岩屋城 : 島津軍に徹底抗戦した名将 高橋紹運 激戦地の詳細

岩屋城 : 島津軍に徹底抗戦した名将 高橋紹運 激戦地
城めぐりチャンネル
ページの情報
記事タイトル 岩屋城 : 島津軍に徹底抗戦した名将 高橋紹運 激戦地
概要

岩屋城は、太宰府政庁跡の背後にそびえる四王寺山の南部山腹に位置し、戦国大名・大友氏の筑前支配の要衝の一つだった。岩屋城を有名にしたのは戦国末期の天正14年に勃発した九州制覇を目指す島津軍との籠城戦「岩屋城の戦い」で、2万以上の島津軍に対し防御に適さないと言われた小規模な岩屋城に名…… more 将・高橋紹運は寡兵で籠もり、降伏勧告を拒絶、主家のために奮戦・玉砕した。島津軍は勝利したものの被害も大きく時間も消費し、結果的に島津の九州制圧が失敗に終わった一因とも言われる。城は断崖に面した主郭跡と、車道を隔てた先にある墓所のある曲輪の2つを中心にした簡素なもので、ここに当時700余が籠城し激戦したとは一見思えないものとなっている。 <基本データ> ●名称:岩屋城 (Wikipedia) ●所在:福岡県太宰府市 (地図) ●城主:高橋鑑種 / 高橋紹運 ●築城:天文年間? ●遺構:土塁、切岸、曲輪、墓所 ●時間:30分 (1700−1730) 訪問時期:2019年1月 <訪問記> 岩屋城訪問記は、同じ四王寺山にある大野城 訪問記の続きになっています。 同じ四王寺山の中央部に位置する古代山城・大野城から歩いて岩屋城へ。大野城から南山麓に位置する太宰府政庁跡へ下山するルート上にある。車道を歩いていて見つけた「岩屋城近道」という看板から山道へ入る。岩屋城跡 説明板。岩屋城を力攻めで陥落させた島津軍も消耗激しく、立て直しに時間がかかった結果、高橋紹運の息子・立花統虎(後の立花宗茂)が籠もる立花山城の攻略中に援軍の秀吉配下・毛利軍が小倉に到着、島津軍は撤退した。立花軍は追撃し、岩屋城も奪還。島津の九州制覇は幻となった。岩屋城での戦いはその道筋を付けた重要なターニングポイントだった。主郭を取り巻くように付けられた坂道をあがって、主郭へ向かう。階段をあがると、そこは絶景広がる主郭!思わずおおっと声が出る景色。メインの石碑に目が行きがちだが、ひっそりと建つ「岩屋城本丸跡」の石碑も忘れないで。 そしてこちらが、岩屋城といえばこれ、嗚呼壮烈岩屋城址。高橋紹運の玉砕戦。紹運の名はこの数年前に出家した際の法名なので、結構な年齢だったと思っていたのだが、玉砕時はなんと39歳。長男の立花宗茂(立花道雪に養子に出した)は20歳。主郭を奥から。断崖側は南で、ここから直接上がってくることは不可能な角度なので、北側に土塁等を設置して防御している。主郭北側の土塁から主郭全景。南に張り出したような形の地形を活用している。主郭から南側を見る。草が生えていて斜面の角度が分かりにくいが、かなりの急角度なのは間違いない。南側に見下ろすは太宰府政庁跡。岩屋城があった頃はもちろん太宰府政庁は「跡」になっていた。島津軍は政庁跡の東の観世音寺に着陣したという。写真でいうと左端あたりの森あたり。数万の大軍なので寺には入り切らず、太宰府跡あたりまでを占拠していたかも知れない。岩屋城からはその大軍ぶりがよく見えたことだろう。主郭の南東側には、大きめの帯曲輪がある。主郭とこの帯曲輪とで、前面からの敵と戦ったか。例の石碑は、昭和三十年(乙未 きのと ひつじ)に建立されたようだ。島津軍が大挙した太宰府政庁方面を遥か見下ろすように建つ。石碑と眼下の大宰府地域。高橋紹運公もまさにこういう位置からこういう景色を眺めていただろうと妄想。では一旦主郭から降りて、車道を隔てた反対側に建てられた、高橋紹運公の墓所を参拝しに行こう。ここから山道へ入る。入口には説明板があるので迷わない。高橋紹運公並びに勇士の墓 説明板。文武両道の名将だったという。墓がある場所は二ノ丸跡、となっている。二ノ丸へ。奥に低い石垣に囲まれた場所がある。こちらが高橋紹運公および家来衆の墓所。私有地なので墓参以外の立ち入りを禁止する、という旨の説明板が横に建っている。門の外側から控えめにお参り。墓所を加工石垣には、一部 矢穴のある石材も使われていた。では日暮れも近いので一気にここから大宰府政庁跡まで下山しよう。墓所のある二ノ丸跡から南へ伸びる岩屋谷道がある。同じ方向に 岩屋谷 磨崖石塔群 があるようだが、暗くなってきたので寄らなかった。こんな感じの結構な角度の山道を延々と下る。竪堀のようにも見える。下りは速い。約10分ほどで下山完了。島津軍が陣を敷いたという観世音寺の子院だった金光寺跡へ到着。発掘調査で目の前の立派な礎石群が出てきたが、武家屋敷跡ではないかとする説もあるとか。そのまま20分ほど歩いて、ふたたび大宰府政庁跡へ。写真はかなり明るめだが、1月の17:42なので実際はかなり暗い(露光補正をかなりしている)。正面右奥の山頂部が、先程まで30分ほど前まで居た岩屋城跡。その左側に展開する山々は古代山城・大野城。よく歩きました。 この日は四王寺山一帯の史蹟めぐりということで下記を回っています。セットでどうぞ。・大宰府政庁跡(飛鳥時代〜平安時代の役所跡)・水城跡(古代城壁・続百名城)・大野城跡(古代山城・百名城)・岩屋城跡(戦国時代の山城) 訪問時期:2019年1月撮影機器:FUJIFILM X-T20 + XF10-24mm 一番上へ戻る。 close

