大垣城の紹介1 歴史などの詳細

大垣城の紹介1 歴史など
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今日からは大垣城の紹介です。今日は大垣城歴史概略です 中世1535年に宮川安定が大尻に築いたと言われる。当時は牛屋城と呼ばれていたそうです。築城当時は、牛屋川を外堀の代わりに利用し本丸と二ノ丸のみでした。 戦国時代1544年に織田信秀により落城し、織田信辰が5…… more 年間城主を務める。1549年に斎藤氏配下の竹越尚光が城主となる。 1559年に桑原直元が城主となり、堀や土塁に手を加え、総囲いなどが整備されます。 安土桃山時代豊臣秀吉により、1583年に池田恒興が城主となります。所領は15万石です。1584年に小牧・長久手の戦いで恒興が戦死すると、息子の輝政が継いだが、翌年の1585年に輝政は岐阜城主になり転出します。1585年には秀吉の甥・豊臣秀次(近江八幡山城)の宿老に任命された、一柳直末が大垣城に配され3万石を領します。1586年11月の天正地震で城は全壊焼失します。1590年の小田原征伐で功を挙げたことから伊藤盛景が城主となります。1596年頃に伊藤祐盛が城主の時に改築が行われ、天守が築かれました。1599年に盛景が死ぬと子の伊藤盛宗があとを継ぎます。 現地の解説板です。 太平洋戦争の空襲で焼失する前の大垣城です。旧国宝でした。 太平洋戦争の空襲で焼失する前の大垣城です。旧国宝でした。 2018年8月6日撮影の大垣城です。 戦前の焼失前に撮影された、旧国宝の艮(うしとら)隅櫓です。 戦後鉄筋コンクリートで再建された艮隅櫓です。  1600年の関ヶ原の戦いの際には、城主・伊藤盛宗が西軍に属したため、石田三成らが入城して西軍の本拠地となります。本隊が関ヶ原に移動後、城内には福原長堯らが残るが、関ヶ原の本戦で西軍が敗北すると、東軍に攻囲され落城します。そのときの逸話が『おあむ物語』として、城から落ちのびる話があります。この女性は石田三成(いしだみつなり)に仕えた、山田去暦(やまだきょれき)という者の娘で、落城寸前に父とともに城を脱出して土佐(高知県)に逃れ、そこで雨森儀右衛門と結婚したが、夫に死別してからは、尼となり子供たちに大垣城でのことを話したといいます。話寛文(かんぶん)(1661~73)ごろ80余歳で死去したといいます。書名の「おあむ」は御庵で老尼の意味です。口語史上参考になることが多いそうです。 城内の展示にあったあおむです。 江戸時代 徳川家康は譜代大名として石川康通を城主にし、その後1635年に戸田氏鉄が城主となってからは、明治に至るまで大垣藩戸田氏の居城となります。 江戸時代初期の大垣城絵図です。 惣堀の中に町屋があり美濃路街道が通っています。  美濃路街道絵図です。城の内部は描かれていません。 城の中心部拡大図です。内堀の中に一・二の丸があり、内堀を囲んで三の丸があります。 明治時代以降 1873年(明治6年)に発布された廃城令により廃城となりますが、天守など一部の建物は破却を免れ、1936年に天守等が国宝(旧国宝)に指定されます。1945年(昭和20年)7月29日の大垣空襲により天守や艮隅櫓などが焼失します。残念なことに、戦後に総堀だけが水門川や用水路として残る以外の堀は埋め立てられました。 現在の大垣城です。(グーグルより引用) 天守は1959年に、鉄筋コンクリート構造で外観復元されます。2008年に市民検討委員会が大垣市に木造再建案を提言しています。2017年4月に続日本100名城に選ばれました。 今日はここまでです。明日に続きます。読者募集中ですので、読者登録はここのリンクです。希望があれば、相互登録します。相互アメンバーも募集中です。毎日午後8時半頃に更新しています。「相手わかるように」に設定して登録してください。読者のブログ村・ブログランキングを出来るだけ押しに行きます。 Ctrlキーを押したままで、ポチしたら画面が飛ばされません。 お手数ですが、よろしく。ぽちっと押すだけ                                                                                                                                                                                                                                                               お願いします。 close

大垣城の紹介1 歴史など
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投稿日時 2018-09-13 01:00:13

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