愛知・挙母城 ~ 3つの「挙母城」をまとめてご紹介の詳細

愛知・挙母城 ~ 3つの「挙母城」をまとめてご紹介
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記事タイトル 愛知・挙母城 ~ 3つの「挙母城」をまとめてご紹介
概要

今回も城巡りアーカイブスネタでまいります。年明けからまだ愛馬の出走はありませんが、今週末に2場で3頭の出走予定があります。いよいよ今年の一口馬主の戦いもスタートです(笑) さて、今回ご紹介するのは今の豊田市に江戸時代にあった挙母藩の居城であったお城などです。一つは鎌倉期…… more で、後の2つは築城期からいえば近世城郭なのでしょうが、江戸幕府の安定期のお城なのでたぶんに統治のための城郭といえます。「金谷城」「桜城」そして「七州城」。桜城と七州城は共に城があった時は「挙母城」と呼ばれていたお城跡です。 今でこそ日本有数の面積を誇る豊田市ですがもともとはいくつかの町村に細かく分かれており、一大企業・トヨタの企業城下町として合併を繰り返す中で今の規模になりました。かつて市の中心部の一つであったのが旧挙母町。そこにあったのが挙母藩です。ちなみに登城は2010年5月です。 〇金谷城 この挙母一帯を早くから支配していたのは中条氏。その中条氏時代の居城と言われているのが金谷城。この案内板はその城跡のある公園にあったもの。 遺構らしきものはなく、この石碑が公園にありました。どうやら昔から「金谷」だったわけではなさそうで、ここが「金谷」とされたのは1600(慶長5)年に衣郷から分村された際、近隣に「鍛冶屋」が多かったことから「金谷村」となったらしいです。よって、「金谷城」の名は後世つけられたものではないでしょうか? 〇桜城 江戸時代中期に上野国・安中から移って来た内藤氏は幕府からの資金援助を受けて新規築城に踏み切りました。その最初の築城地が今は「桜城」と呼ばれているお城跡です。まあ、おおよそはこの案内板の通りでしょう(笑)江戸初期にはすでに三宅氏(後に田原藩に移る)による挙母藩(1604~1619・1636~1664)や本多忠勝の曽孫・忠利以降の本多氏の挙母藩(1681~1749)がここにあって、この三宅氏時代の陣屋・居館跡に桜があったことからこの名になったようです。 今遺る唯一の以降、隅櫓跡石垣。これはこれでちゃんとした造りなんです。実は「挙母」は三宅氏時代はそのまま「衣」と書いていたようですが、本多氏時代に「挙母」表記になったそうです。 桜城の築城は、矢作川の洪水などの天災や、藩内の政争・農民一揆などの人災により築城工事が遅れに遅れ、ついに完成を見る前に断念されたようです。 〇七州城 で、近くの童子山を中心に築かれたのが七州城。ここも偶然といえば偶然なのですが隅櫓跡に城跡の石碑がありました。 古地図を見る限りそれなりの規模があったようですが、それは市街地の城跡の宿命。開発されて遺構はほとんどありません。矢作川の影響が少なくなる小山の上に城を移した甲斐があったというものです。 ここは桜城よりは城跡感が遺っていました。江戸中期に築かれた事もあって荒くれ感は全くありませんが、かつての城を思い浮かべながら回るには環境はいいですね。この階段の感じからすると一応、平山城に属するのではないかなと思います。 復元された隅櫓。1988(昭和63)年に先ほどの図面などを参考にして復元されたものです。城跡の中心部は今は豊田市美術館が建てられており、その裏が「七州城址公園」として整備されております。 いずれもすべて今の豊田市、旧挙母町の歴史に連なるお城跡です。車でも回れますが、中途半端に駐車場などに気を使いながら回るより電車と徒歩で十分回れる範囲内にある城跡です。半日あれば全部回れる感じですが、豊田市の他の予定などと一緒に回ってもいいかもしれません。なお、この時私は当時住んでいた名古屋市千種区池下の自室から名鉄乗り入れの地下鉄で行きましたね。山城をいくつか登っているのなら体力的に問題はないはずですよ。 〇挙母の城の歴史 今、豊田市の中心部を構成しているエリアは合併前は「挙母」町と呼ばれ、元々は「衣」郷があったとされています。