代まで矢を作るために大量に植えられていたササの一種。当時からあったわけではなかろう。 勝瑞義冢碑。しょうずいよしいえ、ではなく、しょうずいぎちょう、と読む。冢は塚の異体字で、要は勝瑞城にまつわる者たちを祀る碑、という意味とのこと。江戸中期の徳島藩儒官 那波魯堂 (なはろどう) の撰で、勝瑞を拠点とした三好氏の盛衰と戦没者の慰霊を刻んでいるという。町文化財。 三好氏四代の墓。五輪塔が整然と並ぶ。左から、三好之長、元長、義賢、長治。義賢は三好実休の俗名で、実休は生前に名乗った戒名という。 堀の外側から城内を見返す。このあたりは埋め立てられているが、当時は堀幅は14mという調査結果もあるため、当時はこのあたりも堀だったのだろう。 勝瑞城 全景。 勝瑞城 堀と土橋。当時から土橋があったかは分からないが、現在は見性寺への参道(車OK)となっている。車道の入口に石碑があるので見に行ってみよう。 車道入口に建つ、史蹟 勝瑞城趾 碑。左側には三好長治公 菩提寺 の碑もあった。長治は実休の長男で、実休戦死後に勝瑞城主となるが、暴政を行い家臣や住民の信を失い、やがて信長や長宗我部の台頭を経て勢力を失うこととなった。 ぐるっと砦の周りを回ってみた。開発等で細くなっている箇所はあったが、今もグルっと堀が囲っていた。国史跡に指定されているので、もうコレ以上削られることはないだろう。 続いて、見性寺から少し離れた場所に残る「勝瑞館跡」へ行ってみよう。住宅街の中心に、巨大な広場がある。 国史跡 勝瑞城館跡 説明板。ここ館跡と、先程見た見性寺の城跡がセットで「城館跡」として史跡指定されているようだ。こちらも幅10mを越す巨大な堀で囲まれた曲輪を持つ巨大城館で、戦う場所ではないため土塁は無かったようだが、代わりに知泉庭園や枯山水があったり、茶器などが出土しているという。天正10年、長宗我部氏との戦いに敗れた三好勢はしばらくここ勝瑞城に籠もるも、当時の城主 十河存保は諦め開城して去ったという。やがて時代は織田から羽柴の時代へ移り、当地を争った長宗我部元親と十河存保はともに九州で島津討伐のために戦い、大敗して信親および存保が討死している。 勝瑞館跡の整備事業。こんな感じの公園になるそうだ。当時の堀が公園内にそのまま残される、ステキ整備かと期待するも、、、後に現場を見て衝撃を受けることになる。 訪問時(2017年2月)はまだ公園は整備中で、一部 発掘調査も進行中だった。現場を見学できる場所があったので行ってみる。 ここの土地はずっと史跡公園だったわけではなく、かつては巨大な長尾鉄工所が操業しており、そのコンクリートの巨大な基礎が残っている。 庭園跡の石積や階段跡など。かなり遠くからしか見られないのと、ブルーシートでほとんど覆われているため、何が何だかよく分からなかった。 そして公園奥へ。芝生になっている部分と、コンクリートで固められている場所がある。 濠跡・礎石建物跡 説明板。なんと目の前のコンクリートの部分は「濠跡」という。濠をコンクリートで固めてしまっている。当時ここにこういう形で濠が巡っていた、ということは分かるが、、、。完成したら水を貯めて「水堀」にするのだろうかとも思ったが、先の整備イメージでは茶色に塗ってあったので、これが完成形なのだろう。 すっかりコンクリートになってしまった濠跡。しかもかなり浅い。 奥へ。堀跡はことごとくコンクリート化されているようだ。 濠跡 説明板。発掘写真で見られる堀の深さとも全く違う。 折れ曲がる堀跡。 館内の区画溝 説明板。ここもコンクリートで固められている。今はもうまったく面影は無いが、当時はこの溝の右側が庭園などを備えたハレの空間、左側が住まいなどのケの空間だった、とのこと。うーん。 礎石建物跡 説明板。会所が復元されている。子供の遊び場になっていた。 礎石建物跡 説明板。庭園の向かいにあることから、城内でもサロン的な役割を果たす「会所」であったのではとのこと。発掘調査結果から、16世紀末ごろに焼失したことも判明している。 会所跡の向かいにある枯山水庭園跡。芝生の上にちょこんと顔をだしている石。もう少しちゃんと掘り出してちゃんと配置するか、当時の高さに低くするとか、何かもう少しいい方法は無かったのだろうか。 かつて阿波国の中心として栄えた三好氏の守護所跡、勝瑞城館跡。どちらも平地に築かれていたため近年の開発による破壊は致し方ないが、そんな中でも城跡の方は水堀と土塁が良好に残り、当時を偲ばせる姿が垣間見られる。一方、城館跡はコンクリートを主体とした整備により当時の雰囲気や趣はほぼ失われた。後世に歴史を伝えるため、城跡や館跡をどのように整備すべきか、ということについて一歴史ファンとして考えさせられた場所だった。 訪問時期:2017年2月 撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF14mm – – – – – – – – ブログ人気投票参加中. いつも投票アリガトウ(^-^) 投票するのも、順位を見るのも、上↑のアイコンを押してね! ページの一番上に戻る close

勝瑞城 : 戦国時代、阿波国における三好氏の拠点だった城館跡。
サイト名 城めぐりチャンネル
タグ お城 続・日本100名城
投稿日時 2017-06-26 03:40:01

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