津田城 : 河内・大和・山城の国境に位置する山中の陣城跡かの詳細

津田城 : 河内・大和・山城の国境に位置する山中の陣城跡か
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記事タイトル 津田城 : 河内・大和・山城の国境に位置する山中の陣城跡か
概要

津田城は大阪東部、枚方市の国見山に築かれていた中世山城。河内(東大阪)・大和(奈良)・山城(京都)の境目に近く古くからの要衝の地だったことから、戦国期には三好三人衆や松永久秀らが敵国への侵攻拠点として利用した記録が残る。比高215mの国見山山頂に土塁や虎口、土橋状の細尾根や狭い削…… more 平地など当時の痕跡が残るものの規模は小さく、一時的な陣城・砦だったのかも知れない。津田周防守正信による15世紀末頃の築城と伝わる。資料によると鎌倉時代には山岳寺院があり、その構造を利用したものとも言われる。現在は土塁の先端は展望所となり、そこまでの道のりはハイキングコースとして整備されている。 <基本データ>●名称:津田城●所在:大阪府枚方市津田 (地図)●城主:津田周防守正信?、松永久秀、三好三人衆●築城:15世紀末●遺構:土塁●時間:30分(0900-0930)●参考:戎光祥出版「近畿の城郭I」 訪問時期:2017年1月 津田城跡 <訪問記> 津田城跡の残る国見山(津田山)はハイキングコースとして整備されている。こちらが登山口。地元の学生がトレーニングコースに使っているようで何人もの学生が走って通り過ぎていった。植林された山中をあがっていく。ハイキングコースとして整備されているので道は広く平らで歩きやすい。登り始める前に突然あらわれた、中世山城っぽい雰囲気の場所。当時も柵はあっただろうが、こんなに細かったらすぐ倒されてしまうので、もっと太い木を使っていたと思う。でも雰囲気は出ている。道の左右にわずかに残る土塁跡。土塁に建てられていた手作り看板。”まぼろしの城” 津田城は、国見山城・本丸山・古城・城坂砦を総称して言うと伝えられています、とある。国見山城は今から登るところ。本丸山は宅地化で削られ消滅した山麓の丘城跡。そしてここが城坂砦跡だとか。古城は不明だが、山麓の住宅街に古城公園という場所があったのでそのあたりだろうか。上から見ると、緩やかだが斜面を土塁が遮蔽し、内側は削平され兵が駐屯できる構造になっており、ちょっとした防衛施設と言って良い場所になっている。城坂砦跡を越えて更に奥へ。杉林の植林ですごい雰囲気だが、谷底道を山頂に向かって上がっていく。10分ほど上がると何やら人工的に盛られたような場所へ。ここが津田城跡のようだ。城の内側からだからか、あるいはハイキングコース整備のためか、境界線が分かりづらい。真ん中のハイキングコースを作るために削ったのだろう、左右の段が本来は繋がっていて一つの曲輪(主郭)になっていたと思われる。内側から。左右の高さが違うように見えるが、左側は土塁のように盛り上がっており、その奥は右側と同じ高さだった。中央の道を作るために削ってしまい、左右2つの曲輪みたいになってしまった。真ん中の道の左右は土塁のように盛り上がっており、最初は土塁かと思ったが。。。ここは津田城跡の主郭跡とされる場所で、周囲を高い土塁で囲まれた方形の広い曲輪になっている。それゆえ、真ん中に一段低い道が通っているのはおかしく、後世の改変とされている。土塁の脇に津田城跡の手作り看板があった。奥には土塁の切れ目(虎口)が見える。先端部は土塁が切られており、平虎口になっている。右側は自然地形っぽいが、左側は人工的な土塁だ。結構高い。左側の土塁を見てみる。端っこが少し盛り上がっており、物見の建物でもあったのだろうか。こちら側は南にあたり、城のある河内国から、南の大和国を睨む位置に当たる。対大和(松永久秀)を意識した作りか。土塁の上から虎口を見下ろす。結構な高さ。反対側の土塁の上には、虎口の外側から階段が作られてカンタンに上がることができるようだ。後ほど登ってみよう。虎口を出て南側を見ると、左右が谷のように落ち込んだ細い土橋状の尾根道になっていた。土塁の高さといい、ここが大和から河内への山中越境ルートだとすると、堅固な砦だっただろう。虎口外側あたりにあった展望に関する説明板。今から約500年前、津田周防守正信が築いた津田城があったといわれています、とある。最近の研究では津田氏は伝承によるもので、松永や三好ら近畿の覇権を争った戦国期の勢力に利用された地であったとされている。では虎口向かって右側の土塁の上へあがってみよう。階段の段数から、先程の主郭跡からはかなりの高低差があるようだ。コチラ側は土塁というより自然地形を利用したものだろう。主郭西側の土塁上へ。向かって右側斜面下が主郭跡、左側は急斜面でそのまま山麓まで続く。土塁の先端は北側・西側の眺望が開けており、眼下には河内国北部、今の枚方市内が一望できる。高いことは高いが、ちょっと山奥なので、枚方の平野部はちょっと遠かった。土塁先端部にあった国見山の展望 説明板。では山麓に降りて、かつて本丸山城・古城があった丘跡の住宅街の一角に残る、津田城主と伝わる津田周防守正信の碑があるので見に行ってみよう。こちらが津田周防守正信之墓とその説明碑。津田周防守正信について。津田氏の初代城主で国見山に居城を築き活躍した人物、とある。碑によると文亀三年(1503年)に87歳で没し、津田城の搦手に当たる「いばら谷」を下ったたんまの芝生(しげお)の墓に葬られ、馬場谷に移され、更にここ古城(ふるじょう)に移された、とある。津田氏は4代まで津田を統治したが天正三年(1575年)織田信長の軍勢により平定、勢力を失ったとある。松永久秀や三好三人衆は出てこない。 訪問時期:2017年1月撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF10-24mm ページの一番上に戻る close

津田城 : 河内・大和・山城の国境に位置する山中の陣城跡か
サイト名 城めぐりチャンネル
タグ お城
投稿日時 2020-11-27 15:40:02

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