河後森城 [2/3] 本郭に復元された主殿舎と武家儀礼の様子の詳細

河後森城 [2/3] 本郭に復元された主殿舎と武家儀礼の様子
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記事タイトル 河後森城 [2/3] 本郭に復元された主殿舎と武家儀礼の様子
概要

河後森城 訪問記 其の二。 [前回までの訪問記 概要] JR松丸駅から旧松丸街道を経て裏側の風呂ケ谷へ。谷を上がって尾根上の西第十曲輪へ。ここから本郭方面へぐるっと回っていきます。 訪問時期:2019年7月河後森城 訪問記 − 其の一、二、三。 …… more <訪問記> 西第十曲輪の西の先端。土塁が復元されている。西の先端から奥を見てみる。手前下は先程居た風呂ケ谷。その奥の山の上が、ちょうど反対側の曲輪群(新城?)にあたるのだが、向こうは木々が生い茂っているようで、あまり分からない。こちらは木々が伐採されているので、向こうからこちらはよく見えそうだ。土塁の周囲にはたくさんの説明板が設置されていた。こちらは城の防御方法 堀切状遺構 説明板。土塁の下5mほどの位置には2本の堀切跡があり、風呂ケ谷から無理やり斜面を上ってくる敵を牽制していたようだ。ここ以外にも堀切や竪堀など斜面をカンタンには登らせない仕組みが見つかっているとのこと。下の堀切を見下ろしてみる。草茫々ではあるが、かろうじて凹みが感じられる。堀切があの位置にあることで、その上の切岸が更に急角度かつ高さを増幅することができる。土塁は分割されて復元されている。当時もこの程度の高さの土塁だったとか。一見かなり低いが、下の切岸が高くて急角度なので無問題か。城の防御方法 土塁と多聞櫓 説明板。本来は約90cmの高さがあったと盛土跡の幅から想定されている。また後年は土塁を取り去って代わりに多聞櫓や土塀を建てた跡も見つかっている。低い土塁がまだまだ続く。説明板も続く。ちょっとお腹(頭)いっぱい。。。土塁の機能と整備方法 説明板。土塁と切岸の目的がシンプルに分かりやすく書いてある。さすがは西の先端曲輪、全面土塁で囲まれていたようだ。では西第十曲輪から本郭の方へ尾根を通って訪れよう。細かい基壇のようなミニ曲輪が続く。ミニ階段の下が西第九、階段の間が西第八。階段を上がるとやや広い曲輪へ。ここは井戸の真上、西第七曲輪にあたる。ここからは各曲輪の脇に付けられた登城路を通って本郭を目指す。西第五まで来た。西第六曲輪。今は高い木々に覆われているが当時は先程の西第十曲輪のようにビシッと整備された状態だったのだろう。曲輪の脇の道を通ってどんどん上へ上がっていく。西第三曲輪と第二曲輪の間には堀切が発掘・復元されている。堀切。ほそっ! と思いきや、堀切前の説明板によると、遺構保護のため盛土をしてあえて細く浅くしているとのこと。ムム。曲輪を分断する堀切 説明板。このあたりは岩盤のようで、硬い岩盤をくり抜いた堅固な堀切だったという。幅1.3m〜2.2m、深さ1.3m〜1.8mの規模で発掘されており、写真の規模を見ても分かる通り、橋が架けられていないと厄介な堀切だっただろう。なおここは曲輪の東西を行き来するための道としても機能していた跡があるとか。ではいよいよ本郭方面へ。西第二曲輪の上へ。奥の土橋で繋がったもう一段高い部分が本郭だ。本郭への土橋およびその左右の堀切。向かって右側には石垣が残っている!本郭へ続く虎口の様子 説明板。石垣と土橋が復元されているのは近世城郭も建っていた1600年前後の最終段階での形で、その前の中世山城時代は土橋も石垣もなく、堀切の手前右側に門がありそこから石段で降りて本郭へ回り込んで入るルートだったとか。向かって右側のみに石垣が築かれているのは、谷から見えるように?本郭 入口脇の石垣。地元豪族から中央派遣の藤堂高虎などが領主となったことで、山奥の城にも石垣文化がやってきた、というわけか。なお古い門の柱は堀切の右側の凹んでいるあたりにあったようだ。当時の堀切幅は目の前の幅ではなく、左奥の本丸端あたりの広さがあったようだ。本郭へ。かなり広く、また一番高いので見晴らしもよい。建物跡が平面復元されていて、また奥には床まで立体復元されている。行ってみよう。復元された主殿舎の床板。主殿舎(掘立柱建物)の構造 説明板。柱間が規格化された、由緒正しい建物だったようだ。柱の位置が黒石で表示、とあるので、目の前の床板復元がされる前の説明パネルだろう。では主殿舎へ上がってみよう。失礼します。主人、家来、客人など、誰が何処にどっち向きに座るのかが示されている。城主目線。一番奥の客人はあまり良く見えない。正面の柱が気になる。一番うしろの客人目線。城主は遠い。河後森城 武家儀礼 復元プロジェクトと称して、主殿舎にちゃんと畳も敷いて当時の雰囲気で儀礼を再現したようだ(右下の写真)。これはすごい。ここは三献の儀という上層部のみでの形式張った儀式を行い、その後は会所へ移動して人数を増やして宴会をする、というパターンだったようだ。主殿舎からの眺め。眼下には四万十川の支流である広見川が流れ、川と城山の間に松丸街道が通り、松丸宿があった。本郭の東側にも尾根に沿って曲輪が続く。直接は降りれず、横から道を通って順に回り込む形。本郭全景と西側の切岸。こちら側から直接攻め上るのは無理そうだ。 >> 河後森城 [3/3] へ続く。<< 訪問時期:2019年7月撮影機器:FUJIFILM X-T20 + XF10-24mm ページの一番上に戻る close

河後森城 [2/3] 本郭に復元された主殿舎と武家儀礼の様子
サイト名 城めぐりチャンネル
タグ お城 続日本100名城
投稿日時 2019-08-28 01:20:03

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