大垣城 [1/2] 関ヶ原合戦直前まで西軍の拠点だった要衝の平城。の詳細

大垣城 [1/2] 関ヶ原合戦直前まで西軍の拠点だった要衝の平城。
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記事タイトル 大垣城 [1/2] 関ヶ原合戦直前まで西軍の拠点だった要衝の平城。
概要

大垣城は、名古屋と垂井とを結ぶ旧街道・美濃路沿いにある古くからの交通の要所であった大垣の地に築かれていた平城。戦国期は織田氏、斎藤氏などの争いの場となり度々戦場となった。1600年の関ヶ原の戦いでは西軍の拠点となり石田三成らが合戦直前まで在城していた。1635年に戸田氏鉄が城主と…… more なり、四重の水堀に囲まれた総構えを持つ巨大な平城として完成した。明治廃城後も天守を含む多くの建物が残っていたが、昭和20年の米軍無差別爆撃で焼失した。総構を囲む水堀の多くは埋め立てられ石垣も失われたが、天守と戌亥櫓が外観復元されたものの、本丸の形状は大きく改変され、石垣も多くは積み直しされ当時の姿は殆ど留めていないと言われる。 <基本データ> ●名称:大垣城 (Wikipedia) ●所在:岐阜県大垣市郭町 (地図) ●城主:戸田氏鉄 ●築城:1535年 / 1635年 ●遺構:石垣、堀跡 ●情報:続日本百名城 No.144 (一覧) 訪問時期:2018年5月 大垣城 訪問記 − 其の一、二。 <訪問記> 大垣駅から歩いてすぐの距離にある大垣城へ。名古屋・岐阜と彦根とを結ぶ中山道・美濃路沿いという交通の要所に位置し、幾度もの戦いを経た大垣城は、江戸期には四重の堀に守られた巨大な総構を持つ巨大城郭に発展していた。廃城後 街の発展とともに多くの遺構は失われたが、いまも一部の水堀は川として残り、駅から城跡へ向かう途中にも楽しめる。 城を囲むように流れる水門川。当時の水堀だったという。 水門川。城を囲むように人工的に曲げられたのだろうか。 そして、住宅街の中を歩いていると、突如現れる石垣と城壁。ひっそりと公園として整備されている大垣城 本丸跡。 本丸は天守の建つ曲輪とその外周の二重構造になっている。眼の前の石垣はその外周部分で、今いる場所は当時の内堀の上だ。 大垣城 説明板。右の古絵図を元にした図面と、左の現状図が、まったくリンクしない。それほど姿が変わってしまったようだ。なお当時は巨大な堀の中に本丸と二ノ丸が島のように築かれていたが、その堀はほぼ埋め立てられ、いまは陸続きになっている。本丸は城址公園として、二ノ丸の一部は大垣公園として整備されている。 説明板に掲載されていた、古絵図を元にしたかつての大垣城の全景。正保城絵図。四重の堀に守られ、七口之門と呼ばれる七ヶ所の堅固な城門が侵入を拒んでいた。茶色の線は、名古屋と垂井を結んでいた美濃路で、街道を総構に取り込んでいた。 こちらは島のような本丸の北側に開けられていた、水之手御門跡。舟で直接水堀に降りることが出来たようだ。 本丸の北西端に建っていた戌亥櫓。昭和20年まで現存していたが、例によって米軍の無差別爆撃により焼失。天守とともに昭和34年に外観復元された。 水之手御門から入ると目の前は四層の天守がそびえる。入口は反対側。近すぎてよく見えない。 天主台の石垣を見る。明治29年の大洪水の際、大垣城が水没したという記録が残る。その際にどこまで水が来たか、を石垣に刻んでいるという。左の石碑の裏あたりに線が引かれているのが見える。 大垣城天守台の石垣。実は再建の際に積み直しがされてしまったと別の場所の説明板に書いてあった。明治の大洪水の際はまだ現存天守だったので、線が引いてあるあたりの石垣は特に積み直されていないということかもしれない。 線のところをよく見ると「大洪水」と彫ってある。自然災害の記録を後世に伝えるというのは、台風 地震 噴火など自然災害が多い日本ではとても大切なことだ。 天守台のある本丸内側の曲輪の石垣は、古絵図を見るとかつては本丸中央部が一段高くなるように築かれていたようだが、公園化で改変されてしまったのだろう、ここで途切れている。 本丸の東側にある巨大な櫓門。石垣の雰囲気が先程とはかなり様相が異なる。古絵図を見るとかつてここにこんな城門は無かったようだ(出た先は内堀なので)。これは公園化の際にかつての七口之門の一つを移築したものという。後ほど外に出た際に見てみよう。 現在の大垣城の入口はここなのだろう、天守までまっすぐ伸びる階段が築かれている。当時はここに階段もなければ道も無く、前方は石垣と多聞櫓があった。 かつての石垣をぶち抜いて作った階段。隅部がぐちゃぐちゃだ。 このあたりにあった小さな大垣城跡 説明板。 そして再建された天守前へ。東と南に伸びる付櫓もしっかり復元されている。