<丹後田辺城、園部陣屋>の”二重櫓”を巡るの詳細

<丹後田辺城、園部陣屋>の”二重櫓”を巡る
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記事タイトル <丹後田辺城、園部陣屋>の”二重櫓”を巡る
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只今、「全国の“二重櫓”を巡る」をテーマで、「現存」と「復元・復興・模擬」の「二重櫓」の多様性(構造、形式、用途、目的、名称等)を実感しながら、北から南に向けてお届けしています。 本日は第14弾「丹後田辺城 本丸隅櫓」「園部陣屋 巽櫓」の2基です。 ①「丹後田…… more 辺城 本丸隅櫓」(京都府舞鶴市)、木造の模擬櫓 丹後国は、「山名家」「一色家」が守護を務めますが、西の「毛利家」の勢力を抑えるべく「織田信長」は「明智光秀」と「細川藤孝」に命じて完全支配を行い「藤孝」に統治させます。 「本能寺の変」で「藤孝」は隠居して「田辺城」に入り、豊臣政権下でも安堵されます。関ケ原の戦いでは東軍に参加して「田辺城」に籠城し西軍1万5千人を相手に奮闘、その健闘により「細川家」は豊前に移封となり、替わって「京極高知」が入城してお城の拡張を行いますが、その後「牧野家」が入り幕末・維新迄続きます。 現在「本丸」跡の北西隅に「本丸隅櫓」が建ちますが、その場所には櫓が建っていたという史実や絵図はありません。 1940年という早い時期に、舞鶴出身の実業家であり政治家であった「有本国蔵」氏の寄付によって、その場所に多聞櫓を伴う二重の「隅櫓」が木造で建てられ、中は「彰古館」という名称の資料館になっています。 外観は、「白漆喰総塗籠め」で一重目の北側と南側に千鳥破風を付けています。 模擬「本丸隅櫓」模擬「本丸隅櫓」と手前に模擬「多聞櫓」(続櫓)が付随(東方向から)模擬「本丸隅櫓」と復興「大手門」(南方向より)   ②「園部陣屋 巽櫓」(京都府南丹市)  京都府暫定登録文化財指定の現存櫓 戦国時代の歴史は定かでなく「波多野家」の家臣が居城していたが「明智光秀」等に攻められ落城したとか。 1619年に「小出吉親」によって築城、無城主格だったので「小麦山」山麓に「御屋敷」と少しの「櫓」を築いてそこに居城し、幕末まで「小出家」が統治します。 しかし、幕末・維新にかけて勃発する「戊辰戦争」下、「小出家」は京都防衛の為との理由で「明治新政府」に陣屋増築を願い入れ1868年~69年にかけて、「巽櫓」「小麦山櫓」、三棟の「櫓門」等が増改築され、城の様相となりました。日本最後に建てられた「城」となりました。 その「巽櫓」は、江戸初期に建てられた櫓だそうで、幕末に前述した「櫓門」や他の櫓が加わりました。「巽櫓」の北側には大筒が打てる「櫓門」と「番所」が建てられたようです。 壁は「白漆喰総塗籠め」、一重目の東西に「千鳥破風」を設け、軒が大きくせり出しながら屋根先が反りあがる形で寺社風建築の様相を見せます。 現存「巽櫓」(北西方向から)現存「巽櫓」(西方向から、屋根が寺社風で特徴ある)現存「巽櫓」(南西方向から、左奥に「番所」が見える)現存「巽櫓」(北西方向から、手前は明治維新時に入り建てられた「櫓門」)現存「巽櫓」(北東方向から、「櫓門」前から「土塀」越しに) 同市内の「安楽寺」に「太鼓堂」として当陣屋の「太鼓櫓」が移築されていますが、屋根の形状がよく似た寺社風屋根になっていますので、参考のために写真を掲載しておきます。 移築された「太鼓櫓」(現 「安楽寺太鼓堂」、こちらの屋根も寺社風)  下記バナーのクリックをどうぞよろしくお願いいたします。お城巡りランキング こちらのバナーのクリックもどうぞよろしくお願いいたします。にほんブログ村    close

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投稿日時 2021-03-01 15:00:02

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