忍城 [2/3] 本丸跡に残る外周土塁の一部と藩校表門。の詳細

忍城 [2/3] 本丸跡に残る外周土塁の一部と藩校表門。
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記事タイトル 忍城 [2/3] 本丸跡に残る外周土塁の一部と藩校表門。
概要

忍城 訪問記 其の二。 [前回までの訪問記 概要] 駅近くでレンタサイクルを借りて登城スタート。まずは資料館からの三階櫓へ。かつては湿地帯に点在する沼の間に建てられた城だったが、大半が埋め立てられ往時の面影は無い。其の二では本丸に現存する土塁跡を見に行きます。 訪問時期:2018…… more 年9月 忍城 訪問記 − 其の一、二、三。 <訪問記> 資料館のちょうど奥に当たる位置に移築された門。武家屋敷の表門だったが、その前は藩校「進修館」の表門であったと伝えられている。冠木門に屋根と控柱を付けたような構造になっている。 伝進修館表門 説明板。高麗門だが、当初は赤く塗られた赤門だった可能性もあるという。墨書から天保三年(1832年)建立と判明したという。 藩校表門を越えて本丸の外側へ出ると、すぐ脇に巨大な土塁が見える。この土塁が、かつて本丸の外周部を構成していた土塁の一部であるという。今歩いている場所はかつてのお堀跡。 長くまっすぐ伸びる土塁。草ぼうぼうになっていて、ちょっと土塁感が少ないのが残念。季節によっては草が刈られた状態なときもあるようだ。 草に埋もれて、本丸土塁の説明板があった。南に二ノ丸、西に土蔵曲輪と呼ばれる場所とそれぞれ橋で繋がっていた。 土塁の端っこまで来た。ここで途切れているが、かつてはこのまま伸びていたのか、あるいはここが角で左へ曲がっていたのか。 土塁に沿ってまた門まで戻ってきた。左手前側が現存土塁だが、門の右奥にも土塁が伸びている。 こちらには土塁がとてもキレイな法面をしているのと、上に土塀が建てられていることから、こちらは再現された土塁か。ここは本丸の外側に当たるのだが、よく見ると土塀に作られている鉄砲狭間は外側が広くなっている。 では門を通って再度本丸跡の中へ。資料館の裏側を通って、三階櫓側へ戻ってみよう。ちょっとした土塁のようなものもあるが、遺構ではなく庭園としての整備か。 三階櫓と、それに続く陸橋。ここから三階櫓に入れそうな扉が見えるが、入れない。 陸橋を越えて最初に入ってきた門まで戻ってきた(右奥に見える門がそう)。その手前に、ここにもかつての忍城櫓台の石垣の石材が陳列されている。 先ほどと同じ形に加工された石材。 以上で本丸内の散策は終了。つづいて、本丸の外周部にかつて広がっていた沼地上の曲輪群に存在した門跡や櫓跡をめぐってみよう。痕跡はほとんど残らないが、その跡地とされる場所には数多くの石碑や説明板が建てられているという。 まずはその説明板のひとつから地図を拝借して、今回まわってきた石碑をプロットしてみる。これだけでなく、かつての外堀に築かれた出口や各御門、曲輪跡には大抵石碑が建っているようだ。本丸北の二重櫓跡から、左回りでぐるっと忍城域めぐり。ちなみにレンタサイクルのところに上記石碑の現在のだいたいの位置が描かれているマップをもらえるので、それを片手に探し回る旅だった。 まずは城の北西、主要部の北西端側を見張っていた二重櫓跡へ。現在の地図を見ながら付近を探し回る。この高い二本の木が目印。 二重櫓跡 石碑。民家の入口近くに建っているので少し気が引けるが市教育委員会が建てた碑なので見学させてもらおう。 石碑は裏側も必ず見よう。行田ライオンズクラブによる説明文が記載されている。「忍城北西の見張りとして立派な二重櫓を築く。矢場の武家屋敷より外堀越しに見る二重櫓の美観は 南の三重櫓 今の常盤通りより見る多聞櫓と三つの白壁の櫓は忍城の景観であったという」。 二重櫓から少し東へ。かつて本丸の北側にあった諏訪曲輪(現 忍東照宮)の北側には、かつて諏訪曲輪御門と呼ばれる城門が建っていたという。ちょうどこの正面あたりに御門があり、今居る場所あたりは北口の土橋か水堀にあたる。 忍城十五門の内 諏訪曲輪御門跡。左上の「忍城」というプレートを見てみよう。 これはすべての石碑に貼ってあるプレートで、右下にQRコードがあり、これをスマホで読み込むと石碑の内容の説明ページへとリンクされていた。