飯田城(長野県)の詳細

飯田城(長野県)
むぎの城さんぽ
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記事タイトル 飯田城(長野県)
概要

【飯田城】いいだじょう 【別名】長姫城・三本杉城・六本杉城 【構造】平山城 【築城者】坂西氏 【築城年代】13世紀初期 【指定史跡】― 【場所】飯田市追手町 地図 【城郭検定】出題あり 飯田城は、室町時代に飯田を治めていた豪族である坂西氏が山伏の修行場であったところに城を築きま…… more した。 戦国期には武田、織田、徳川、豊臣と侵攻、支配が繰り返され改修されました。 関ヶ原の戦い後は小笠原氏、脇坂氏を経て、堀氏が明治維新まで在城し、明治政府により 本丸の一部の石垣や櫓台、水の手御門の石垣、井戸跡、桜丸御門(赤門)を残し破却されました。 長姫神社 長姫神社があるこの地が飯田城本丸にあたる場所です。 かつては本丸御殿を中心に七軒の建家群で構成されていました。 大杉が生い茂り陰気で建物が大き過ぎ、城下町からも遠く堀氏中期以降公行事以外は 桜丸が使われていたと云われます。 浄水 この手水は隣接する飯田温泉「天空の城 三宣亭」本館からの寄贈で、 天空からの絶景を眺めながら浸かる天然温泉は、まさにお殿様・お姫様気分を満喫できます。 そして、ここから出ている水は、なんと温泉の手水なのです。 拝殿 堀家の御三霊を祀っています。 観耕亭碑 本丸内にある観耕亭碑は、1859年(安政6年)に建てられたもので、 飯田城主堀親義候は、文武の業に励み折を見ては城外に出て山水を賞することを楽としていた名君です。 しかし、外出すると働いている農民の邪魔になるので、城中に小亭を造り そこより農民が農耕にいそしんでいるのを眺め楽しんだという内容が書かれた 賢者の楽と言うべく、まさに仁政の基とすべき「観耕亭記」が書かれた碑なのです。 二の丸大通り跡 長姫神社隣の二の丸にある美術博物館へやってきました。 ここは二の丸の大通りを再現しています。(若干位置はずれています) かつては道の両脇に白壁の土壁が続き、各所に飯田藩重臣の屋敷の門がありました。 道幅は約5mで、北側に用水路(御用水)が作られていました。 二の丸水路跡 発掘調査で明らかになった御用水以外の用水路です。 いくつかみつかったうちのひとつです。 石組竪穴跡 壁側に河原石を積み、底に小石を敷いた正方形の竪穴で片側だけに中断があります。 江戸時代、屋敷の庭にあって洗い場として使用されていたようです。 井戸 発掘調査により、二の丸内には5つの井戸がみつかっています。 内側に石積みを築いたものです。 深さは判明していないものの、かなり深かったのではないかと考えられています。 小松の碑 この碑は、この地に屋敷を構えていた城代家老安富主計季記が小松の由来を記したものです。 季記は江戸に出府している文化11年の正月に、藩主の奥方から和歌一首と小松を賜り、 小松を江戸屋敷で仮植えし、飯田に帰る藩士に持ち帰らせ自宅に植えた松です。 ちなみにこの小松は5代目だそうです。 空堀跡 橋の下には本丸と二の丸を区切る空堀の跡があります。 飯田城の堀(水堀も)は明治以降ほとんどが埋められてしまい、現在はこの美術博物館と大手町小学校で 痕跡が見られるだけとなりました。 長姫のエドヒガン(安富桜) この桜の木は飯田城藩主堀氏の家老安富氏の邸址近くにあったため 俗に「安富桜」と呼ばれています。 美術博物館をぐるっと一周して帰って来ました。 このように二の丸跡に建てられた美術博物館の周囲には遺構や再現されたものが 沢山見られるようになっています。 赤門 桜丸へやって来ました。 ここには桜丸御門、通称「赤門」があります。 1754年(宝暦4年)に造られた現存する門で、飯田の役所等で正門として使われて来ました。 そして飯田城で現在も建築当時と同じ位置にあるのは赤門だけです。 案内看板 城下町・旧跡散策マップです。 これを見ながら散策、水の手門の石垣を見に行ってみようと思います! 内側から見た赤門。 「赤門文庫」と掲げられた場所は書庫でもあるの?と思ったのですが「番所」でした。 門に番所が付いているとは 飯田城桜丸のイスノキ この木は南の暖かい地方に自生する木で、北限を越えたこの地に生息するには 飯田城主ばかりでなく、地域の人々によっても大切に育てられた木なのです。 硬くて重い材は床・柱・机・櫛・そろばんの玉などに多用され 近世の大名庭園や御所などにうえられている木でもあります。 桜丸御殿址のヒガンザクラ 桜丸は飯田城本丸御殿の別棟として桜丸御殿があった場所です。 脇坂氏時代の庭園には多くの桜が植樹され、桜丸と呼ばれるようになりました。 この桜の木は1本のように見えて、江戸彼岸桜と枝垂れ桜が合体して1本になっているそうです。 確かに、左の枝は枝垂れていますが右の大木の方は普通の枝ぶりですね。 桜が咲いている時に見たら判りやすかったのかも。 水の手御門 二の丸と出丸の間にある水の手坂の途中に水の手御門がありました。 慶長6年小笠原氏が入城した際に拡張してこの門は搦手門として使われていました。 それ以前の京極氏入城の頃には大手門として使われていました。 現在は石垣のみが残されています。 遠景 旧飯田城の八間門 この櫓門は飯田城二の丸入口にあった門で、二の門とも呼ばれていました。 二階建て三間一戸の櫓門で、脇坂氏時代の絵図にも八間門の名で記されています。 1871年(明治4年)に木下家に払い下げられ移築されました。 一階の部分は文禄年間の築造と推定されています。 飯田城にあった時は一階の両側に石垣があり、枡形を形成していました。 柱を一度取り替え、扉口の幅を広げた痕跡が残っています。 石落し 二階の部分は江戸時代前期の建築と推定され、扉口より前面に張り出し、 厚板がはめられ石落しが設けられています。 飾り瓦 切妻造りで飾り瓦が載っています。 懸魚もあったようですが今は付いていません。 この日の目的地であった飯田城にやって来ました。 何十年ぶりに訪れたのだろう…。 運転免許を取って間もない頃は買い物や仕事で訪れたりしてたんですけど 記憶の中の飯田の街中とは違っていました。 苗木城から寄り道しながらの到着、日没近い時間だったので焦ってましたが とにかく目的の赤門がやっと見られ念願叶いました。 いつでも行けると思っているところほどなかなか行かなかったりするんですよね^^; 平成30年11月11日登城 よくわかる日本の城 日本城郭検定公式参考書小和田 哲男学研プラス close

飯田城(長野県)
サイト名 むぎの城さんぽ
タグ 百名城以外の城
投稿日時 2018-12-11 15:00:02

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