「多聞櫓」の発祥 多聞城跡(奈良市多門町)の詳細

「多聞櫓」の発祥 多聞城跡(奈良市多門町)
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記事タイトル 「多聞櫓」の発祥 多聞城跡(奈良市多門町)
概要

3月9日の奈良市内 神社・史跡めぐりウォーキングで佐保川天満宮を参拝後、多聞城跡を探して歩いている時、天皇陵を巡っている京都から来た青年と出合い、その後一緒に歩いて天皇陵を探しました。「多聞櫓」 という言葉を耳にしたことがありますが、ここの城が発祥だったのです。多聞(たもん)城…… more 跡:奈良市多門町                    2019,03,09  01:37 PM                多 聞 城 跡多聞城は、戦国武将、松永久秀が築いた城です、永禄2年(1559)、久秀は大和に侵攻し、翌年、奈良の町を見下ろす佐保山の一画に多聞城の築城を始めました、永禄6年(1565)、奈良を訪れた宣教師ルイス・デ・アルメイグは、城は瓦葺で白壁の城壁を備え、城内は 障壁画で飾られるなど豪華な造りであったと書き残しています、後に「多聞櫓」と呼ばれる長屋状の櫓や、後世の天守に相当する「四階櫓」ご造られろなど、近世城郭の先駆けとなる城でした。松永氏は退いた後、天正2年(1574)、織田信長が多聞城に入りました、しかし、天正4年(1576)には、信長により多聞城の取り壊しが命ぜられ築城からわづか十数年で破却されました。建物の一部は安土城や二条城で再利用され、残されていた石材は筒井城へ運ばれたことが知られています。城域は、現在の奈良市立若草中学校の校地と、西側の光明皇后陵を含む範囲と考えられ、北西と東西しは堀を巡らし、南西は佐保川で奈良の町と区切られていました。発掘調査では、石造物を再利用した石垣の溝や井戸、多数の瓦などが見つかっています、また、現在でも閘門の東側には、校地一帯で発見された墓石類が手厚く供養されています。 close

「多聞櫓」の発祥 多聞城跡(奈良市多門町)
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タグ 城、城跡、城関連
投稿日時 2019-03-26 16:00:01

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