また再建された当時、窓が大きく改変されていたが、2011年の改修工事の際に古写真を参考に当時の姿に近くなるよう戻された。なお大垣城天守は近隣の復興天守・模擬天守を建てる際の「モデルデザイン」とされる事が多かったようで、同じ岐阜県内にある郡上八幡城や墨俣城の模擬天守は(窓が大きかった頃の)大垣城天守の姿にそっくりに造られている。 では天守内へ入ってみよう。入城料は100円。続100名城スタンプも天守内にある。 入口前にある説明板。歴史から構造など細かく簡潔に説明してあり、分かりやすい。 説明板その2。本丸に建てられていた天守と艮櫓(北東)、乾櫓(北西)が残っていたが、外観復元されたのは天守と乾櫓、とある。艮櫓は外観復元されていないということだろうか。また現在の天守の石垣はほとんどが再建時に積み直しされ、消失前の状態を留めているのは一部、とある。また、大垣城の石垣は、海中で貝殻などが堆積して出来た石灰岩が用いられており(金生山)、化石を含む石材も多く見られるとか。 昭和20年の米軍無差別爆撃で焼失する前の、国宝大垣城天守の姿。こういった写真が残っていたからこそ、現在の外観復元がなったのだろう。4枚前の写真と見比べると、窓が白と黒との違いがあって印象は異なるものの、確かにほぼ同じ姿をしている。1階と2階が同じ面積を持つ、層塔型天守。 では天守内へ入ってみよう。多くの大名らが城主を務めた大垣城らしい、様々な旗印のノボリが飾られている。 中は鉄筋コンクリート造という感じの内装。甲冑や古文書(複製)など大垣城にまつわる品々がガラスケースに入って多く並べられている。 昭和の再建の際に天守に掲げられていた鯱瓦が、ここに置かれていた。平成の改修時に取り替えられ、古いものはここに置かれているという。 再建大垣城 天守鯱瓦 説明板。昭和の再建の際は、窓の形も大きく改変されるなど、あまり史実に基づいた外観復元という概念が無かったようで、窓だけでなく鯱瓦なども特に意識されず勝手にデザインされていたようだ。時代も変わり、より史実に基づいた復元が重要視される中で、平成の改修時に窓の大きさも鯱瓦もこうして古写真・史料どおりに復元された。 兵器の変遷、分かりやすい説明板。 様々な槍の種類。上の方にあるトゲトゲで返しのあるものは袖搦(そでがらみ)と言われる、江戸時代の捕物道具か。 関ヶ原合戦 前日に大垣城を舞台に起きた「杭瀬川の戦い」デフォルメジオラマ。大垣城にこもる西軍と、杭瀬川に出撃し東軍を蹴散らす島左近、そして赤坂・岡山に陣取る家康率いる東軍。 東軍陣地の赤坂・岡山も周りに柵や塀が築かれている。 結構大きなジオラマで、岡山と大垣城 付近以外にも様々な武将らが再現されている。 ジオラマの裏側には、関ヶ原前日の「杭瀬川の戦い」の経緯を分かりやすい絵とともに詳細に説明している。9月14日、家康は西軍の予想に反して大垣の北東・赤坂岡山に着陣。動揺する西軍。そこで石田家家老の島左近は杭瀬川越しに東軍をおびき出し伏兵を持って壊滅させたという。 9月14日の杭瀬川の戦いは大垣城を拠点にして勝利をおさめた西軍だったが、翌日9月15日には松尾山城の小早川秀秋を攻撃すべく大垣城を出て関ヶ原(一次史料的には山中と呼ばれる地)に進軍した西軍を東軍主力が挟撃し、西軍は壊滅となった・・・と近年の研究で明らかになってきている。 家康着陣と杭瀬川の戦い。いわゆる定説に則った説明がされているが、近年の一次史料ベースの研究により関が原の合戦の経緯や実態は見直され始めている。 天守内に掲示されていた、大垣城の彩色古絵図。本丸と二ノ丸が、大きな沼とも言える水堀の中にまるで島が浮かんでいるように描かれている。本丸と二ノ丸は一本の橋だけでつながり、また二ノ丸と外周部(三の丸)とも一本の橋だけでつながった、平城ながらまさに堅固な城だ。関ヶ原合戦後の大垣城の戦いでは、当時はどのような姿だったかはわからないものの、1週間の籠城戦を経て本丸のみとなったところで降伏・開城している。 同じく城内に掲示されていた、復元CG。こう見ると本丸・二ノ丸は島というよりまるで要塞、言うなれば軍艦島だ。多数の堀と川に囲まれた大垣城の水城さがよく分かる。 >> 大垣城 [2/2] へ続く。<< 訪問時期:2018年5月 撮影機器:iPhone X – – – – – – – – ブログ人気投票参加中. いつも投票アリガトウ(^-^) 投票するのも、順位を見るのも、上↑のアイコンを押してね! ページの一番上に戻る   close

大垣城 [1/2] 関ヶ原合戦直前まで西軍の拠点だった要衝の平城。
サイト名 城めぐりチャンネル
タグ お城 続日本100名城
投稿日時 2018-10-15 04:40:01

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