水戸城のなごりの詳細

水戸城のなごり
つわものどもが夢の跡
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記事タイトル 水戸城のなごり
概要

つわものどもが夢の跡水戸徳川家の居城跡を訪問しました。<大堀切>二の丸と本丸を隔てる大堀切跡です。なんという高低差!ここまでとは思っていなかったので、しばし見惚れました。■常陸江戸氏の居城■水戸城と言えば徳川御三家の一つである水戸徳川家の居城として有名ですね。ただ城そのものの歴史…… more は相当長く、築城は平安時代末期又は鎌倉時代初期頃まで遡ります。常陸国の武将で源頼朝に従った御家人・馬場資幹(すけもと)がこの地に城を築いたのが始まりと言う説が一般的です。馬場氏の居城であったことから、当初は馬場城と呼ばれていました。室町時代に入ると、関東では鎌倉公方と関東管領による対立が起こり、関東管領に味方した馬場氏は、公方に味方する江戸氏(常陸江戸氏)に敗れることになり、城も失ってしまいました。新たに城に入った江戸氏の支配は、その後170年も続きます。超安定政権ですね。ただ、江戸氏はそれまで結びつきの強かった常陸の名族・佐竹氏と対立するようになっていきます。やがて戦国末期、関東の諸大名の明暗をわけた豊臣秀吉による小田原征伐(1590年)おいて、江戸氏は北条氏側に、佐竹氏(義重・義宣)は豊臣側に味方する構図となり、結果として秀吉より常陸一国54万石を与えられた佐竹氏が、江戸氏を滅ぼすことになります(1594年)。佐竹氏は居城を太田城から馬場城へ移し、大改修を施すとともに名を水戸城と改めました。私の勝手な思い込みで、水戸城といえば徳川氏の前は佐竹氏という印象でしたが、思いのほかその歴史は短く、関ヶ原の戦い後すぐ、佐竹氏は家康の命で水戸から出羽国秋田に移されています。関ヶ原の戦いでの曖昧な態度(西軍に与した疑い)が原因と言われています。■徳川氏の居城■1602年(慶長7年)に、家康は佐竹氏に代わって自らの五男(信吉)を水戸に入城させましたが、もともと体が弱く、21歳の若さで亡くなってしまいます(1603年)。子は無かったため、次に十男の徳川頼宣が20万石で水戸城に入城。その頼宣が駿府(50万石)へ移ると、今度は十一男の頼房が下妻城より25万石で入城。頼房は常陸水戸藩の初代藩主となり、これ以降明治時代の廃城まで、水戸城は水戸徳川家の居城であり続けました。<徳川頼房像>水戸徳川家の祖となった頼房の銅像です。<徳川光圀>こちらは駅前で撮影。ご存じの黄門様です。光圀は常陸水戸藩の第2代藩主です。頼房の三男、つまり家康の孫にあたります。■城のなごり■水戸は言うまでも無く地域の中核都市として開発が進んでしまっていますが、市街地化された城跡を散策すると『城のなごり』を残そうとする工夫が随所にみられます。堀や歴史的建造物の保存もさることながら、公立学校の門や塀も昔を思わせる手の凝ったものが多く、かつてこの地が水戸城であったことを感じずにはいられません。私はただの訪問者ですが、ここで実際に暮らす人たちにとって、誇りといって良いのではないでしょうか。とても羨ましい環境でした。<大手橋>大手門へ繋がる橋。この下の堀跡は道路になっています。<堀跡>二の丸と三の丸の間の堀です。堀跡は県道として利用されています。<大手門工事中>私の訪問時は改修工事の真っ最中でした。残念ですが、とても大切な工事です。2019年10月には立派な姿を見られるそうです。<二の丸展示館>ちょっと立ち寄らせて頂きました<ジオラマ>南に千波湖、北に那珂川。この二つの天然堀に挟まれた丘陵に築かれた山城(平山城)です。縄張りは連郭式。<弘道館>弘道館は、9代藩主斉昭が水戸城の三の丸に開いた藩校です。長州藩の明倫館、岡山藩の閑谷黌と並び、日本三大学府の一つと称されました。最後の将軍となる徳川慶喜も、幼少期にここで学んだそうです。<堀跡><城跡の街並み><本城橋>二の丸跡と本丸跡の間の堀切に架かる橋です。<深い堀切>この高低差には驚きました。<堀の底>JR水郡線です。賛否あるようですが、城を壊さず街を栄えさせるためなので、私は良い光景だと感じました。<旧水戸城薬医門>橋を渡った先は県立水戸第一高校。その敷地内で、立派な城のなごりと出会えます。職場にここの卒業生がいるのですが、とても謙虚な人で、母校の自慢話を聞いたことがありません。今度会ったら『もっと自慢しろ!』と言ってやりたいです。立派。そして素敵なことです。<念のため>私は不法侵入ではありません。校門は通過しましたが、薬医門の手前までは入って良いことになっています。それより先は関係者以外入ってはいけません。<校門>お邪魔しました。そもそも校門の脇が土塁になってますね。これも水戸城のなごり。私の目には、校門が虎口に映ります。素敵なことです。■つわものどもが夢の跡■日本100名城にも選ばれている水戸城。スケールも都市化も雰囲気を残そうとする整備も凄かったので、最後に敢えて地味な土塁跡だけ選んで貼っておきます。<街の中の土塁>長きに渡って江戸氏の拠点だった城を佐竹氏が改修。その後はずっとずっと徳川氏の居城でした。街に散在する遺構のすべてが、そのなごりです。-------■ 水戸城 ■-------別 名:馬場城 水府城桂城築城年:鎌倉初期(又は平安末期)築城者:馬場資幹改修者:佐竹義宣・徳川頼房城 主:馬場氏・江戸氏・佐竹氏・徳川氏廃 城:1871年(明治4)[茨城県水戸市三の丸]お城巡りランキング close

水戸城のなごり
サイト名 つわものどもが夢の跡
タグ 城跡[関東]
投稿日時 2019-10-01 17:00:02

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