池田城の紹介1 歴史の詳細

池田城の紹介1 歴史
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記事タイトル 池田城の紹介1 歴史
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今回から池田城の紹介をします。2019年2月18日に訪問しました。 主郭で梅が咲いていました。背景は模擬天守です。 十月桜という早咲き桜も咲いていました。 十月桜という早咲き桜も咲いていました。 主郭にある模擬天守です。(復元ではありません…… more )   池田城の歴史 池田氏は鎌倉時代の文書にその名が登場し、室町時代には荘園侵略や高利貸し経営などでかなりの財力をもち、守護大名細川氏の有力家臣になっています。建武元年(1334年)頃に、現在の大阪府池田市にある五月山南麓の丘陵地(標高50m)の高台に館を築城します。西側には崖、北側には杉ヶ谷川を取り入れ、東、南には堀(最大幅で25、7m、深さ6.6m)と土塁で守られました。池田教依が築き、代々池田氏が城主でした。出来た頃は主郭辺りだけの城でした。 現地模擬天守内の資料から 主郭の中には、枯山水風の庭園が築かれて、池田氏の館として、城は生活の場所でもありました。室町時代末期頃から戦乱に巻き込まれて、池田城は拡張して防御力を高めていきます。 池田城が最初に落城したのは、応仁の乱で、東軍について、文明元年(1469年)に西軍の大内政弘の軍に攻められ落城します。しかし、大内軍は他所に移動したので、池田氏が池田城に戻りました。 次に、細川氏の内紛で細川澄元派に属していた池田貞正は、1508年に反対勢力であった細川高国の攻撃を受けて、池田一族の池田正盛(まさもり)の寝返りにより池田城は落城します、貞正は自殺して子の信正は落ち延びました。発掘調査では炭層、焼土が厚く堆積していることが確認されており、池田城は大きな被害をうけました。1519年に、貞正の子の信正が城を奪回しています。 その後、1531年の大物崩れでも高国の攻撃を受けます。この戦いの後に城の復興で主郭の堀を広げ周りに土塁を設け、南東側にも連郭状の曲輪を設けてっ弱点を補強しています。その後も、細川氏の内紛で、池田氏も両派に分かれて、血で血を洗う戦いが続きます。 1533年に、享禄・天文の乱で一向一揆に敗れて堺から淡路へ逃れていた細川晴元が4月に池田城に入城しました。 1568年に、池田勝正は織田信長に抵抗しますが、織田軍の攻撃を受け落城しました。勝正は抵抗しますが、潔く降伏したので、信長から6万石を賜って家臣となります。池田城は信長の持つ「虎口」などの城郭ノウハウを取り入れてさらに拡張します。他にも東側に横堀を二条掘削して、大規模な曲輪を設け、城域を南東方向に拡張します。城域は東西約330m、南北には約550mに拡張されました。 勝正は信長に摂津三守護の1人に任命されます。 池田城全体図(池田市教育委員会資料から) みどりの木が加筆しています。水色の堀は空堀です。底が沼地の所もありました。赤線に沿って攻め上ります。黄色は木橋です。ABCDからの眺めは。 Aの法園寺の南側にある外郭の崖です。 Bの主郭部北方向の崖です。 Bの主郭部南方向の崖です。 Cの杉ヶ谷川西方向です。 Cの杉ヶ谷川東方向の崖です。 Dの北方向外堀跡です。 荒木村重は池田家の、重臣「池田21人衆」の1人として頭角を現し、池田勝正を追放し、池田氏内部のクーデターで城内をまとめ、残る摂津三守護の和田惟政、伊丹親興を討ち取って茨木城と高槻城を手中に収め、1573年3月に足利義昭と対立した信長と、京都知恩院で対面し信長の家臣になります。この時信長の刀の先の団子を食べたことで有名です。この時信長は高槻城攻略に激賞し、村重に摂津の単独守護職を認めます。池田知正は義昭に就いたため没落、池田家を乗っ取った村重の家臣になります。その後伊丹城を手に入れた村重は有岡城と改名し、居城を有岡城に移します。池田城の管理は池田氏族の有力者がなった可能性があります。 現地模擬天守内の資料から 1578年に、信長に謀反を起こした荒木村重は信長と戦います。池田城の池田氏は城を信長に明け渡し、池田城は信長の本陣になります。この時に高槻城や茨木城も信長に説得されて開城しています。1579年11月に、有岡城は落城します。村重の家臣となっていた池田知正も妻子を尼崎七松で処刑されました。池田城は有岡城が落城した1580年に、信長の命により廃城となります。 現地模擬天守内の資料から信長が主郭部に堀を掘っています。 現在は主郭部が城跡公園になっています。 今回はここまでで、 明日に続きます。 読者募集中ですので、読者登録はここのリンクです。希望があれば、相互登録します。毎日午後8時半頃に更新しています。「相手わかるように」に設定して読者登録してください。読者のブログ村・ブログランキングは出来るだけ押しに行きます。 Ctrlキーを押したままで、ポチしたら画面が飛ばされません。 お手数ですが、よろしく。ぽちっと押すだけ                                                                                                                                                                                                                                                               お願いします。 close

池田城の紹介1 歴史
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投稿日時 2019-02-20 01:40:03

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