長野・矢沢城 ~ 松代藩真田氏に重代仕える矢沢氏の城の詳細

長野・矢沢城 ~ 松代藩真田氏に重代仕える矢沢氏の城
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記事タイトル 長野・矢沢城 ~ 松代藩真田氏に重代仕える矢沢氏の城
概要

緊急事態宣言は解除されましたが、ここにきていささかモヤモヤする状況が続いておりますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか?盛んに「ウィズコロナ」とか「アフターコロナ」とか「ポストコロナ」とか言われておりますが、詰まるところ治療薬もワクチンもないのだから、何もそういう点では進展していな…… more いのですよね。旅行も愛馬の現地応援もしばらくは不可能な状況が続きます。 今回は城巡りアーカイブスネタで参ります。結構前のところから引き続き今回も信州は上田市、真田氏に関わる城跡です。長野県上田市にある矢沢城跡です。戦国時代末期、真田幸綱(幸隆)の実弟・頼綱や、「真田丸」で一躍有名になった三十郎・頼康が城主であったお城です。写真もネタも少ないのでサクサクいきます。 〇矢沢城 地図で見当を付けてから行ったので広くはないクネクネ道を登り続ける事ができましたが、そうでなかったり遅い時間なら諦めていたかもしれないです。 車で行って、申し訳ないのですが路上駐車したはずです。明確に覚えていないのですが、規模的にも駐車場があるようには思えません。集落の一番奥、大日堂のあるところにこの案内板があります。城へは後ろに見えていますが今しばらく登ります。 坂道を登った先に曲輪が3つから4つあったように写真からは推察されます。石碑、けっこう立派ですけど、これ城跡の石碑じゃなかったはずです。 ちょっと段差がわかりにくくなっていますが、そこそこ上まで段々に曲輪が置かれています。よく見ると曲輪のへりには低くなってしまっていますが土塁が築かれています。土塁と曲輪の間に浅くなってしまっていますが空堀が見られます。5月でこんな感じなので、真夏だと足もとの草もすごいでしょうね。ただ、集落から近いし山城ではないので十分我慢できる範囲内だと思いますよ。 城跡の石碑はこちらですね。ここがこの城内の最高所である主郭跡だったはずです。 他の方のブログなどを拝見すると、石垣が結構あるようなんですが自分はそれに全く気づきませんでした。掲載した写真以外の写真もあったのですが、どうみても石垣を撮影したものがありません。やはりこういうものは事前にちゃんと調べないといけませんね。大事な機会を逃してしまいます。 さて、ここに掲載した写真は撮影したもののうち、半分です。その気になれば10分あれば全部見れてしまうのかな?という規模です。正直、これを単体で訪れるのはどうなのかな、と思います。周辺の他の城跡や上田原古戦場などを回る前提でいらっしゃるのが得策だと考えます。 〇矢沢城とは? 築城時期や築城者は不明です。矢沢城の名の通り、滋野一族の一つ・矢沢氏代々の居城であったのではないかと考えられております。城の背後には詰めの城のような矢沢支城があって、矢沢城はその位置や規模から言って平時の居館としても使われていたのではないかと考えます。矢沢城は上田平から神川に沿って真田の里に入る入口を抑える場所に位置しており、一方で上田城の背後を守る位置にもなるという場所にあります。先に真田本城について取り上げておりますが、真田の城ですらあの規模なのですから矢沢城も当時の国侍の一つとしての城を持つのが精一杯でしょうから、造りがどうのこうのというレベルではありませんが、写真でご紹介した通り尾根伝いに3から4の曲輪は私の目でも確認できましたし、恐らくは天正・慶長期の上田合戦で再整備された際のものと思われる石垣もあるとの事です。 この城の主・矢沢氏の中で著名なのは頼綱(真田幸綱の次弟:1518~1597)、頼康(三十郎:1553~1626)の父子でしょう。矢沢氏は滋野一族ですが、諏訪上社の所領管理人であったこともあって諏訪氏とも近く、海野氏・真田氏が武田氏・村上氏・諏訪氏の連合軍によってこの地方から一度一掃されてしまった海野平の戦い(1541年)の後も諏訪氏を介して武田氏か村上氏に降伏したと見られ、この地に留まっています。諸説はありますが、幸綱が謀略をもって戸石城を乗っ取った際は城内にあった頼綱は呼応して真田の兵を城内に引き込み、幸綱の功を助けたと言われています。 その後は真田の里に完全復帰した兄・幸綱を助けて主に上野国侵攻戦で活躍。武田氏・真田氏の上野国支配の要であった岩櫃城の城代や、後に沼田城の城主も任されています。頼綱がどれだけ幸綱やその跡を継いだ甥・昌幸に信頼されていたかがわかりますね。その子の三十郎・頼康は大河ドラマ「真田丸」で信之・信繁(幸村)の幼い頃からの忠臣として迫田孝也さんが熱演されてなかなか有名になりました。彼は幸綱の跡を継いだ信綱や昌幸の従兄弟にあたるわけですが、年齢的にはその昌幸と子の信之・信繁の中間にあたることもあって若い頃からこの兄弟と親しい立場にあったと思われます。信繁が越後の上杉氏のもとに人質として赴いた際はその付き人として側近く仕えています。第一次上田城合戦の際は出城となった矢沢城に立て籠もり、依田勢を討ち破って殿の大久保忠世勢を蹴散らすなど素晴らしい活躍を見せています。関ケ原の折は昌幸・信繁と分かれて信之の下に入り、真田氏の重臣となりました。矢沢氏はこの後、真田氏が上田を離れた際にこの矢沢の地を離れました。そして、代々松代藩の筆頭家老の家となり真田氏を幕末まで支えていくことになるのです。 〇行き方 上田市殿城にある大日堂から登る裏山が城跡です。地図を用意したかったのですが、PCの不具合でできませんでした。申し訳ありません。矢沢公民館か殿城郵便局を一つの目印として接近し、恐らく地番839の先にある交差点に大日堂があります。この大日堂のところまでは車で間違いなく行けます。当時詳細な地図を持たなかった自分が到達していますので、付近まで行ければ案内板があったはずです。この地域を訪れた際は、一緒にぜひ登城してみてください。 close

長野・矢沢城 ~ 松代藩真田氏に重代仕える矢沢氏の城
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投稿日時 2020-06-12 10:20:02

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