白旗城 [1/5] 比高400mにそびえる播磨守護 赤松氏の居城跡の詳細

白旗城 [1/5] 比高400mにそびえる播磨守護 赤松氏の居城跡
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記事タイトル 白旗城 [1/5] 比高400mにそびえる播磨守護 赤松氏の居城跡
概要

白旗城(しらはたじょう)は播磨国守護・赤松氏が最初に拠点とした西播磨の中世山城跡。標高440mの急峻な岩山である白旗山頂部の尾根に群郭が広がる。太平記によれば1336年(建武三年)、赤松円心則村が西進する新田義貞軍を食い止めるべく築城したとある。山腹は花崗岩が散乱する異様な山で、…… more 技巧的な防衛設備は少ないながらもその高さと自然地形により高い防御力を誇ったと思われる。遺構は主に室町期のものと思われる。山上には広い削平地に加え、庭園跡や谷に何段にも築かれた石積み、磐座とも思われる巨石の高台などが残る。 <基本データ> ●名称:白旗城 (Wikipedia) ●所在:兵庫県赤穂郡上郡町 (地図) ●城主:赤松円心 ●築城:建武三年(1336) ●遺構:曲輪、虎口、土塁、石積、堀切 ●時間:5時間分 (9:10−14:10) 訪問時期:2020年5月 / 2019年1月白旗城 訪問記 − 其の一、二、三、四、五。 <訪問記> 白旗城へやってきた。白い看板が目印。谷の向こうにそびえる山上が城跡。樹木に「切れ目」が入っているところが本丸!わかりやすい!白い看板の方へ向かう。駐車場は道の左側、看板の少し手前にある。駐車場のだいぶ手前にある白旗城跡 説明板。置いたら忘れずに戻ってこよう。太平記で描かれるのは、赤松円心が足利尊氏を救うべく、新田義貞をここ白旗城にて50日余に渡って足止めしたという話。その後幕府により播磨国守護を賜り、後に備前・美作を加えた三国守護にまで上り詰める。その間の赤松氏の居城だった場所。戦国期には姫路の北部に位置する置塩城(おじおじょう)へ本城が移るも、赤松氏一族が白旗城に入った記録はいくつか残り、多少の改修とメンテはされていた模様。案内板あたりから白旗城を見る。正面奥の尾根筋に城跡が広がる。一番右側の高い部分が「櫛橋丸」と呼ばれる恐らく磐座跡、そこから左側に向かって二の丸・本丸・三の丸と広がる。では早速登っていこう。獣よけのドアを開けて登山道へ。時間を計ってみよう。ただいま9:30。登山口にある説明板。新田義貞の攻撃を寡兵で50日耐えた逸話から「落ちない城」ということで受験生に人気だとか。麓にも絵馬掛所があるが、やはり本気であやかるなら本丸まで行きたいところ。難攻不落ポイントとして「谷落としの岩」「嘆きの岩壁」が書かれている。忘れずに見よう。登山道を進むと、上りに入る前に、土塁や土壇で区画された広い削平地が広がっている。元は八幡神社があったという。白旗城跡山麓五輪塔群 説明板。白旗八幡社跡地の石碑と五輪塔群。右奥にも見える。結構奥の方にあたる。登山道から逸れていくので迷わないように。一帯はこのように削平と土壇や堀跡などで区画されていた。赤松円心の次男・赤松貞範によって建立された栖雲寺跡。今は埋め戻されているが、6.9m四方の建物基壇跡が出てきたという。しばらく進むと広場に出る。トイレと説明板があり、ここから先がいよいよ登山道となる。ただいま9:43。白旗城跡 説明板。特に書いていないが比高は約400m強ある。今登っているこちら側と、山の反対側の野桑側から登ることが出来るとあるが、分岐点を見る限りでは道が崩壊していて無理そうだった。整備されたこちら側から登ろう。右のぐわミち、と彫られた石仏。一見古いが、上の立体の手の形が近代っぽい。いつ作られたものか分からず。では正面向かって右側の登山道を進んでいこう。右側は谷川となっているが、いずれ合流しこの谷川を登っていくような感じになる。いざ。緩やかだが延々と続く山道をあがっていく。石が露出してゴロゴロしている。最初の休憩所(ベンチ)のところの標柱を見ると、白旗城跡まであと1.1km。その上は五輪塔群まで 0.8km とある。ただいま 9:50。谷筋に人為的に敷き詰めたであろう石段道と、その左右に散らばる岩石群の山道へ。山麓は城下町であったろうから、ここは大手道だったのだろう。元々岩石がこのように散らばって露出している地形だったようだ。しばらく進むと、右側は巨石、左側はなんと石垣が築かれている場所へ。かつての城門などがあった場所かもしれない。じっくり見てみよう。ただいま 9:58。登山口からここまで約30分、トイレからは15分ほど。向かって左側の石垣。角度もあり、折れのような構造も有り、しっかり積み上げられている印象。裏側はなんだかめちゃくちゃに積み上げられた感じ。近代の鹿垣っぽい。果たして実態は?さらに登ると谷筋が細くなり、結構大きな岩石が散乱しているような場所へ。真砂土(まさど)に覆われた花崗岩群が、風雨による浸食で露出した「岩海地形(がんかいちけい)」と呼ばれる場所のようだ。登山口の案内板にあった「谷落としの岩」はこのあたりを指すようで、山上からこれだけの巨石を落としまくって新田軍を撃退というと何だか歴史ロマンを感じるが、投げ落とすには大きすぎるか。巨石が谷を狭める。さらに進むと二番目の休憩所へ。左へ進むのが正解。ただいま10:05。ちなみにこの分岐あたりの左側は巨大な岩盤が露出した「岸壁」がそびえ立っている。これが最初の案内板にあった「嘆きの岸壁」だろう。城は向かって左上にあるのだが、見えているのに岸壁がすごすぎて遠回りせざるを得ない。こういう天然の要害っぷりが白旗城が落とせなかった理由の一つかな。良い写真がなかったので、2019年1月に雪の中登城した際の写真から。左側はずっと岸壁が続いている。こりゃ確かに登れない。途中、登り石垣のような場所も。積み方がめちゃくちゃなので、恐らく鹿垣だろう。結構のぼってきた。岩海は少なくなり、石段がはっきり見えている。往時はこういう感じでずっと下まで続いていたんだろう。視界を左右にやると、登道以外の場所はこのように岩石が散らばった場所もまだまだあった。苔むした石は昔から露出していたもの、白いキレイな風雨などで上から落ちてきたもの、かな。とにかく道以外はこんな感じで、上りづらい。ただいまの時刻は10:20。登山口からここまで約50分、トイレのところから上り道になって約35分かかった。 >> 白旗城 [2/5] へ続く。<< 訪問時期:2019年1月 / 2020年5月撮影機器:FUJIFILM X-T20 + XF10-24mm 一番上へ戻る。 close

白旗城 [1/5] 比高400mにそびえる播磨守護 赤松氏の居城跡
サイト名 城めぐりチャンネル
タグ お城
投稿日時 2020-06-13 02:20:04

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