対馬 金田城 [3/4] 湾に通じる谷間を遮断する一ノ城戸。の詳細

対馬 金田城 [3/4] 湾に通じる谷間を遮断する一ノ城戸。
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記事タイトル 対馬 金田城 [3/4] 湾に通じる谷間を遮断する一ノ城戸。
概要

対馬 金田城 訪問記 其の三。 [前回までの訪問記 概要]日露戦争時に造られた軍道を通って石塁へ。巨大な石塁の城壁に圧倒!東南角石塁から石塁に沿って北上し、三ノ城戸・二ノ城戸を見る。更に北上して一ノ城戸から谷を通って海岸へ降りてみる。 訪問時期:2019年1月対馬 金…… more 田城 訪問記 − 其の一、二、三、四。 <訪問記> 石塁に沿ってどんどん進んでいくと大きな説明板のある場所へたどり着いた。真っ直ぐ行くと「海岸降口」とある。説明板の正面(写真で言う右側)へ進むと「一ノ城戸」があるようだ。金田城跡 一ノ城戸 説明板。鋸割の細り口とは金田城跡がある半島の北東端に位置する、日本海側から黒瀬湾に入る最も細い海峡部分のこと。一ノ城戸はその海峡を超えた先にある細い谷に築かれ、谷を塞ぐように石垣が築かれ、城門の南側には出張(でばり)があり、望楼が築かれていたとか。周辺地図をアップで。一ノ城戸部分に2つの石垣らしきマークが書かれている。現在地のすぐ横が出張の石垣、その奥が谷を遮断する一ノ城戸か。今は南側から向かっているので、先に出てくる石垣が「出張の望楼跡」だろう。ぐるっと回り込むように道が続き、その下に石積みの頭が見えている。降りてみよう。おおっ!思ったよりも大きな出張(張り出し部)の石垣に驚く。大きく崩れており、奥のきれいな部分はかなり後世の修復も入っているとか。それでも凄い迫力だ。一ノ城戸 出張の石垣。折れ曲がりもある。一ノ城戸 出張部の石垣。下半分は丸い石を積み上げ、上半分は細長い石材が積み上げてある。まったく違う雰囲気だが、先の説明板によると「後世修築した形式」とのこと。ただ丸い石による石垣も左側が折れ曲がるように出張っていることから、築城当時からここはこういう形状をしていたのだろう。高さは上の通路部分まで積み上げてある。一ノ城戸 出張の石垣。東南角石塁の大きな石垣にも似た雰囲気。櫓台のように出張った部分の石垣。下3分の2ぐらいが当時の石垣だろうか。更に南側を見てみると、大きく崩れていた。修築工事の前は全体的にこのような状態だったのだろう。1350年ほど前の石垣。そして張出から一旦説明板側へ戻り、谷の方へ進んでいくと現れる、谷を遮断する巨大な石垣。こちらが一ノ城戸だろう。巨大な石垣が谷を完全に遮断している。すごい迫力。ここから上には上がれそうにない。一ノ城戸 大石垣。二ノ城戸のような城門は南側の丘にあったが崩落している、とあった。先程見た出張の石垣も南側なので、あそことこの谷の城戸の間あたりの場所だろうか。高石垣の底部には小さな水門があった。一ノ城戸を越えて更に下へ降りる。岩盤むき出しの谷間へ。おそらくこのまま谷を上がっていくと先程の石垣の続きへ到達すると思われるが、この谷は岩盤で出来ていて水も流れ非常に滑りやすく危険だった。このまま谷を降りていくと港の跡のような場所に出られるとか。足元に気をつけながら降りてみよう。谷を右へ左へ渡りながら降りていく。岩盤むき出しの谷間。めちゃ滑る!危ない!雨が降った後なら川になっていることだろう。気をつけてそろそろと降りていく。海まで降りてきた!一ノ城戸の直下の谷間と海が連結するこの場所がおそらく当時の軍港だったのだろうか。石碑や説明板が建ち並ぶ。立派な鳥居も立っている。金田城跡 説明板。ここに説明板があるというのは、昭和当時は船でここに上陸して城あるいは神社を訪れる観光ルートがあったのだろうか? 金田城は日本書紀にもその名が記された古代山城で、唐からの攻撃に備えた最前線の国防拠点として金田城が築かれた。先程見た一ノ城戸の出張は火立隅(ほたてぐま)とも称され、烽(とぶひ・のろし台)があったのかも知れない。また脇の神社は大吉戸神社(おおきどじんじゃ)といい、平安時代の書物「日本三代実録」にも名が残る由緒正しい古社だとか。大吉戸は大城戸の変字、敵から守り抜く吉兆の城門という意味合いでしょうね。金田城跡指定地域図。この図を見て思うのは、唐(図の左側)からの攻撃に備えた拠点にしては向きが反対で、入り組んだ湾の内部に向けて城壁が築かれているのは少し疑問が残る。唐が日本を攻める時、最初の攻撃拠点として対馬があるが、こんな入り組んだ湾の内側にまで攻めてくるだろうか?西側の海岸沿いあるいは西側を向いた山上から、朝鮮側を見張るように築くべきでは。ここが金田城であるというのは遺構と文書からの比定であり、もしかしたら全く違う城(遺構からして古代山城なので、いわゆる文書に出てこない系)なのかも— とも思ったり。対馬を守るというより、朝鮮半島へ攻め入るための反撃拠点としての位置づけのようにも見える。そんなことを思いながら、大吉戸神社を参拝。古いタイプの狛犬さまが鎮座されている。一部の湾は石積みで固められていて、海側に降りる階段も。石の雰囲気が先ほどの一ノ城戸 出張の上部と似てるので、最近かも。では海岸から谷に戻り、北側へ再び上がっていく。一ノ城戸から北側は、山中に石塁(高石垣)が埋もれた形で残っている。散策路の脇からチラチラと石垣が垣間見える。下が見えないぐらい高い!結構な急斜面に築かれている。木々が生い茂ってなければ、このあたりも湾側からしっかりと見える位置にある。露出している石垣も結構あるが、斜面の腐葉土を取るともっと本来の姿形高さの石垣が出てくることだろう。崩落のリスクもあがるのでかんたんには出来ないが。更に岩盤の山道をどんどん上がっていく。山の北側あたりまで回ってきた。山道は基本的に木々の中を通っているが、ときおり視界が開ける場所がある。ここからは西の日本海側に抜ける海峡が見えた。ここからは海峡に入ってくる敵船団があればすぐに見て取れる。 >> 対馬 金田城 [4/4] へ続く。<< 訪問時期:2019年1月撮影機器:FUJIFILM X-T20 + XF10-24mm ページの一番上に戻る close

対馬 金田城 [3/4] 湾に通じる谷間を遮断する一ノ城戸。
サイト名 城めぐりチャンネル
タグ お城 続日本100名城
投稿日時 2020-04-07 00:40:04

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