久留米城 [2/2] 本丸東面にそびえ立つ月見櫓台の高石垣の詳細

久留米城 [2/2] 本丸東面にそびえ立つ月見櫓台の高石垣
城めぐりチャンネル
ページの情報
記事タイトル 久留米城 [2/2] 本丸東面にそびえ立つ月見櫓台の高石垣
概要

久留米城 訪問記 其の二。 [前回までの訪問記 概要]久留米駅から歩いて久留米城跡へ。今は本丸が神社、二ノ丸・三ノ丸は工場になっており、本丸内および外周部の石垣や水堀などをメインで散策する。その二では主に本丸外周部の石垣を見て回る。 訪問時期:2019年6月久留米城 …… more 訪問記 − 其の一、二。 <訪問記> 主郭の外周部を散策中。かなり幅広な多聞櫓がぐるっと本丸を囲んでいたようだ。下を覗いてみる。本丸南東端(巽櫓)下は石垣が二重になっている。ここから正面の桝形虎口まで横移動で到達できるようだ。ここから下には直接降りられない。こちらが南東端、巽櫓跡。最も壮大な三層櫓で、天守代わりだったと言われる。今はこのとおりただの広場。隅の方にひっそりと建つ巽櫓跡石碑。本丸を兼ねていた、とあるが、天守を兼ねていたの間違いか。巽櫓跡から南面下を見下ろす。先程の一段下の郭(腰郭)がずっと続いている。その奥は水堀だ。巽櫓跡の張り出し部から、本丸入口の桝形虎口方面を見る。今は腰郭と枡形虎口が繋がっているが、古い絵図では土塀により遮られていた。これで本丸は一通り散策を終了したので、入ってきたのとは異なるルートで降りてみよう。東面にあった大階段へ。正面は月見櫓跡。優雅な名前だが東面の物見櫓だ。本丸下へ降りる石段。なかなかの幅広で、搦手口という感じはしない。本丸側面の石垣を間近に見ることが出来る。無骨な野面積み。右側はキレイに加工された切込み接ぎと、打込み接ぎ。左側は野面積みに近い自然石。このコントラスト!月見櫓台。外側の高さはかなりのものがありそうだ。ちなみに本丸周囲を囲んでいた水堀だが、こちら東面は降りてすぐには「蜜柑丸」と名付けられた郭があり、水堀はその外側を通っていた。正面のグラウンド中央あたりか。おそらく、当時のままの石段。右上には三層の月見櫓がそびえ、正面本丸上には二層の多聞櫓、階段の曲がった先には城門が行く手を阻んでいた。高い!月見櫓の石垣。隅部は19個積んである。地中にまだある可能性あり。月見櫓石垣。打込み接ぎだが、よく見ると上部(天端)はガタガタ。崩れたのを適当に積み直したようだ。本来はまだ更に高かった可能性もある。石垣に沿って北上してみよう。本丸東側の石垣沿いはどうやら地元の月極駐車場になっているようで、石垣そばに車が沢山停まっている。ここは月見櫓裏。地震や台風が来ると天端の石が降ってくるような気もする立地。よく見ると石垣上部に排水穴が空いている。右側(本丸北東部)あたりは草に覆われているが、資料によるとこの辺りの石垣は崩れてしまっているらしい。崩れた部分を対比して、北東端へ。艮櫓(うしとらやぐら)跡。ここも月極駐車場、石垣ギリギリまで車が停まっている。この上にも三層の櫓が建っていた。今はベンチがあり展望台みたいになっている。艮櫓台をアップで。土が積もっているのか、右側を回り込んだら上にあがれそうな雰囲気だった。ちなみに本丸北面(写真右側)はこの艮櫓台を除いて土塁ベースだった模様。艮櫓台石垣。ここも最大19個の石が積み上げてある。よく見るとここも天端の石がガタガタなので、大風や地震で落ちてくる可能性大。本丸北面に沿ってしばらく進んでみる。木がスゴイことになっていて、まったく土塁が見えない。ちょっと覗き込むとこんな感じ。角度が緩やかで勢いを付けたら上がれそうな感じもする。当時はもう少し急だっただろうか。こちらは筑後川が近くを流れているから櫓も少なく簡素な造りであると資料には書かれていた。では先程降りてきた月見櫓石垣下まで戻ってきた。今度は南東方面へ向かってみよう。この月見櫓下の郭は「蜜柑丸」と呼ばれていたそうだ。蜜柑が植えられていたと言われる、という安直な理由だとか。正面の本丸石垣もかなり高い! その手前の古い石碑は城跡顕彰碑。本丸石垣。こぶりでまちまちの石を緩やかな角度で積み上げた、古い石垣。花崗岩と片岩が混在した石垣。月見櫓方面を見る。これだけの石垣が良好に残る久留米城、櫓の一つでも復元すればかなり良い雰囲気が出る城跡になりそうだ。張り出された腰郭と巽櫓跡。隅っこが土の斜面のようになっているが、当時ここから上がれたのだろうか?腰郭の端っこも今は行き止まりだが当時はどういう構造だった?正面の桝形虎口から続く腰郭だけに何かしら仕掛けがあった可能性は高いと想像される。腰郭全景。結構広い。見えないけどこの上に巽櫓台があり、その上に城内最大の三層・巽櫓がそびえていた。月見櫓台と巽櫓・腰郭に囲まれた蜜柑郭の凹部。四方八方から狙い撃ちされる位置にある。腰郭の南面へ。左側の低くなっているところは水堀跡。今は水が枯れているのか、土になっていた。腰郭南面石垣。奥の張り出した部分は桝形虎口、その左側に伸びるのは土橋だ。石垣は東面の古いタイプとは異なり、結構整った打込み接ぎだ。本丸南東側の水堀跡。水は枯れて土となっていた。でも大雨が降ったら溜まりそうな雰囲気。手前側は埋め立てられて道路になっているが本来は水堀が続きぐるっと本丸を囲っていた。では土橋を越え、本丸南西面を見てみよう。こちら側も水堀跡がそのまま残っている。本丸南西麺の石垣。最初に行った太鼓櫓跡(正面右側の石碑が立つあたり)と、有馬資料館の裏側で立ち入りできなかった坤櫓(ひつじさるやぐら)跡。坤櫓跡と太鼓櫓跡。坤櫓下の石書きは目地がそろっており布積みになっている。新しい時期の石垣だろう。ともに、三層の大櫓が建っていた。もう少し奥から坤櫓台の西側も見つつ。奥は西下櫓があり、大きな張出し部からは筑後川への水の手口へ降りる道があったようだが、今はこのとおり森と化していた。上はちょうど神社社務所の裏口にあたるので一般は立ち入れないだろう(未確認)。では本丸周辺はこれぐらいにして、駅へ帰る道すがら、城下に残る遺構などを軽く見ていこう。まずは久留米城三ノ丸濠跡。外郭と三ノ丸の間の濠跡で、遊歩道の両側に応じの土手の痕跡が残る、とある。この遊歩道が堀跡か。この土手が、当時の三ノ丸濠の土塁(の痕跡)のようだ。結構しっかり作ってある。外郭に残る広い芝生公園。低い石垣と土塁で囲まれているこの一帯は「御使者屋跡」で、江戸後期の天保元年(1830)に藩の迎賓館が建てられた場所。その後も県庁舎・市庁舎として流用され、目の前の石垣は築地塀下の石垣だとか。幕末期らしい、しっかり加工されたどっしりとした石垣。おまけ:駅前にあったラーメン屋台の模型。久留米はとんこつ発症の地とのこと。ランチは久留米バーガーを食べてしまった。次はとんこつラーメンを食べよう。 訪問時期:2019年6月撮影機器:FUJIFILM X-T20 + XF10-24mm ページの一番上に戻る close

