信長に歯向かうおんな城主「岩村城」と明知鉄道の詳細

信長に歯向かうおんな城主「岩村城」と明知鉄道
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記事タイトル 信長に歯向かうおんな城主「岩村城」と明知鉄道
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JUGEMテーマ:お城   みなさん、こんにちは。 夏真っ盛り、そろそろ2年分の夏を取り戻したいゆうりです。   今回、お届けするのは、日本100名城の54城目、         No.38岩村城です。 …… more   登城日は平成29年12月末です。   以前お届けした伊賀上野城のように、明知鉄道に乗りながら、岩村城を訪れました。 そのため、列車の都合もあり、お城の入り口で引き返さざるを得ませんでした。   このお城は、高取城、備中松山城とともに、日本三大山城と呼ばれているお城です。   時間が許すならば、再度訪れたいお城です。     さて、おんな城主というフレーズは、 大河ドラマを思い出すことかと思います。 しかし、今回お届けするのは、彦根城とも関わりが深い井伊さんではありません。   あの、織田信長の御親族です。   少しばかり、長いですが遠山氏の歴史を紐解いていきましょう。   戦国時代、この岩村城の城主遠山氏は織田信長の父信秀の頃から、婚姻関係を結んでいました。   この岩村城があった地は、平安時代後期の歴史書に遠山荘として記されているほど、歴史ある地です。   教科書に名を残すほどの偉人、梶原景時の親友、加藤景廉が平家滅亡後、この地を与えられました。 加藤景廉さんも源頼朝、伊豆以来の忠臣ですから、偉大な人物です。教科書に載るか否かは、北条氏と仲が良かった(目をつけられた)か否かの違いでしょうか。   そんな、加藤景廉さんが平家滅亡後に与えられたのが、遠山荘です。そこから、遠山氏の歴史が始まりました。     この遠山一族が、岩村城が、歴史の表舞台に現れるのが、武田信玄による侵攻です。 岩村城主遠山景前が周囲と関係を深める中で、織田信秀との婚姻関係を結びました。しかし、遠山氏は遠山景前の死もあり、武田氏に下ります。   永禄8(1565)年には、織田信長と武田信玄が激突。 その後、織田信長は、遠山直廉(景前の三男、信秀の娘と婚姻)の娘、つまり信長の姪を武田勝頼と婚姻させることで、武田氏と同盟を結びます。   岩村の遠山景任(景前の長男・妻は信長の叔母おつやの方)、直廉が両者をとりもったとされています。   しかし、こうした平和は長くは続きませんでした。 武田信玄は京へ上ります。 対する織田信長は、同盟を破棄し、遠山一族を織田方に組み込みます。きっかけとなったのは、遠山景任、直廉兄弟の病死です。   この際、信長の5男勝長を岩村遠山氏に養子として、送り込み、おつやの方が後見人となりました。 ここに、おんな城主が誕生することになったのです。   遠山氏が、織田方に寝返ったため、武田信玄はすぐさま兵を送り込みました。その結果、岩村城は開城。武田軍の総大将秋山虎繁は、おつやの方と婚姻することで、この地を手に入れました。   あとは、歴史が物語るように、長篠の戦いで大敗した武田軍は、次々と諸城を陥落させ、武田を滅亡させました。   岩村城も落城し秋山虎繁、信長の叔母であるおつやの方も捕らえられました。二人は助命されると思われていましたが、磔にされてしまいます。     そんな、おんな城主おつやの方を大々的にアピールしているのが岩村城城下町です。   明智鉄道岩村駅から、山へ向かって歩いていくと、 途中から商店が増え始めます。     岩村城の城下町です。 途中の曲がり角に神社仏閣、歴史的な建物、少しの登り坂。 まさしく、山城のある城下町のそれです。 ここまで、駅から10分弱かかりました。   駅から歩くこと20分ほど。 商店の立ち並ぶ道を一本横にそれて、細い川を渡ると、   やっと着きました。 一枚目の写真です。 復元された藩主邸です。   さすがに、普段から山城に住まうのは非効率的なので、江戸初期に麓に作られました。   そして、スタンプを設置しているのが、藩主邸のすぐそばにある 岩村歴史資料館です。   この記事に書かれていることは、この資料館で学んでことになります。   この先の道を行けば、数多の石垣が織りなす、大規模な城郭が姿を表しますが、本数の少ない明知鉄道。   お昼の時間が近づいているので、そろそろ戻ります。 この位置でも十分景色を堪能することができます。       岩村城は、武田氏が滅びた後、河尻、団、森(家臣各務兵庫)と城主が入れ代わります。岩村城は、時代ごとに拡張されていき、関ヶ原の戦いの功績で、大給松平家乗が城主となり、近代城郭へと生まれ変わりました。   大給松平、丹羽、大給松平と藩主が変わり明治維新を迎えます。   武田家最後の激戦地、高遠城でも感じましたが、城下町として栄えた地が、ひっそりとしているのは、趣があり、観光客が絶えないかと思いますが、歴史の悲しさも感じます。   そんな、歴史のある1ページを刻んだ街が、明知鉄道の終点。明智駅にあります。     日本大正村です。   テーマパークというよりも、街の中に大正期の建物をたくさん残してある形です。 各施設で入場券を買って、散策してみます。   時代としては、明治と昭和に挟まれた、ある意味では影の薄い。(失礼は承知です。祝日は残りませんでしたね。) しかし、憲政でみると、大正デモクラシーという、一つのピークを迎えたような時代でした。   モダンな建物、きらびやかな衣装。 どれも心躍ります。     このような建物に足を踏み入れることができるのは、とても素敵です。幸せいっぱいの時間でした。   明知鉄道に乗り、恵那駅まで戻ります。 名古屋方面との接続はあまり良くなく、駅の待合室でのんびりと待ちます。     もう少し接続が良ければ、岩村城の山頂付近まで行けた気がします。まぁ、嘆いても仕方がありません。 何度も、そして、よくあることです。   ☆お城データ☆ 城所在地:岐阜県恵那市 交通手段:明智鉄道岩村駅より徒歩20分 スタンプ:岩村歴史資料館   お城巡りランキング   では、4連休にお届けできることを願って。 close

信長に歯向かうおんな城主「岩村城」と明知鉄道
サイト名 ゆうりの世界
タグ 日本100名城
投稿日時 2021-07-18 15:00:02

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