前山城(長野県)の詳細

前山城(長野県)
むぎの城さんぽ
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記事タイトル 前山城(長野県)
概要

【前山城】まえやまじょう 【別名】伴野城 【構造】山城 【築城者】伴野光利 【築城年代】1583年(天正11年) 【指定史跡】市指定史跡 【場所】長野県佐久市前山 地図 前山城は、伴野城とも呼ばれ野沢館とは別に伴野氏の本城としていました。 伴野長朝から10代の子孫、伴野佐渡守光…… more 利が前山城を相続したとされています。 天文17年に武田信玄により攻略され武田氏に下ると、 武田軍の佐久平定の前線基地として重要な役割を果たしていました。 前山消防団詰所 旧前山小学校の前山消防団詰所に駐車して、大手から登ることにしました。 この辺りは元禄時代には、幕府の代官屋敷があった場所でもあります。 周辺は城下町の雰囲気を今に残す佇まいです。 この通りに登城口と案内看板があります。 登り口 看板のある民家の間を通って行くルートが大手道です。 案内看板 文字がだいぶ薄くなってしまっており、これは読めるうちに文字起こししておかねば! 「前山城跡は、蓼科山の一支脈の突端に位置し、本丸、二ノ丸、三ノ丸がほぼ一線につらなっている。 北方は断崖の下を中沢川が流れ、東、南の二方は急傾斜で曲輪を設け、さらに屋根筋は堀切によって防禦線を構成している。 鎌倉、室町の両時代を通じて、佐久郡西部に威をふるった伴野氏は、伴野庄の地頭として当初は野沢館に據ったが、 室町中期にいたって、詰めのとして前山城を構築し、後には本據をこの城に移した。 天正一〇年(一五八二)前山城に芦田信蕃に攻められ、城将伴野信守は討死し、兵火に焼かれて落城した。 城跡はいまもほぼ旧態を完全にとどめているうえ、焼米その他の遺物が所どころから出土する。」 と書かれています。 大手道 この先から山を登ることになります。 突き当たると山道があります。 このまま迷うことなく九十九折れの小道を登って行きます。 わりと斜面がきついので息切れがしはじめます。 東と南の斜面にはいくつもの郭が階段状に並んでいます。 笹のトンネル、幻想的と言えば聞こえが良いですが…ただの藪です^_^; 虎口 主郭虎口です。 主郭 南北に細長い平地になっています。 西の集落へと続く道があります。 豊受大神宮 豊受大神宮は、衣食住、広く産業の守護神である豊受大御神をお祀りする神様です。 物見 主郭北側が一番高所で突出しています。 ここからは佐久平が一望できることから、物見であったと考えられています。 眺望 正面の山にある、内山城や、平賀城を見ることが出来ます。 米倉 主郭の南側は尾根上に段々と郭が並んでいます。 一段下がったこの場所は「米倉」と呼ばれる場所で、焼米などが出土されています。 米倉で振り返ったところです。 大堀切 米倉の先が大堀切です。 ここで主郭を含む主要部分と大きく切って防御しています。 この堀底は通路としても使われており、この堀から東側(化粧水)への道となっています。 二の郭 こちらも細長い郭です。 この二の郭は、主郭下の大堀切から、お墓のある現在では浅くなってしまっている 堀切までが独立した一郭とも考えられています。 浅い堀切と、二の郭への枡形虎口を構成された場所で、 墓地脇から水場のある城下の里へ通じる道があります。 堀切 墓地から更に尾根を進むと、更に二条の堀が待ち構えています。 武者溜 二条の堀の間には「武者溜」が置かれています。 南側からの侵入を防ぐ最前線となります。 土塁 武者溜の南側には土塁があり、武者を隠す役割もあったのでしょうか。 堀切 この堀切までが城域とされています。 城域の先は更に尾根伝いに搦手道が続きます。 ここまで来ると、軽自動車1台分ほどの道幅になります。 伴野城根踄道橋 まだ新しい歩道橋には伴野城の文字が刻まれています。 前山城へ行くための橋としか思えない橋があります。 橋の下は中部横断自動車道が通っています。 もう少しズレていたら、城址を削り取られてしまうところでした。 ギリギリセーフです。 ここまで車で入って来られそうなのですが、この先は残念ながら今のところ 倒木で通行止めとなっていました。 という訳で、橋を渡ってその先の様子を確認したところで 折り返しました。 帰りは、橋の袂から尾根を歩いて二の郭手前のお墓の所まで戻ることに。 化粧水 墓地のあったところから下って来ると、「化粧水」という水場に出ます。 大きな岩場の下から水が沸いています。 五輪塔 奥の方には中世の五輪塔も見えます。 化粧水から下は城下の暮らしの場となり、居屋敷跡や神社仏閣など配されています。 泉福寺跡 かつてこの地に泉福寺がありました。 ここにあった泉福寺は、明治時代に前山寺と一緒になっています。 ここを下ると一帯は城下の屋敷跡となります。 このあたりにはかつて竜岡屋敷があったとされ、町割りの名残も良く残しています。 伴野神社 若宮八幡社は、前山城の鬼門除けに祀られていましたが、 文化年間吉田家より諏訪社と若宮八幡社を合祀し、伴野神社と改称しました。 また、この鳥居の隣にも水場があります。 前山寺 お寺で参拝していると、こちらの住職に「御朱印ですか?」と声を掛けられ 前山城を見に来たことを話すと、社務所に案内していただきしばしお話をしました。 こちらの住職の話によると、現在は中断されていますが将来的には 前山城への道と駐車場を整備して上田の太郎山系のように周辺の城址を巡る遊歩道の建設を計画しているとのこと。 すぐにとはいきませんが、これは期待したいお話です。 水場 前山寺の庭にも水場があります。 こちらの水は、湧水ではなく水野甚十郎という者に水番をさせたという伝承も残る 上部の甚十窪から水を引いてきているとのことです。 西の登城口 もうひとつ、前山城への登り口を紹介しておきます。 こちらは前山城西の集落からの登城口です。 この先工事中で通行止めになっていたので、ガードマンさんに前山城の登り口を伺ったところ、 この橋を渡って山道を登ると行けると教えて下さいました。(ありがとうございます) ここは傾斜がキツイということだったので、大手道から登ったのですが この道は主郭へ続く道で、見上げると主郭が見える位置にあるので一番の近道のようです。 おまけ 前山寺からに南西に進み、中部横断自動車道を潜った先に続く林道です。 こちらの林道が、前山寺の住職さんから教えて頂いた、後の遊歩道となり、近くまで車で行けるよう 建設を予定しているという道ですが、現在は先ほど城址側から行った通り倒木で通行不可のため 通行止めになっていました。 通行止めが解除になれば城下から斜面を登らずに楽ちんに尾根を進むことが出来るので 入口だけ紹介しておきます。 早く通行止めが解除になると良いですね。 令和2年11月21日登城 今回の参考本 信濃の山城と館1 佐久編 縄張図・断面図・鳥瞰図で見る宮坂 武男戎光祥出版 甲信越の名城を歩く 長野編克昭, 中澤吉川弘文館 close

前山城(長野県)
サイト名 むぎの城さんぽ
タグ 百名城以外の城
投稿日時 2021-02-01 11:00:02

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