パソコンやタブレットで見ている方はこの写真のQRコードをスマホのカメラで撮影してみよう。スマホで見ている人は・・・誰かのスマホを借りて試してみよう。というわけにもいかないかもなので、QRリンクはこちら。 石碑裏の説明書き。「本丸の北東を包む一大曲輪の北口として諏訪曲輪は 更に北東を囲む多聞曲輪への出入口として軍事上重要な御門であった」。 そして、ちょうど御門があったところの正面あたりには、忍東照宮の外周にあたり、鬱蒼とはしているが土塁と堀跡と思われる場所が残る。資料にも一部 諏訪曲輪の土塁が残る、とあった。 では更に西側へ向かって進み、大きな交差点へとやってきた。かつての外堀に築かれた出入口の一つ、持田口だ。今も大きな交差点となり交通の要だ。左奥にお城のオブジェが見える。手前の休憩場所のようなスペースの隅っこに説明板が建っている。 持田口 説明板。かつては持田口御門が建ち、二重の曲輪と二重の堀とで守られていた堅固な場所だったという。江戸期を通じて重要な御門だったが、明治維新後に破壊され、国道が通ると様子も一変してしまったようだ。 では城内中央部へ戻っていこう。忍第二公園というところの脇に、三の丸の石碑が建つ。このあたりは三の丸の西の端にあたるようだ。 忍城三の丸 城代家老屋敷跡。 忍城三の丸 城代家老屋敷跡。三の丸は成田門と太鼓門の間の島で、東には成田藪と呼ばれる竹やぶの島があったという。QRリンクはこちら。 裏側の説明板。上の写真を見ても分かるとおり、公園の柵ギリギリに石碑が建てられており、裏の説明書きが実に読みづらい。これはカメラを突っ込んで撮影。「成田門と太鼓門の間の地が忍城三の丸。西が城代家老、山田大隅三千八百四十石の屋敷があった。東は成田藪という竹やぶで、その東に人見島という木立の島があった。」 では本丸方面へ向かう道へ。このあたりは本丸の南にあたり、本丸へ向かう島群を繋ぐ城門が多く建てられていた重要なルートだったようだ。中央小学校の校門前に「勘定所跡」石碑。 そしてもう少し先の中央小学校 駐車場前には「成田御門跡」。かつての三の丸の南の入口にあたる御門だ。 忍城十五門の内 成田御門跡。これもまたブロック塀と柵ギリギリに石碑が建てられている。説明文を読むには校内に入らないといけない。さすがに憚られる。 成田御門跡石碑のQRコード。リンク先はこちら。 石碑の裏は小学校の柵があり、あいだから無理やり覗くとこの通り、読めたものではない。「成田氏の築城した忍城で 一番古い地図からみると この地と本丸が築城当時のものと思われる。それ故に 三の丸入り口の門を成田門と名付けたものではあるまいか しかし成田町の地名は明治に入ってからである。」 そして向かいの忍中学校の校門前に「太鼓櫓門」石碑がある。 忍城十五門之内 太鼓門跡。今度はコンクリート壁ギリギリに建っており、裏の説明書きはもうどうしようもなく読めない。 太鼓門跡のQRコード。リンク先はこちら。実はQRコードの飛び先に、石碑裏の説明書きが書いてあったりする。 無理やり後ろ側を覗いてみたが、これをここでこの体勢で読むのは至難の業だろう。「忍城十五門の内の 一番奥で藩主居城の二の丸の入口にあった門で 東西に数百米めぐらされた白壁の塀の中央に二重櫓の御門であった。この門より西 ほぼ忍中学の校地が二の丸で 平屋十数棟が藩主居城として白壁の中に立ち並んでいた」。 ちなみに校門入った先には「二の丸跡」の石碑があるらしいのだが、学校の中には入りづらいので断念。学校の中に建てるのであれば、関ヶ原の陣跡のように、石碑の見学はどうぞとしていただきたいところ。 >> 忍城 [3/3] へ続く。<< 訪問時期:2018年9月 撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF10-24mm – – – – – – – – ブログ人気投票参加中. いつも投票アリガトウ(^-^) 投票するのも、順位を見るのも、上↑のアイコンを押してね! ページの一番上に戻る   close

忍城 [2/3] 本丸跡に残る外周土塁の一部と藩校表門。
サイト名 城めぐりチャンネル
タグ お城 続日本100名城
投稿日時 2018-10-04 04:40:14

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