奥沢城 (東京都世田谷区)の詳細

奥沢城 (東京都世田谷区)
いざ、城跡へ
ページの情報
記事タイトル 奥沢城 (東京都世田谷区)
概要

奥沢城 【築城年】天文~永禄年間(1532~1570) 【築城者】吉良頼康 【遺構】郭・土塁 【形態】平城 【別称】なし  【歴史】奥沢城は、戦国時代の天文~永禄年間(1532~1570)に吉良頼康が、居城である世田谷城の支城として築いた平城です。世…… more 田谷城から見て当城は南に5キロメートルの場所に位置し、吉良氏の重臣の大平氏が城代として在城していました。 吉良氏は、室町幕府将軍の足利氏の一門に当たり、室町時代には鎌倉公方家に仕えた家ですが、小田原の後北条氏の勢力が拡大すると、その傘下に組み込まれます。特に吉良頼康は、北条氏綱の娘を迎える事で一門衆としての待遇を受けるようになるも、養子の氏朝の代になると完全に後北条氏の家臣という位置づけになってしまいました。 城は、天正18年(1590)の豊臣秀吉による小田原攻めで後北条氏が滅亡した事により、本城の世田谷城ともども廃城となりました。その後、城跡は荒地のままだったようですが、延宝6年(1678)に九品仏浄真寺が開山され、現在に至っています。 【構造】訪れた時にはわかりませんでしたが、奥沢城が位置する奥沢一帯は、中世においてはなかなかの要害の地だったようです。というのも城自体は、比高6メートルの台地上に築かれ、その周囲は湿地帯であったため、平城といえども外部から攻めにくいものでした。城の縄張り自体は方形の居館形式という単純な造りでしたが、それを湿地帯という特異な環境でカバーしていたといえるでしょう。 現在、城跡は先述したように九品仏浄真寺の境内となり、城を囲んでいた土塁の一部が残されています。 【感想】一部だけではありますが、世田谷城と同様に土塁が残る城。遺構のほとんどがが壊滅している東京23区内の中世城館の中では、遺構がかなり良好に残っている部類だと思います。 【住所】東京都世田谷区奥沢7丁目41 【交通アクセス】東急電鉄大井町線九品仏駅下車徒歩5分。九品仏浄真寺が目印です。 ↑九品仏浄真寺境内江戸時代に建てられた山門や本堂が見られます。 ↑土塁往時より削平はされていますが、このような感じで土塁が残されています。残念ながら土塁上に立ち入る事はできません。 ↑鐘楼と土塁鐘楼は宝永5年(1708)の建立。背後に土塁が続いているのが見えます。 【訪城年月】平成28年(2016)3月 close

奥沢城 (東京都世田谷区)
サイト名 いざ、城跡へ
タグ
投稿日時 2020-09-20 04:20:19

「奥沢城 (東京都世田谷区)」関連ページ一覧

新着記事一覧

<打込み接・布積み(関八州)> 江戸城、小田原城、佐貫城


シロスキーのお城紀行
「石・石塁・石垣シリーズ」は、昨日から、下記の分類表「①②-(4)打込み接・布積み」の石垣を導入しているお城を、再び日本の北から南にかけてご紹...
シロスキーのお城紀行
2022-09-26 01:00:04

中城城 日本100名城 沖縄 路線バスで行く世界遺産5城 5-4


hachiの日本100名城 続日本100名城 お得な切符で行く 鉄道・バスの旅
 ◆中城城 三の郭の石積 またかなり間が空いてしまいました。引き続き3月中旬に久々に沖縄、世界遺産5城を2泊3日で路線バスを利用して...
hachiの日本100名城 続日本100名城 お得な切符で行く 鉄道・バスの旅
2022-09-25 14:40:05

<打込接・布積み(奥羽・出羽)> 弘前城、盛岡城、仙台城、会津若松城


シロスキーのお城紀行
「石・石塁・石垣シリーズ」は、「①②-(3)打込み接・乱積み」を日本の北から南まで展開しているお城の写真をお届けしてきましたが、昨日で一応終了...
シロスキーのお城紀行
2022-09-25 02:00:03

讃岐小豆島 星ケ城  西峰と東峰から成る素晴らしい眺望の山城


久太郎の戦国城めぐり
讃岐小豆島 星ケ城 (香川県小豆郡小豆島町安田・星ケ城山) <県指定史跡> <ちょっと小豆島まで行ってきます・②>坂手港から安田館を訪問した後...
久太郎の戦国城めぐり
小豆島の城めぐり
2022-09-25 01:40:03

第439回:江馬氏下館(北飛騨における江馬氏の繁栄を示す城館跡)


こにるのお城訪問記
訪問日:2021年11月江馬氏下館(えまししもやかた)は岐阜県飛騨市にあった城館です。江馬氏城館跡の一つとして国史跡に指定されています。北飛騨の雄...
こにるのお城訪問記
岐阜県の城郭
2022-09-25 01:20:03
;