暗渠と城跡22 岩槻城の天然堀のなごり(元荒川の旧流路)の詳細

暗渠と城跡22 岩槻城の天然堀のなごり(元荒川の旧流路)
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記事タイトル 暗渠と城跡22 岩槻城の天然堀のなごり(元荒川の旧流路)
概要

今回は岩槻城の天然堀だった元荒川の話です。この日は岩槻の総構え(大構え)の更に外側を探索しました。画像は元荒川のかつての流路に位置する暗渠。水の姿はありませんが、この付近には川のなごりが漂います。■暗渠■あんきょまずこの見慣れない文字を説明します。そのまま「あんきょ」と読みます。…… more 「地下に埋設された川や水路」という意味に受け取って下さい。蓋をされて人目につかなくなった水の流れ。まぁそんな感じです。■総構え■そうがまえこれは城の防衛施設の構造を説明した言葉です。城そのものだけでなく、城下町全体を堀や土塁で囲む構造のことを言います。総曲輪(そうぐるわ)とも言います。小田原北条氏による小田原城総構えが有名ですね。そして実は江戸も総構えでした。これは小田原征伐に参陣していた徳川家康が町造りの参考としたからと言われています。■岩槻城の総構え■小田原ほど有名ではありませんが、岩槻も堀や土塁で町を囲む総構えの構造でした。岩槻では大構えと呼ばれていますが意味は同じです。岩槻城の歴史は相当長いですが、総構えにしたのは戦国末期。北条氏房が太田氏の家督を継いで岩槻城主となっていた時の話です。そうなる背景として、豊臣秀吉と北条氏の関係が悪化がありました。ざっくりと説明しましたが、当ブログでは岩槻城の総構えについて一度投稿していますので、良かったら覗いてみて下さい。→『記事へすすむ』さて今回の探索はその「総構え」の更に外側です。堀や土塁で囲んだ城下町の外側に、更に天然の堀が存在していました。■元荒川■もとあらかわ名前のとおりむかしの荒川のことです。詳細は省略しますが、戦国時代の話をしていますので、当時の荒川と受け止めて下さい。とはいえ荒川と元荒川は現在別々に存在していますので、あえて元荒川という言葉を使わせて頂きます。<元荒川>こちらは別の日に岩槻より上流で撮影した元荒川。蓮田市付近です。護岸などもしっかり整備されてはいますが、荒川と比較するとまだまだ自然な雰囲気が漂う川です。ちょっと前置きが長くなりましたが、そろそろ本題に■蛇行していた元荒川■古地図などを見ると、元荒川はいまと違ってあちらこちらで蛇行しています。岩槻付近では、南下したあと再び北へ向かい、岩槻城を通り過ぎてまた南へ流れていたようです。つまり岩槻城の北側を大きく迂回するように流れていたわけですね。この蛇行は後の治水工事で直進化されて今に至っているので、現地へ行っても中世の天然堀の『配置』を実感することはできません。普通ならここからは下手な文より画像とセットで説明します。この日は岩槻駅から北へ向かい、日光御成道を経由して龍門寺というお寺を訪ねました。龍門寺[さいたま市岩槻区日の出町]その帰り道、遠くに不思議な光景を目にすることになり、結果的に足を運ぶこととなりました。なんとなく不自然な空き地だなぁ。河川敷のような雰囲気だが何だろうこれは暗渠だ!しかもそうとう幅広の暗渠つまりここは水の道です。そして周囲にはもったいないほど広い空き地。これはもしやこの暗渠が決め手になりました。水が集まる場所はすなわちこの付近で一番低い場所。人の手により元荒川そのものの流路が変えられていても、この付近の水はやはりここに集まるのでしょう。そしてあとからネット検索し、確信を得ました。古地図では、中世の荒川は私がついさっき訪問した龍門寺のすぐそばまで迫っています。元荒川がこの付近まで迫っていたわけか天然堀でもあった元荒川のなごり見ようによってはただの空き地ですよね。でも足を運んだ甲斐がありました。中世の城、特に岩槻城のような平城にとって、川の位置は重要な意味を持ちます。暗渠に気づき、現在の岩槻城址公園との距離などを頭に入れたうえで、姿を消した中世の荒川を現地で想像することができた。満足な瞬間でした。以上です。ちょっとマニアックですかね?そこに本来あったものを想像してみる。そんな楽しみ方が共有できれば幸いです。今回はそのきっかけが暗渠だった。そういうお話でした。拙ブログに最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。■訪問:元荒川の旧流路跡[さいたま市岩槻区宮町ほか]お城巡りランキング close

暗渠と城跡22 岩槻城の天然堀のなごり(元荒川の旧流路)
サイト名 つわものどもが夢の跡
タグ 城跡[埼玉]
投稿日時 2020-06-12 11:40:03

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