小倉城 [2/2] 水堀越しに見る直線的な天守台と唐造り天守の定番ショット。の詳細

小倉城 [2/2] 水堀越しに見る直線的な天守台と唐造り天守の定番ショット。
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記事タイトル 小倉城 [2/2] 水堀越しに見る直線的な天守台と唐造り天守の定番ショット。
概要

小倉城 訪問記 其の二。 [前回までの訪問記 概要] 二ノ丸跡に建つショッピングモールを越えてお堀前へ。八坂神社のある北の丸跡から多聞口門を越えて本丸へ。堅固な内桝形虎口。本丸には本丸御殿があったというが今は舗装され公園化されている。天守はリニューアル工事のため入れず。其の二では…… more 大手門から再度本丸外に出て散策します。 訪問時期:2018年9月 小倉城 訪問記 − 其の一、二。 <訪問記> 本丸の南東部に築かれていた大手門跡へ。右奥の、恐らく近年の作と思われる槻門の石垣と比べ、正面の大手門石垣は野面積みでいかにも重厚な雰囲気。 大手門跡。場所的に恐らくこの先あたりにかつて巨大な大手櫓門があったと思うのだが、道が完全に舗装されてしまっており、礎石も見当たらず、全く面影がない。 公園としてのお城は、八坂神社側ではなく、こちらの大手門前なのだろう、こちらにはたくさんの「リニューアル工事のため休館中」案内板がたくさんあった。平成31年4月から営業再開のようだ。残念。着見櫓へは時間の都合もあり今回は寄らず。2Fのお土産コーナーに寄りたかった。 小倉城天守閣 休館中!半年以上かかるようだ。展示リニューアルと、エレベータ設置工事を実施中だとか。 こちらが大手門跡。左右の巨石のなんと大きいこと! 小倉30万石の貫禄を示しまくっている。右側の石垣が、ちょっと膨らんできているようにも見える。 大手門の巨大石垣を別角度からもう1枚。ちょうどこのあたりから見ると、当時も奥に大手櫓門が見えたのだろうか。古絵図によると、この大手門付近の石垣の上には土塀ではなく多聞櫓と思われる建物が描かれている。 本丸南部の石垣を少し見てみよう。外側は完全に舗装されてしまっているが、当時もお堀ではなくここは通路だったようだ。 本丸南側の石垣。大手門付近の巨石とは異なり、このあたりは通常の大きさの石垣がビシッと積み上げられている。この左側は当時はお堀だったが、今は埋め立てられ道路になっている。 では本丸横を北上し、大天守を堀越しに見える場所へ行ってみよう。裏の赤い建物(ショッピングモール)との組み合わせが不思議。 道を狭めるように石垣が残されている。今は奥のショッピングモール、までまっすぐの道が築かれているが、当時はここで折れ曲がりを形成しており、右側の石垣の奥には「大手先門」と呼ばれる城門があった。 大手先門を越えると、お堀の向こう側に、大天守が見えてくる。 大手先門跡の石碑は市役所の入口にひっそりと建つ。今は道を真っ直ぐ通すために、軽トラの奥にわずかに残る石垣を除いて当時のルートの名残が無くなってしまっているが、当時は古絵図によると軽トラ奥の石垣の上に、写真向かって手前に大手先門が築かれ、そこで90度道が曲げられているような様相だった。図に表すと次のような感じか。 大手先門と折れ曲がりの想像図。 大手先門を越えた先に当時もそびえ建つのが見えたと思われる、小倉城大天守と天守台。上の図のとおり、当時はもう少し天守台前の堀は幅広だった。そして天守の姿は当時は層塔型(破風が一切ない)で、今ある大坂城(あれも史実に基づかない昭和デザイン)みたいな天守の姿とは全く異なるものだった。残念。いずれ来る耐震工事の際にでも当時の姿を再現してみてはいかがだろう。他にない特徴を持つ姿はきっと観光にも良いと思われるが果たして。 そして天主台の石垣は隅部が見事に一直線。質実剛健という印象を与える。 最上階の黒い唐造りの部分だけは史実を再現しているという。