龍松山城 : 斜面に築かれた巨大堀切群が見所な紀南最大豪族 山本氏の城。の詳細

龍松山城 : 斜面に築かれた巨大堀切群が見所な紀南最大豪族 山本氏の城。
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記事タイトル 龍松山城 : 斜面に築かれた巨大堀切群が見所な紀南最大豪族 山本氏の城。
概要

龍松山城(りゅうしょうざんじょう)は、和歌山県の紀南エリア、田辺市の南を流れる富田川沿いの山中に築かれていた中世山城で、富田川流域全域を支配下に置いていた紀南最大規模の豪族 山本氏が城主と伝わる。秀吉の紀州攻めで紀中エリアの湯河氏らと熊野山中でゲリラ戦を展開し徹底抗戦、和議の後に…… more 謀殺された。城は山頂の主郭とそれを取り巻く二の曲輪から構成され、斜面には巨大な土塁や横堀がよく残っているが、開墾や公園化・車道整備などによる改変も見られる。かつては石垣もあったが明治期の災害復旧工事の際に持ち去られたとか。現在は史跡公園として整備され、主要部まで車で登ることができる。 <基本データ>●名称:龍松山城 (一之瀬城・辰巻城)●所在:和歌山県西牟婁郡上富田町市ノ瀬 (地図)●城主:山本氏●築城:15世紀?●遺構:土塁、堀切、竪堀●時間:45分(13:10-13:55)●参考:戎光祥出版「戦国和歌山の群雄と城館」 訪問時期:2017年1月 <訪問記> 龍松山城は史跡公園として整備されており、二の曲輪まで車で行けてしまう。この大きな看板が目印。左奥に見える山頂が龍松山城。龍松山城、辰巻城、一之瀬城など、呼び名がいくつかあるようだ。車道をあがっていっきに城内へ。正面の凸の上部が主郭、その周りを360度囲んでいる今いる場所が二の曲輪だ。右奥に説明板が見えるので見に行ってみよう。龍松山城 説明板。半分ほど消えかかっていて、非常に読みづらい。石垣が明治の洪水復旧の際に堤防に使われたこと、城主の山本氏は富田川流域全域を支配していた豪族で、秀吉の紀州攻めで抵抗したが叶わず、天正14年和議に応じて登城したところ藤堂高虎の館にて謀殺された、などがかろうじて読み取れた。興味深い内容が書かれているので是非作り直してもらいたい。駐車場となっている二の曲輪。かなり広い。一部にはこのように土塁が外周を巻いている。縄張図によるとこの下には帯曲輪があり、恐らくかつての登城ルートだったのではと考えられる。そのための土塁だろう。二の曲輪からそのまま主郭へは上がらず、二の曲輪の北東部斜面によく残る堀切や土塁などを見に行こう。二の曲輪をぐるっと回って北東部へ。二の曲輪から斜面下を見下ろすと、おおっ、巨大な堀切が横たわっている。二の曲輪北東斜面の堀切・土塁エリアにやってきた。1月でもかなりの草ぼうぼう具合だが、すごい急角度の土塁に深い横堀、そして土塁が構築されている。竪堀ではなく横堀と土塁があるということは、ここも登城ルートの一つだったのだろう。土塁の上を通って奥へ。横堀が深く、その奥の切岸が更に急角度で高さを感じられる。ここから直接あがるのはかなり厳しい。更に奥に行くと、横堀は箱堀になっていて、結構な広さがあった。主郭は左側なので、この堀の右側が登城ルートだろう。このあたりは二重の堀になっており、今いる場所が「中の島」。ここから直接二の曲輪へ行かせないという城側の思いが伝わる。登城ルートの斜面上に築かれているため、空堀は竪堀になったり堀切になったりしながら、斜面上をのたうっていた。すごい工事だ。このあたりは杉が植林されていて、それもあり一体が腐植土となっていて、ふかふか。公園化や車道工事もこのあたりは行われていないことから、ふかふかの土の下には巨大な空堀がまだまだ残っていることだろう。ふと上を見ると、木々の隙間から青空が見える。では二の曲輪へ戻ってぐるっと一周してみよう。北側には少し遺構も残る。二の曲輪の北側に残る、仕切り土塁の痕跡?のような場所。一段高くなっているような場所の脇には石積の痕跡のようなものも。明治の工事で立ち去られた石垣とはこのあたりだった?ぐるっと回ってきた。では斜面をあがって主郭へ向かおう。道は大きく左に曲がっており見通しが利かない。左側には大きな張り出し。この上には見張か何かがあったことだろう。道は今はコンクリートで固められているが、当時のルートと思われる。見張り部分を回り込み、虎口から主郭へ入る。ここには門があったか。龍松山城 主郭。広い。桜が植林されている。主郭の周囲はぐるっと土塁が築かれているのが印象的だった。主郭には説明板はなく「竜松山城跡」とだけ書かれた看板があるのみ。竜なのか龍なのか。うーむ。主郭の隅にあった石碑・石塔たち。中央の石碑は昭和12年に作られた「龍松城之記」。山本氏は秀吉方と和議後、和州郡山に招かれるも数ヶ月滞留され志を得ず、その帰路で紀和国境の藤堂高虎館にて自刃、と書かれていた。ノミで1文字1文字彫った、読みやすい文字。龍松山一之瀬城と号す、とある。ただ石碑が大きくて現場ではなかなかじっくりと読みづらい。現代語に書き下して近くに説明板を設置いただきたい!主郭の周囲をぐるっと巻いている土塁。主郭の丸い形に沿って土塁もずーっと築かれている。いくつか切れ目もあったので、登ってきたスロープ以外にも虎口が他にもあったと思われる。帰りの車道を降りている途中で「空堀跡」という説明板を発見。車を止めて見てみる。空堀(横堀)跡か。先に見た二の曲輪北東側のように、山の斜面あちこちに、こういった横堀と切岸による防衛設備が構築されていたのだろう。車道で大きく壊されてしまったが、こうして説明板を設けて、必要以上に壊していないのはせめてもの救い。車道を歩いて上がると色々他にも細かい遺構が残っていて見られるかもしれない。 訪問時期:2017年1月撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF14mm ページの一番上に戻る close

龍松山城 : 斜面に築かれた巨大堀切群が見所な紀南最大豪族 山本氏の城。
サイト名 城めぐりチャンネル
タグ お城
投稿日時 2021-09-27 15:20:02

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