江戸城にゆく三十六見附編  其の十七:一ツ橋見附の詳細

江戸城にゆく三十六見附編  其の十七:一ツ橋見附
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記事タイトル 江戸城にゆく三十六見附編  其の十七:一ツ橋見附
概要

東京都にあります江戸城三十六見附跡巡り。十七番目となるの今回は、一ッ橋見附跡を目指します。江戸城見附図 ※画像は人文社刊行の「江戸切絵図で歩く」より引用神田橋よりさらに外濠沿いを歩きます。この周辺には気象庁旧生物季節観測の木が植えられていました。こちらは途中にあります錦橋です。こ…… more の錦橋は江戸時代にはなく、関東大震災復興橋として1927年に架けられました。錦橋からの景色です。対岸状に石垣も見えています。首都高速に覆われた外濠沿いをさらに進みます。薄っぺらいですが、櫓台跡の石垣が見えてきました。一ツ橋門の枡形の石垣が残されています。それにしても、見るに悲惨な、いかにも残骸といった状態で残っています。反対側からの櫓台の石垣です。対岸側の石垣だけが残っており、残りは全て取り壊されています。一ッ橋です。そしてここが一ッ橋見附跡になります。一ッ橋からの景色です。櫓台跡の石垣の対岸側が見えます。一ツ橋門は陸奥国または出羽国の大名によって寛永6年に築かれます。古くから丸太1本の橋があったことに由来して一ツ橋と呼ばれるようになりました。一ッ橋を渡りきりました。反対車線側からの一ッ橋です。ここに説明板がありました。現在地はここになります。その正面には内濠の平川門が見えます。その手前に丸紅ビル前の道沿いに一橋徳川家屋敷跡の標柱があります。一ッ橋徳川家屋敷跡です。この日は工事中で囲いがしてありましたが、囲いに画像が貼ってありました。説明板の内容です。1741年に徳川宗尹公に屋敷が与えられたことが始まりです。ちなみに八代将軍吉宗次男の宗武(北の丸西・田安門)、三男宗尹(一ツ橋門)、9代家重公の二男重好(北の丸東・清水門)の御三卿の家名はそれぞれの見附門から名付けられたそうです。次回はいよいよ外濠沿い最後の見附跡である雉子橋見附跡に向かいます。【其の十八に続く】訪問日:2018年秋〜冬▽ ▽ ランキングに参加しています。 応援(クリック)よろしくお願いいたします。  ⬅︎  クリックしてくださいね〜にほんブログ村 close

江戸城にゆく三十六見附編  其の十七:一ツ橋見附
サイト名 廃城にゆく
タグ 東京都にゆく
投稿日時 2019-07-12 15:00:02

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