白旗城 [3/5] かつて多くの建物が建ち並んでいたであろう本丸・二の丸・三の丸へ。の詳細

白旗城 [3/5] かつて多くの建物が建ち並んでいたであろう本丸・二の丸・三の丸へ。
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記事タイトル 白旗城 [3/5] かつて多くの建物が建ち並んでいたであろう本丸・二の丸・三の丸へ。
概要

白旗城 訪問記 其の三。 [前回までの訪問記 概要]登山口から登城。岩がゴロゴロしている「岩海地形」の登城路を頑張って登っていく。登城口から約50分かけて岩海地形の谷が終わり尾根上へ。かつての磐座跡の櫛橋丸を見て、二の丸へやってきた。其の三ではここから更に奥へ進み、本丸へと…… more 向かいます。 訪問時期:2020年5月 / 2019年1月白旗城 訪問記 − 其の一、二、三、四、五。 <訪問記> 白旗上の中央部で最も広い削平地を持つ伝二の丸跡・第二郭へ。今までの細尾根の印象だった白旗城都はかなり違う。平面図再掲。今は中央部の二の丸の入口(左端)に居る。ここから図の右側(東)へ尾根伝いに進み、馬場丸から本丸へと向かう。二の丸から下(南)へ伸びている郭群へは、一旦奥へ行ってから帰りに向かいます。二の丸の奥には一段高く削平された基壇のような場所がある。ここに一番格の高い建物が建っていたか。一段高いところから、二の丸西方面を見返す。広い。段部の入口は、地面がゆるくなりすぎていてよく分からなかった。二の丸北東部。下の段が細くなって帯曲輪のようになっている。其の向こうは断崖。二の丸基壇から東方面を見る。馬場丸と呼ばれるところ。たいてい細長い郭があると馬場と呼ばれてしまう。馬場丸入口あたりから、二の丸を見返す。右側の斜面の角度はかなり急で登れ無さそうだ。馬場丸を過ぎて東へ向かう。このあたりもしっかり削平されている。馬場丸から奥の一番高いところにある本丸へ上がる手前のあたりは、平面図によると、桜門(伝)と書かれていた。向かって右側(南)から上がってくるラインがありそうな感じにも見える。手前右の盛り上がり(土塁)の手前か奥あたりに門があったのだろうか。本丸へと上がるスロープのような虎口構造を持つ場所へ。特に右側の土塁はしっかりと残っていた。当時は立派な入口だったに違いないと思わせる。そして本丸への入口部分。右側を回り込んでいくと、本丸の南側に伸びる小郭群へとつながるようだ。白旗城 本丸跡。二の丸より随分狭いが、削平はかなりしっかりとされている。そして城下から見えた「本丸の切込み」。底に向かって巨大な説明板も設置されている。上を向いているので雪が降ると積もって読めない。樹木の切れ込みから城下を見下ろす。駐車場や「円心の里」石碑なども見える。国史跡・白旗城跡案内板。概要と年表、平面図などが掲載されている。年表は建武三年・円心築城に始まり、嘉吉元年・嘉吉の乱で落城か?と書かれ、その後は守護代・浦上家とのやりとりで登場する旨が書かれている。書かれていないが、確か上月城の戦いでも尼子方についた赤松一族が戦後に白旗城に籠ったという記録があったように思う。本丸の最奥に建てられている「白旗城址之碑」。大正時代のもので、鉛筆型。本丸の奥、東側には、こちらにも削平された三の丸がある。降りてみよう。三の丸入口あたりから本丸を見返す。やっぱり狭い。では三の丸へ。写真では分かりづらいが、一番奥の三の丸までの間にやや広い郭があり、段郭のようになっている。虎口的な役割を果たしていたのだろう。その段郭から見下ろした三の丸。こちらは結構広い。そして写真では分かりづらいが、一つ上の郭から三の丸へはスロープで降りるようになっている。同じ赤松家(後期)の居城だった置塩城にも似たような構造の場所があることを、現場を見て思い出した。スロープで上下段の郭を結ぶのが赤松流か。三の丸の北西端は、やや飛び出したような場所がある。ここからは城下をまた別の角度で見下ろすことが出来る。そしてその眼下はかなり急角度かつ岩がゴツゴツした斜面になっていて、ここから登ってくるのは骨が折れそうな場所だった。三の丸の東の端には土塁がある。上から見るとこのとおり、ちょっと分かりづらい。ちょっと盛り上がっているぐらいかな、という程度だが。横から見ると、結構ぐぐぐと盛り上がっている事がわかる。そして土塁の裏側は切岸かつ堀切になっていて、土塁と相まってかなりの高さを作り出しているようだ。回り込んで降りてみよう。三の丸東側の堀切。ここが城の東端にあたり、ここと、最初に見た岩盤を削った堀切との間がいわゆる「城域」に当たると考えて良さそうだ。先の案内板も堀切から堀切までを描いていた。これも写真では分かりづらいが、堀切から三の丸土塁側の切岸を見上げる。ここを直登するのは、無理。堀切を斜めから。落ち葉や腐葉土で埋まっているのだろう、この幅と切岸の角度から、まだ2−3mは深さがありそうだ。堀切から回り込むように三の丸へ上がる。この上がり切る直前ぐらいに木戸などがあり、いわゆる平虎口になっていたようだ。ここから入られると本丸の裏側を付かれるので、ここは大事な場所。本丸へ戻ってきた。小さな祠が祀られていた。本丸の南側には、尾根に沿って小さな郭が連続して作られているようだ。木々が生い茂っていそうだったので上から見るに留めた。 続く其の四では、一旦二の丸へ戻り、二の丸の南側に展開されている「侍屋敷」から、更にその下の谷に構築されている巨大石垣群を見に行きます。 >> 白旗城 [4/5] へ続く。<< 訪問時期:2020年5月 / 2019年1月撮影機器:FUJIFILM X-T20 + XF10-24mm ページの一番上に戻る close

白旗城 [3/5] かつて多くの建物が建ち並んでいたであろう本丸・二の丸・三の丸へ。
サイト名 城めぐりチャンネル
タグ お城
投稿日時 2020-06-22 10:20:02

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