ぜひ中に入ってその広くなっている部分を体感したかった。 天守の向かって右奥は、八坂神社のあった北の丸。 小倉城 大天守と水堀。ちなみに手前に堀のラインが急に斜めになっている場所がある。恐らくこれは当時のお堀のラインだろう。つまりこの線に沿ってまっすぐ左上に向かってお堀が築かれていたが、前述の通り大手先門の取り壊し・道のまっすぐ化に伴ってお堀も一部埋められてしまい、こうして先っぽだけが残っているものと思われる。 大天守の向かい側には、かつての小笠原氏の下屋敷に築かれていた庭園が復元されている。小笠原城庭園として営業中。なお天守リニューアル工事中の続100名城スタンプはこの庭園入口に仮設置されていた。今回は時間の都合上 庭園はカット。 八坂神社の石鳥居と大天守の定番ツーショット。この鳥居の先の道を進むと、空堀脇を通って先に見た北の丸へと通じる。 八坂神社の大鳥居。ちょっと暗いが、鳥居の向こうに建てられている巨石は、後で説明板に書いてあった中津口門の巨石だろうか? こちらも定番ショット。石鳥居越しの復興天守。 鳥居横にあった「小倉城下と中津口門の大石」説明板。かつての総構えの周囲は8kmにも及んだという。かつての居城だった中津城へ繋がる街道を塞ぐ「中津口門」の石垣に使われていた巨石が2つ、中津口門の解体に従い保管されていたが、平成12年にここに移されてきたとか。 石鳥居から見る水堀越しの天守をもう1度。当時の姿とは異なるものの、やっぱり見栄えはする。 天守台と大天守をアップで。 更にアップで。最上階の唐造り部分の要塞感と、その下部に白く塗装された支えの斜めの具材がずらりと並ぶ様が特徴的。 では天守前から、お堀を越えて二ノ丸側へ抜ける道へ。前述の通り、この道は江戸時代には無かった。左側の石垣が今まで見てきた野面積みの石垣とは異なり目地のあった積み方がされていることからも、ここが当時の遺構ではないことが分かる。 見事なまっすぐ道。お城には似つかわしくない。 橋の上から下台所跡の石垣を近くで見る。巨石の下にある石垣は、古絵図にも描かれている下台所曲輪の折れ曲がり部。 反対側を見ると、下屋敷跡へと通じていた虎ノ門跡。天守から見て寅の方角にあることから名付けられたとか。行きたかったがこちらも時間の都合で省略。 ショッピングモールがあった二ノ丸跡の手前に、乃木希典居住宅の趾 という石碑があった。西南戦争に従軍した当時の若き乃木隊長がここに住んでいたとか。 最後にショッピングモールの駐車場フロアから、ちょうど目の前にお堀と石垣、天守が見えたので撮影。この角度から見るのが一番美しいと感じたが、斜めのガラス越しのため撮影が難しかった。 ちょうど正面にはガラスの無い場所もあったが、ビルのデザイン構造上 色々間に挟まってちらっと見えるのみ。 細川忠興公 豊前30万石の小倉城。開発により大きく失われてしまったものの、それでも本丸周辺の水堀、石垣がよく残っており、想像していたよりもとても「お城」だった。今回は天気も悪く時間の都合で全体の半分ほどしか見られなかったので、ぜひ天気の良い時に再訪したい(リニューアル工事後に)。 訪問時期:2018年9月 撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF10-24mm – – – – – – – – ブログ人気投票参加中. いつも投票アリガトウ(^-^) 投票するのも、順位を見るのも、上↑のアイコンを押してね! ページの一番上に戻る   close

小倉城 [2/2] 水堀越しに見る直線的な天守台と唐造り天守の定番ショット。
サイト名 城めぐりチャンネル
タグ お城 続日本100名城
投稿日時 2018-10-15 04:20:02

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