牛久城(常陸国・茨城県牛久市)の詳細

牛久城(常陸国・茨城県牛久市)
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記事タイトル 牛久城(常陸国・茨城県牛久市)
概要

新年度も始まり、来月からの新元号も発表になりました。新しい時代の始まりを予感させますね。さて今回は、元横綱・稀勢の里(荒磯親方)で有名な茨城県牛久市にあった城、牛久城です。以前は上総国の牛久城(千葉県市原市)をご紹介しましたが、今回は正真正銘の牛久城です。牛久城跡へは、牛久駅西口…… more から徒歩40分程度で行くことができます。または関東鉄道バスに乗って牛久城中バス停で下車すると徒歩15分ほど、牛久市コミュニティバス「かっぱ号」に乗って城中北バス停で下車すると徒歩10分ほど、または根古屋バス停で下車すると徒歩2分ほどで行くことができます。バスの本数的におススメなのが「かっぱ号」で城中北バス停下車のルートですね。牛久駅西口。JR東日本の常磐線が乗り入れています。特急「ときわ」の一部列車が停車する牛久市の中心駅です。牛久市は東京のベッドタウンとして宅地開発されて人口が激増、1986年(昭和61年)に市となり現在では8万人ほどの人口となっています。根古屋不動尊。牛久城跡のある台地の麓にある小さめな神社です。由緒などは案内板等もなく分かりませんでしたが、牛久城の守護神として祀られていたのかな、なんて想像しながら後にしました。牛久城跡の入口。こちらは搦手口にあたると思われます。今回、私は根古屋バス停から訪問しましたので、後ろから前に向かって進んでいく形になります。土橋。この先に本丸があります。竹林に囲まれて、土橋の形がハッキリと分かります。空堀。竹林がすごくて、空堀の形は写真では分かりにくいですが、結構立派です。牛久城は、岡見氏によって天文年間後半(1550年前後)に築かれたと考えられています。本丸虎口。だいぶ土塁が崩れちゃってる影響でしょうか、あまりハッキリした形ではありません。本丸。かなり広いです。佐竹氏と結んだ多賀谷氏の岡見氏に対する攻撃が激しくなり、1570年(元亀元年)に谷田部城が攻め落とされ、城主の岡見主殿は牛久城に逃れます。本丸の片隅に、非常に小さな祠がぽつんとありました。こんな、誰かが落っことしていったかのような、近くで見ないと祠かどうかさえ分からないくらいの大きさです。本丸土塁。かなり崩れているのでしょうか、あんまり高さはありませんでした。二の丸方面へ向かいます。左側の土塁がいい感じですね。空堀。本丸と二の丸の間の空堀がスケール抜群です。この空堀、堀底を歩いてみると分かるのですが、平らじゃないんです。畝堀っぽい感じで、駐車場にあるスピードバンプみたいな蒲鉾型の突起があります。腰郭。二の丸へ向かう通路には結構広めな腰郭があり、土塁で囲まれています。ここを三の丸としてみる場合もあるようです。二手に分かれる虎口。右に行くと二の丸へ、左に行くと三の丸へ行くことができます。まずは右へ行ってみましょう。二の丸虎口。岡見氏を支援する後北条氏は、牛久城の防衛と多賀谷氏との戦いに備えて井田氏、豊島氏、高城氏らを牛久在番衆として牛久城に派遣します。二の丸。本丸よりも広いです。平らなところは竹を伐採してあって、広さが実感できます。二の丸土塁。本丸の土塁より高いです。竹林がすごいので、どこまで土塁なのか分かりにくいですが・・・。二の丸と三の丸の間の土橋。先程の二手の分かれる虎口を、今度は左に来てみました。1586年(天正14年)から翌年にかけて多賀谷氏によって支城の谷田部城と足高城が攻め落とされますが、牛久城は牛久在番衆の援護もあってかろうじて守り抜きます。空堀。分かりにくいですね・・・。でも、結構な深さがあって、立派です。伐採しすぎても土が崩れちゃって遺構が失われかねないので、難しいところですよね。木戸口。ネーミングからして、ここに木戸があったんでしょうね。三の丸。果たしてここは郭なのか微妙な感じの地形です。しかし1590年(天正18年)、豊臣秀吉による小田原攻めによって後北条氏が滅亡すると、牛久城も開城となります。そのまま真っ直ぐ民家の間を抜ける道路を進むことができます。この辺りの地名が城中町というだけあって、ここも外郭のようなところだったんでしょうね。得月院。1596年(慶長元年)に由良国繁の母・妙院尼の菩提を弔うために建立されたといわれる曹洞宗の寺院です。その後、母・妙院尼に功により秀吉から所領を安堵された由良国繁が城主となります。秀吉の死後、由良氏は徳川家康に仕えますが、1623年(元和9年)に減封となり牛久城は廃城となります。得月院の本堂。本当はもうちょっと引きで撮影したかったのですが、手前でクレーン車が作業してたので、仕方なく寄りで撮影しました(笑)得月院については↓↓http://www.ushikukankou.com/tokugetsuin.htm得月院五輪塔。牛久市指定文化財となっているこちらの五輪塔、妙院尼の没年である文禄三年(1594年)が刻まれています。その後、1669年(寛文9年)に山口弘隆によって牛久陣屋が築かれ、明治に至るまで山口氏の支配が続きました。牛久城大手門跡。得月院からすぐのところで、城中北バス停からもすぐのところにあります。道路の曲がり具合で大手門跡であることは認識できましたが、もはやただの道路です(汗)本当はここから見始めればよかったんでしょうが、逆から進んできてしまいました。牛久城は遺構の残り具合といい、空堀のスケールといい、素晴らしいの一言でした。牛久市文化財ガイドブックや広報誌などに詳しく載っていますので、もうちょっと案内板を充実させてもらえたらなという感じはありましたが・・・。あ、せっかく牛久に来たのに牛久陣屋跡に行ってなかった・・・(泣)では、この辺で。御城学。 close

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投稿日時 2019-04-04 15:40:01

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