大野城 [2/2] 大野城を取り巻く巨大土塁上を縦断の詳細

大野城 [2/2] 大野城を取り巻く巨大土塁上を縦断
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記事タイトル 大野城 [2/2] 大野城を取り巻く巨大土塁上を縦断
概要

大野城 訪問記 其の二。 [前回までの訪問記 概要]百間石垣からスタート。ここから土塁を半周して岩屋城を抜けて太宰府政庁跡へ降りるコース。百間石垣は規模は大きいが全体的に枯れ草が覆っていて肝心の石垣が見づらく至極残念。土塁を上がって北石垣へ。そのまま土塁に沿ってぐるっと小石…… more 垣など各見どころを見ていきます。 訪問時期:2019年1月大野城 訪問記 − 其の一、二。 <訪問記> 大野城外周土塁を歩いていると、ただずーっと土塁(歩いているとただの尾根のようにも感じる)が続いているだけ。時々 分かれ道でこのような案内板が登場し少し安心する。土塁防壁と言われないと尾根道に見える。ここで土塁を降りて左へ。繋がっているので土塁の上からでもたどり着けるのかも知れないが、こちらが近道。特に現地には書いていない。急坂を一気に降りて、小石垣へ向かう。階段があったのは途中までで、最後はこの斜面を滑り降りるような感じ。道間違えた?降りてきた。小さな細い川が流れていて、それが山へ入る谷の部分に「小石垣」が築かれているようだ。大野城 小石垣。左奥に石垣が見える。小石垣 説明パネル。百間石垣と同様に谷を塞ぐように石垣で固めていたようだ。復原図を見ると、全体の左端の部分だけがかろうじて残っている模様。また右上の大野城の全体図が分かりやすい、これが百間石垣のところにも欲しかった。小石垣 説明板の大野城 全体図。山腹あたりを巨大な土塁で囲み、太宰府側と博多側は厳重にするためか二重構造になっていることが分かる。百間石垣も北石垣もこの小石垣も、二重石垣の内側の方に築かれていたようだ。この土塁を越えると、主城原と呼ばれる建物群へ直結してしまう、最後の防衛ライン。また、今回は外周土塁(百間石垣から図下の土塁を通って左側の太宰府口城門まで)を回ったが、外周土塁を通るとこの後はあまり遺構はなく、むしろ土塁内部に残る主城原の礎石群などを見ればよかったと感じた。現存している小石垣の一部。元は下の凹んでいるところに小川が流れていたのだろう、それを土塁と石垣で塞ぎ、防壁を続けている。小石垣にあった城門の礎石と思われる巨大な加工された石材が、ゴロンと転がっていた。ここから再び土塁の上へあがる。横にスロープが作られているので上へあがろう。この右側の谷部分にもかつては石垣の城壁が築かれていたと思われる。外周土塁へ、の案内板に沿って、上へ。上から小石垣を見下ろす。なかなかの高低差だ。再び外周土塁へあがり、進んでいく。どれぐらい掛かるか測ってみよう。現在16:25。実は日暮れが近く焦っていた。外周土塁をぐるっと廻ると、やがて南側の大原山・焼米ケ原を経て、太宰府口城門跡へと続く。真っ直ぐに築かれた土塁防壁。この先は大原山と呼ばれる場所で、上り坂がずっと続く。地味にきつい。大原山の山頂へ到着。ここも外周土塁の一部に組み込まれている。山頂部は周りを浅い空堀で囲んだ場所になっていた。周辺で最も高い位置でもあるので、東側ではあるが見張台などが建っていたのかも。現在16:40、小石垣からここまで15分。まるで細い土橋、一騎駆けのような土塁防壁。左右は急斜面で結構な高低差がある。土塁は左側、大きな空堀を挟んで、右側に高台がある。時間がなく高台側にはあがらなかったが、礎石跡などが見られる場所だったのかも知れない。岩盤がむきだしゴツゴツしている場所へ。右側のやや盛り上がっている部分が土塁跡?当時もこれらの巨石はここに存在し、土塁を行き来する際の障壁になっていたのだろう。暫く進むと木々が開けた場所へ。かなり高いところにいることが分かる。太宰府口城門がある場所はもうすぐ。道が二股に分かれている地点へ。左へ行くと石仏群がある(江戸時代に西国三十三箇所の石仏が建立されたという)。目的の焼米ケ原は右へ。土塁は左のようで、ここから少し土塁から離れて内側へ入る形となる。焼米ケ原へ到着。公園化されているようだ。この下には駐車場があり、太宰府側からここまではカンタンに登ってこれるようだ。現在16:55、小石垣からここまで30分。結構早足で来た。焼米ケ原の標柱。横の説明板は「大野城跡と四王寺山」となっている。ここはかつて万葉集にも歌われた大野山で、665年にこの山頂全体を城とする大野城が築かれ、後に四王寺という寺も建てられた。また別の説明板には、ここは尾花地区とも呼ばれ、10棟もの建物跡も発掘されている。少し散策したが礎石群などは見つけられなかった。奥に見える坂の上辺りまで行かないといけなかったかも。またその建物群の一つから炭化した米が大量に採集されており、焼米ケ原(やきごめがはら)と呼ばれるようになったという。ちょっとした小山の上には史跡碑が。史蹟 大野城趾 四王寺趾とある。車で一気にここまで直接来る人のために、百間石垣のところと同じタイプの説明版もあった。文面は異なる。では再び土塁へ戻り、奥へ進む。元は右側の斜面ぐらいの山だったとすると、かなりの高さの土塁がぐるっと築かれている事が分かる。土塁の先端部に細い石碑が見える。かなり古い史蹟碑だった。史蹟大野城趾 四王寺趾。といっても土塁の上に築かれているのではなく、先程の広いところにあったのだろうか。寺が建てられたのは築城から約100年が経過した、奈良時代末。このあと、太宰府口城門跡(巨大な土塁が残る)を探すも見つけられず、岩屋城跡へ到達してしまった。現在17:00。日暮れも目の前で、ここから歩いて下山しないといけないため、大野城はここまで。車で来れるようなので、次回は山上の県民の森センターを起点に、礎石群や南の城門群をメインで見て回りたい。おまけ:山麓の太宰府政庁跡より、大野城を見上げる。中央奥の山全体が大野城。右端あたりが岩屋城。あそこからここまで歩いて降りてきた。写真は登る前のもの。 大野城の遺構としてはここまで。この後は、同じ山の一部(太宰府口の南側)に位置する戦国時代の山城・岩屋城跡を訪れた。大野城とともに大宰府を守った水城も東門だけ訪問。セットでどうぞ。 ・大宰府政庁跡(飛鳥時代〜平安時代の役所跡)・水城跡(古代城壁・続百名城)・大野城跡(古代山城・百名城)・岩屋城跡(戦国時代の山城) 訪問時期:2019年1月撮影機器:FUJIFILM X-T20 + XF10-24mm ページの一番上に戻る close

大野城 [2/2] 大野城を取り巻く巨大土塁上を縦断
サイト名 城めぐりチャンネル
タグ お城 日本100名城
投稿日時 2019-09-06 17:00:03

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