久留米城 [2/2] 本丸東面にそびえ立つ月見櫓台の高石垣
サイト名 城めぐりチャンネル
タグ お城 続日本100名城
投稿日時 2019-10-08 02:00:02

「久留米城 [2/2] 本丸東面にそびえ立つ月見櫓台の高石垣」関連ページ一覧

新着記事一覧

<打込み接・布積み(関八州)> 江戸城、小田原城、佐貫城


シロスキーのお城紀行
「石・石塁・石垣シリーズ」は、昨日から、下記の分類表「①②-(4)打込み接・布積み」の石垣を導入しているお城を、再び日本の北から南にかけてご紹...
シロスキーのお城紀行
2022-09-26 01:00:04

中城城 日本100名城 沖縄 路線バスで行く世界遺産5城 5-4


hachiの日本100名城 続日本100名城 お得な切符で行く 鉄道・バスの旅
 ◆中城城 三の郭の石積 またかなり間が空いてしまいました。引き続き3月中旬に久々に沖縄、世界遺産5城を2泊3日で路線バスを利用して...
hachiの日本100名城 続日本100名城 お得な切符で行く 鉄道・バスの旅
2022-09-25 14:40:05

<打込接・布積み(奥羽・出羽)> 弘前城、盛岡城、仙台城、会津若松城


シロスキーのお城紀行
「石・石塁・石垣シリーズ」は、「①②-(3)打込み接・乱積み」を日本の北から南まで展開しているお城の写真をお届けしてきましたが、昨日で一応終了...
シロスキーのお城紀行
2022-09-25 02:00:03

讃岐小豆島 星ケ城  西峰と東峰から成る素晴らしい眺望の山城


久太郎の戦国城めぐり
讃岐小豆島 星ケ城 (香川県小豆郡小豆島町安田・星ケ城山) <県指定史跡> <ちょっと小豆島まで行ってきます・②>坂手港から安田館を訪問した後...
久太郎の戦国城めぐり
小豆島の城めぐり
2022-09-25 01:40:03

第439回:江馬氏下館(北飛騨における江馬氏の繁栄を示す城館跡)


こにるのお城訪問記
訪問日:2021年11月江馬氏下館(えまししもやかた)は岐阜県飛騨市にあった城館です。江馬氏城館跡の一つとして国史跡に指定されています。北飛騨の雄...
こにるのお城訪問記
岐阜県の城郭
2022-09-25 01:20:03
;