岩屋城 : 島津軍に徹底抗戦した名将 高橋紹運 激戦地
サイト名 城めぐりチャンネル
タグ お城
投稿日時 2019-09-06 17:20:02

「岩屋城 : 島津軍に徹底抗戦した名将 高橋紹運 激戦地」関連ページ一覧

新着記事一覧

<打込み接・布積み(関八州)> 江戸城、小田原城、佐貫城


シロスキーのお城紀行
「石・石塁・石垣シリーズ」は、昨日から、下記の分類表「①②-(4)打込み接・布積み」の石垣を導入しているお城を、再び日本の北から南にかけてご紹...
シロスキーのお城紀行
2022-09-26 01:00:04

中城城 日本100名城 沖縄 路線バスで行く世界遺産5城 5-4


hachiの日本100名城 続日本100名城 お得な切符で行く 鉄道・バスの旅
 ◆中城城 三の郭の石積 またかなり間が空いてしまいました。引き続き3月中旬に久々に沖縄、世界遺産5城を2泊3日で路線バスを利用して...
hachiの日本100名城 続日本100名城 お得な切符で行く 鉄道・バスの旅
2022-09-25 14:40:05

<打込接・布積み(奥羽・出羽)> 弘前城、盛岡城、仙台城、会津若松城


シロスキーのお城紀行
「石・石塁・石垣シリーズ」は、「①②-(3)打込み接・乱積み」を日本の北から南まで展開しているお城の写真をお届けしてきましたが、昨日で一応終了...
シロスキーのお城紀行
2022-09-25 02:00:03

讃岐小豆島 星ケ城  西峰と東峰から成る素晴らしい眺望の山城


久太郎の戦国城めぐり
讃岐小豆島 星ケ城 (香川県小豆郡小豆島町安田・星ケ城山) <県指定史跡> <ちょっと小豆島まで行ってきます・②>坂手港から安田館を訪問した後...
久太郎の戦国城めぐり
小豆島の城めぐり
2022-09-25 01:40:03

第439回:江馬氏下館(北飛騨における江馬氏の繁栄を示す城館跡)


こにるのお城訪問記
訪問日:2021年11月江馬氏下館(えまししもやかた)は岐阜県飛騨市にあった城館です。江馬氏城館跡の一つとして国史跡に指定されています。北飛騨の雄...
こにるのお城訪問記
岐阜県の城郭
2022-09-25 01:20:03
;