鉄壁の守り「熊本城」の詳細

鉄壁の守り「熊本城」
ゆうりの世界
ページの情報
記事タイトル 鉄壁の守り「熊本城」
概要

JUGEMテーマ:お城   この記事が投稿されている頃は、 すでにウエストエクスプレス銀河に乗車している頃なのでしょう。   時間が出来たら、乗車記も書きたいと思います。   さて、こんなゆうりが本日お届けするのが、 日本100名城…… more の48城目、       No.92熊本城です。   登城日は平成30年8月中旬です。   熊本地震で被災した熊本城です。 ゆうりが訪れた際は、城下町が整備され、数々の催しをしておりました。 遠目からお城を見ることができたと思います。   このお城へ来たのは、記憶にある限り2回目。 最初は、入場時間に10分ほど間に合わなくて入れなかったのです。 その後、地震で被災したと知り、激しく後悔した地でもあります。   本日は、そんな熊本城について、少し古いものではありますが、見ていきたいと思います。   現在(令和3年2月時点)、熊本城は復興中です。 特別観覧等も行っているそうですので、機会があったら訪れてみるのも良いかもしれません。   熊本城を訪れたら、桜の馬場 城彩苑へ訪れることになるでしょう。 駐車場や、お土産屋さん、それにミュージアムも完備した復興中の熊本城を深く知れる場所です。   特に、熊本城ミュージアムわくわく座はとても面白い。 現在は簡単には入ることができない熊本城の様子が分かります。 多様な体験もさせてくれる幸せな場所です。   また、城彩苑から階段を登っていくと、   1枚目の写真である熊本城未申櫓が見えます。 こちらは、二層三階の隅櫓で、2003年に復元されたものです。   なんとか本震を耐えきってこの雄姿をとどめています。     城彩苑からもこのようにその姿を見ることができます。   熊本城の本丸に近づいていくと、     まだ、立ち入り禁止の看板が。 まだまだ、復興には時間がかかりそうです。   一周回るコースもありましたが、ここらでお時間です。 名残惜しいですが、次のお城が待っています。   さて、この熊本城は、幾度となく危機に瀕してきました。   熊本城自体は、南北朝時代にその存在が文献に記されています。 千葉城や隈本城と呼ばれていて、肥後守護菊池氏の配下である出田氏や鹿子木氏が入っていました。   名門菊池氏が滅び、鹿子木氏が没落すると、城氏が隈本城主となります。しかし、30年ほどで豊臣秀吉の九州征討により城氏は降伏します。   隈本城には、肥後一国(人吉城の球磨郡を除く)を拝領した元富山城主佐々成政が入城します。 しかし、佐々成政は、検地を強行して国衆一揆が起こり、改易、切腹。   加藤清正が肥後半国19万5千石の領主となります。 豊臣秀吉の死後、加藤清正は新しい城を茶臼山に築きます。 それが、現在の熊本城です。   関ヶ原の戦いで、小西行長が失脚。 肥後一国(球磨郡を除く)を拝領した加藤清正は、1607(慶長12)年、鹿児島城主島津氏を仮想敵とした熊本城を完成させます。その際、隈本から熊本に改名したとされています。   しかし、加藤清正は大坂の陣の直前に急死してしまいます。 二代目、加藤忠広の時代のことです。 1625(寛永2)年、地震により石垣や天守に被害が出ます。   藩主が細川氏に代わったのちも、地震や台風の被害が連続します。 そのため、細川氏は、江戸幕府に修繕の許可を得て、次々に普請を行います。 その数は、石垣だけでも15回修繕されています。   工事は江戸時代を通じて行われ、次々に拡張されていきました。 現在の広大な熊本城が残されたのは、災害からの復興と、細川氏や藩の領民の尽力によるものなのです。   江戸時代が終わると熊本城には、運命の明治維新が待ち受けていました。 よくある例で、熊本城は帝国陸軍の司令部が置かれることになります。   その際、一部の建物が破却。 さらに、日本最後の内戦と呼ばれる西南戦争が勃発します。   加藤清正が想定した通り、南から島津勢が攻めてきたのです。 当時の熊本鎮台司令長官谷干城や、当時、参謀で日露戦争の英雄児玉源太郎の活躍、何より南からの侵攻を想定した熊本城の防御力により西郷軍を諦めさせます。 しかし、熊本城の被害は甚大でした。 原因不明の出火(鎮台側の自焼説もあり)や城下町が戦場となったこともあり、かなりの部分が焼けてしまいました。   さらに、1889(明治22)年には金峰山地震により石垣などに甚大な被害が出ます。 しかし、これは明治政府が修復します。 西南戦争での活躍が大きかったからと言われています。   昭和8(1933)年には無事に残った宇土櫓ほか12棟が国宝に指定され保存されることになります。 先の大戦では、奇跡的に消失を逃れ、国宝は国の重要文化財へと名称を変更。 現在に伝えられています。   平成に入ってからは、建物が木造で復元され、以前の活気を取り戻しつつたった熊本城ですが、 2016年の地震で大きな被害を受けてしまいます。   何度も危機を乗り越えてきた熊本城です。 何年かかるかはわかりませんが、きっとその雄姿を取り戻してくれるでしょう。   ☆お城データ☆国重要文化財宇土櫓他12棟 城所在地:熊本県熊本市 交通手段:熊本城・市役所前電停より徒歩 スタンプ:桜の馬場城彩苑総合観光案内所   お城巡りランキング   できれば、明日、速報を出したいとは思っていますができるのでしょうか。   close