矢作川中流域の比較的開けた場所であり、鎌倉期にはこの地方を支配する武士団がおり、それが金谷城の主・中条氏です。築城は1309(延慶2)年のこととされています。この24年後に鎌倉幕府は滅亡していますので鎌倉後期といってよいと思います。 戦国期に入ると三河進出を進める今川氏によって攻略されていますが、山間づたいに三河へ入り込んでいた尾張の織田氏によっても攻略されているように、典型的な境目の城といえます。主要街道からは外れていますが、信濃・美濃・尾張・遠江そして三河国内に通じる裏街道が走り、さらに矢作川の舟運を抑え、どこへでも行ける分どこからでも攻められる位置であったと言えるでしょう。戦略上の要地だったのです。 関ケ原合戦の後、衣郷に入ったのは三河に旧縁の深い徳川譜代の家臣・三宅康貞(1544~1615)でした。彼は1558(永禄元)年の初陣以来、徳川家康に属して姉川の戦いや長篠の戦い、特に対武田氏との戦いで武功を挙げ続けた武将でした。家康の小姓で重臣の一人となった鳥居元忠の甥にあたる人物です。1604(慶長9)年、衣1万石を与えられて大名となった康貞は荒れていた金谷城に入らず北に1Kmほど離れた今の桜城跡の地に陣屋を構えそこに桜を植えました。今、桜城と呼ばれているのはこの康貞が陣屋に植えた桜からきているのです。 康貞の子・康信(1563~1632)の時に2千石加増で伊勢亀山藩に移りますが、その子・康盛(1600~1658)の時にまた衣に戻ってきています。三宅氏が田原藩に移った後はしばらく天領となっていましたが、1681(天和元)年に陸奥石川より本多忠利(1635~1700)が1万石で移ってきました。この忠利は徳川四天王の一人・本多忠勝の曽孫にあたる人物です。彼の所領は1万石ですが、幕府で寺社奉行を務めた人物であり、この衣藩に隣接する伊保藩や足助藩の藩主は忠利の兄弟であってこのエリアを一体とみなして支配する意図を感じます。そして、この本多氏時代にそれまで「衣」とされていた表記が「挙母」に改められています。 本多氏が相良藩に移った1749(寛延2)年に替わって挙母藩に入ったのは上野国安中2万石の大名であった内藤政苗(1741~1802)です。彼は挙母1万石の他にも所領があって都合2万石で移ってきました。彼は幕府からの援助も受けて新しく築城に取り掛かりました。それが桜城です。先にも述べた通り桜城は完成を見ないまま政苗は隠居し、築城も事実上取りやめになります。政苗の跡を継いだのは御三家の一つ紀州徳川家から養子に入った学文(1751~1794)で、彼は桜城を諦めて矢作川からやや離れた童子山の地に改めて城を築くことになりました。1779(安永8)年に築城を始め、城は1785(天明5)年に6年がかりで完成しました。これが七州城というわけです。 この挙母藩は興味深いことに、4代政成、5代政優と相次いで近江彦根藩から藩主を迎えているのですが、この二人の弟が幕末の大老・井伊直弼なのです。さらに6代政文も井伊家の出身でして、これが直弼の甥にあたる人物。ここまで同一藩から後継を迎え続けるというのも珍しいものです。 〇行き方 この3城はまとめて地図に入ります。右上が桜城跡、真ん中下が金谷城跡、左真ん中が七州城跡になります。真ん中を突っ切る電車が名鉄三河線で、地図のすぐ上が豊田市駅、すぐ下が上挙母駅になります。電車の便を考えると名鉄を使って上下するか、ひたすら徒歩で回るかどちらかがベストでしょう。もちろん車で行ってもよいのですが、七州城址公園以外はどこかに路駐するしかありません。ま、金谷城跡などは停めるところには困らない感じだと思いますが。車ですと自動車道の利便がそれほどでもないので、ここまで行くのにちょっと時間を使ってしまうかもしれません。 いかがでしょうか。ちょっとした散歩も兼ねて訪れてみてはいかがでしょうか。ただし、真夏は避けた方がいいと思いますよ(笑) close

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投稿日時 2020-01-22 13:20:03

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