盛岡城(日本100名城〉 6 二の丸の詳細

盛岡城(日本100名城〉 6 二の丸
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記事タイトル 盛岡城(日本100名城〉 6 二の丸
概要

前回の続きで、今回は二の丸です。 南側から見た二ノ丸東側のはばき石垣です。石垣補強用の石垣です。 台所屋敷跡から見た二ノ丸のはばき石垣です。二の丸造成のとき、盛土をして石垣を造りましたが、排水工事が不十分で、石垣が孕んできたので、二ノ丸東にはばき石垣を布積で構…… more 築しています。構築された時期は下絵図の1766年以降です。二ノ丸東側は大きな盛土でしたので、孕んだ石垣の積み直しより、補強のためにはばき石垣にしています。 1766年の古絵図です。(下が北)この時はまだはばき石垣がありません。   下が北の案内板です。二ノ丸東側にははばき石垣の右側に「笑い積」とよばれる石垣があります。 笑い積み部分の石垣は古いですね。石垣造成は藩主が上方から穴太積の職人をよんできたそうです。 下図⑮付近から見た二ノ丸虎口の車御門跡です。横から見たはばき石垣が見えます。下図より車御門は二階渡櫓門でした。 1766年の古絵図です。(下が北) もりおか歴史文化館の模型です。車御門が左端にあります。 車御門跡を二の丸から見ると 二ノ丸虎口の車御門跡です。 二ノ丸内から見た車御門跡です。 二の丸内です。車御門横から赤い廊下橋が見えます。 1766年の古絵図です。下が北です。 二ノ丸には式台玄関や遠待の奥に儀式用の大書院がありました。本来は1つの曲輪に、大書院・中奥・大奥・勘定所のあることが多いのですが、盛岡城は本丸の敷地が狭いために、二の丸と下曲輪に分散して造営されました。花崗岩の小山だったので、石垣の石はですが、大外様大名(石高は長らく表高10万石であったが、内高はこれより大きく、幕末には表高20万石に直されました)でしたので、1か所にまとめられませんでした。 廊下橋から見た穴御門跡です。 穴御門跡です。(グーグルストリートビューより)下図のように穴御門は埋門でした。      明治維新後に二の丸内には記念石碑が出来ました。 下図にある新渡戸稲造の記念石碑です。 5000円札になった新渡戸稲造です。藩主南部利剛の用人を務めた盛岡藩士新渡戸十次郎の三男として生まれました。藩校作人館で学び、後に札幌農学校に学ぶ。この時キリスト教に入信しています。日本が軍国主義になったので、「この国を滅ぼすのは軍部の人たちだ」「上海事件は正当防衛ではない」という発言をし、右翼思想家から攻撃され「非国民」とまで呼ばれています。日米の懸け橋になろうとして苦しんでいたようです。   石川啄木の歌碑です。もとは南部藩家臣邸の庭石で、そこに歌碑がはめ込まれました。書は国語学者の金田一京助氏のものです。金田一氏は南部信直より二戸郡金田一を領地に賜り、在所をとって金田一氏としました。 歌碑の解説板です。盛岡はその昔「不来方(こずかた)」と呼ばれました。歌は「不来方の お城の草に 寝ころびて 空に吸はれし 十五の心 」旧制盛岡中学校は当時下曲輪通りにありました。盛岡城とは200mも離れていませんでした。とあります。啄木は1886年(明治19年)に盛岡市でうまれ、旧制盛岡中学校中退後、『明星』に寄稿する浪漫主義詩人として、19歳で最初の詩集を刊行しましたが、結核により満26歳で亡くなりました。 金田一京助と石川啄木の古写真です。 モクレンの花が満開でした。 ズームUP撮影しました。 赤い橋(廊下橋)の向こう側が本丸です。 ここで記念写真を撮影しました。後に警察彰功碑があり、この付近が大書院跡です。   消防義魂碑です。 赤い橋が廊下橋です。江戸時代は下図のように屋根付きでした。   今回はここまでで、次回は本丸です。  読者募集中、読者登録はここのリンクです。希望で読者(フォロアー)相互登録します。隔日で午後8時半~9時頃に更新しています。登録では「相手わかるように」に設定して読者登録してください。読者様のブログはたまに拝見に行き、「いいね」やブログ村・ブログランキングは出来るだけ押します。 Ctrlキーを押したままで、下のボタンを押すと画面飛びしません。が飛ばされません。 お手数ですが、よろしくお願いします。        ぽちっと押すだけ                                                                                                                                                                                                                                      ポチお願いします。 close

盛岡城(日本100名城〉 6 二の丸
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投稿日時 2022-05-20 01:00:02

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