鉄壁の守り「熊本城」
サイト名 ゆうりの世界
タグ 日本100名城
投稿日時 2021-04-23 22:20:02

「鉄壁の守り「熊本城」」関連ページ一覧

新着記事一覧

<打込み接・布積み(関八州)> 江戸城、小田原城、佐貫城


シロスキーのお城紀行
「石・石塁・石垣シリーズ」は、昨日から、下記の分類表「①②-(4)打込み接・布積み」の石垣を導入しているお城を、再び日本の北から南にかけてご紹...
シロスキーのお城紀行
2022-09-26 01:00:04

中城城 日本100名城 沖縄 路線バスで行く世界遺産5城 5-4


hachiの日本100名城 続日本100名城 お得な切符で行く 鉄道・バスの旅
 ◆中城城 三の郭の石積 またかなり間が空いてしまいました。引き続き3月中旬に久々に沖縄、世界遺産5城を2泊3日で路線バスを利用して...
hachiの日本100名城 続日本100名城 お得な切符で行く 鉄道・バスの旅
2022-09-25 14:40:05

<打込接・布積み(奥羽・出羽)> 弘前城、盛岡城、仙台城、会津若松城


シロスキーのお城紀行
「石・石塁・石垣シリーズ」は、「①②-(3)打込み接・乱積み」を日本の北から南まで展開しているお城の写真をお届けしてきましたが、昨日で一応終了...
シロスキーのお城紀行
2022-09-25 02:00:03

讃岐小豆島 星ケ城  西峰と東峰から成る素晴らしい眺望の山城


久太郎の戦国城めぐり
讃岐小豆島 星ケ城 (香川県小豆郡小豆島町安田・星ケ城山) <県指定史跡> <ちょっと小豆島まで行ってきます・②>坂手港から安田館を訪問した後...
久太郎の戦国城めぐり
小豆島の城めぐり
2022-09-25 01:40:03

第439回:江馬氏下館(北飛騨における江馬氏の繁栄を示す城館跡)


こにるのお城訪問記
訪問日:2021年11月江馬氏下館(えまししもやかた)は岐阜県飛騨市にあった城館です。江馬氏城館跡の一つとして国史跡に指定されています。北飛騨の雄...
こにるのお城訪問記
岐阜県の城郭
2022-09-25 01:20:03
;