静岡・大平城 ~ 南朝勢力の拠点の一つの詳細

静岡・大平城 ~ 南朝勢力の拠点の一つ
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概要

今週末は愛馬の出走がありませんでした。来週末は出走予定があります。鞍上ルメールさんで・・・。 ピッチが落ちてしまった城系ネタですが、弾はまだたくさんありますので出してまいります。今回は静岡県浜松市浜北区にある大平(おおだいら)城です。登城は2010年3月。同じ日に犬居城…… more や三岳城も行っているのですが、すでに何らかの理由でご紹介してしまったのでこちらは飛ばしました。 戦国時代は城郭として使われたという資料はなく、南北朝時代のうちに使われなくなったお城です。あまり有名ではないかもしれません。しかしながら、遠江国南朝方の最終拠点として宗良(むねよし/むねなが)親王が拠ったお城でもあります。井伊谷に本拠を置く遠江南朝勢力の中心・井伊氏の東の境目を守る城でした。 ○大平城 私が登城した時期より後に、発掘を兼ねて史跡整備が行われています。井伊氏所縁の城ということで、大河ドラマの前に整備されたものでしょう。 県道沿いに城跡はあり、駐車場もあります。地図にも載っていました。そこにあった案内板。ざっくり言ってしまうと、この時期の山城らしく天険を利用した縄張りですね。 こちらはもっと古い時期のかな。読めない写真ばかりですいません・・・。主郭を中心に尾根伝いに曲輪が設けられているのは一目でわかりました。 いやー、全く読めない案内板。今はどうなんでしょうか?? 先に城跡の石碑があります。ここから先が本番ですね。 わかりづらいかもしれませんが、尾根伝いに段々に曲輪があるのがわかります。 これもわかりづらいのですが、けっこう大きな空堀の跡。3月でこれですからね。夏場の登城はかなり厳しいのではないでしょうか。 西曲輪の跡。主郭の西側にある曲輪、という意味でしょうね。 これもわかりづらいですね(笑)小さいながらこちらも曲輪跡。段差のイメージを残そうと上からまっすぐ撮影したらこうなりました。 けっこう斜面が急なんですよ。かつてはかなり険しい地であったことがわかります。 主郭からの景色はこんな感じ。格別高い山ではないので、見晴らしはどうなんでしょう。木々が切り払われれば別なんでしょうが。 写真の中には東曲輪跡というのもあったのですが、写真的に他のものとあまり変わらないので割愛しています。整備後に投稿されたブログを拝見させていただくと、主郭などは木々が切り払われて整備されているようですが、尾根伝いの各曲輪はそのままのようで、進入不可状態のものも多いように見受けました。 戦国時代には使われていないとはいえ、歴史上重要なお城跡です。遠北を訪れた際はぜひ登城してみてください。 ○大平城とは? 城は灰木川の北岸に築かれており、頂上(比高70mほど)の主郭を中心に東尾根と西南尾根に曲輪を連ねています。山城跡の表現によく使われますが、上から見ると翼を広げたような造りです。もちろん南側からの攻撃を意識して、包み込むような形になっているわけです。その曲輪の先端部分に尾根を断ち切る堀切が設けられていました。この南側重視の造りの裏をかかれ、北側から仁木義長の夜襲を受けて落城しているのですが・・・。 資料に出てくる量は少ないです。1339(暦応2・延元4)年に南朝勢力が三岳城の支城として守っていた事がわかっています。南朝方として働く井伊氏の東の関門であったと思われ、井伊谷城を中心に三岳城を詰めの城とし、西の千頭峯城、南の鴨江城、そしてこの東の大平城が周辺の支城砦網と共に備えられていました。宗良親王を戴く南朝勢力はなかなか手強く、遠江国守護・仁木義長(?~1376)だけでは制圧に時間がかかると見た足利尊氏はこの地に強力な援軍を送り込みます。幕府執事・高師直の弟で、師直以上の猛将とも言われる師泰(?~1351)でした。 義長と師泰は攻勢を強めて井伊氏ら南朝勢力を追い詰め、1340(暦応3)年2月には中核であった三岳城が落城。親王や井伊道政(行直とも:1309?~1404?)はこの大平城に移って最後の抵抗を試みます。しかし、敗勢を覆す事はできず同年8月に大平城は落城。この時、義長らに防備の比較的手薄な北側から夜襲を受けた事が落城の要因となった事は先述した通りです。親王は北へ逃れ、道政は降伏しました。 井伊氏は今川氏の配下に組み込まれていきますが、斯波氏が尾張・三河方面から動くたびに今川氏に反抗的な態度を取るなど終始微妙な関係にありました。今川の遠江支配が確立していけばいくほどその関係は逆に緊張感を持ち、その時代が「女城主・直虎」で取り上げられた時代だったのです。 大平城が城として使われたのはこの落城が最後であり、そのまま廃城となったと考えられます。 ○行き方 私が行った時はまだ新東名が完成していなかったのですが、今は問題ないですね。一番近いのは浜松スマートI.C.を下りる方法です。正確にはこのルートで行ってないのでわからないのですが、地図を拝見する限り上り方面の出口からなら、左折して出て道なりに行くと県道68号線に突き当り、そこを右折してすぐ左手に城跡の駐車場があります。下り方面でも左折して出て自動車道沿いの道を進み、自動車道を陸橋で渡って突き当りを左折すると上り方面からの出口前に行くので、後は同じ道ですね。そうでなければ、浜松浜北I.C.を下りて向かう事になります。この場合はちょっと回り込みながら県道68号線を目指すことになりますね。城跡はどのみちこの県道68号線沿いにあり、目印は五体力神社です。ここに駐車場と登城口があります。 電車とバスだと・・・方法はないわけではないと思いますが、あまり現実的ではないです。バス停は近くにあるようですがアテにはできないと思いますので。 車で行かれるべきでしょう!!井伊氏の遺跡を訪れた際に一緒にいかがですか? close

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投稿日時 2018-09-24 02:40:03

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