三原城 [1/2] 小早川隆景が水軍の拠点として築いた巨大海城の詳細

三原城 [1/2] 小早川隆景が水軍の拠点として築いた巨大海城
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記事タイトル 三原城 [1/2] 小早川隆景が水軍の拠点として築いた巨大海城
概要

三原城は毛利家の重臣・小早川隆景が三原湾の島を繋いで水軍の拠点として築いたのが始まりとされ、やがて村上水軍の居る芸予諸島の北端という三原の立地が水軍統括上で重要になってくると、旧来の中世山城だった新高山城から居城を移し、更に改修を続けた。小早川氏転封の後は福島氏や浅野氏などが城主…… more となり、広島藩の支城として江戸期を通じて維持されたが、明治の廃城令により建物はすべて撤去された。本丸上には山陽新幹線 三原駅が造られ、戦後には海も大きく埋め立てられ、往時「浮城」とまで呼ばれた海城感は失われた。現在は、駅周辺に天主台と呼ばれる巨大櫓台と水堀、そして舟入櫓跡など幾つかの石垣が断片的に残っている。 <基本データ> ●名称:三原城 (Wikipedia) ●所在:広島県三原市城町 (地図) ●城主:小早川隆景 ●築城:永禄十年 (1567) ●遺構:石垣、水堀、櫓台跡 ●情報:続日本百名城 No.172 (一覧) 訪問時期:2018年4月 三原城 訪問記 − 其の一、二。 <訪問記> まずは三原城と言えば駅が上に載っている天主台(三原城では「天守」ではなく「天主」と表記されている)。駅舎の中から天主台の上へ通じる道があるので行ってみよう。ホームの中からではないので、きっぷは必要ない。こちらが天主台上へ通じる階段。 階段の手前にある巨大な備後國三原城繪圖。天主台は、中央の三方を堀で囲まれた区画の北端だ。ちなみに天主台と呼ばれるが天守と呼ばれる巨大櫓は建っておらず、複層櫓が隅部に築かれていた。 ここから外へ出て天主台の上へ。ちなみにこの扉は夜10時には閉まるようだ。 天主台の上は公園となっている。本来は更に左(南)側にも本丸が伸びていたが、今はこの通り駅舎が建っている。 天主台跡に建つ 史跡 小早川氏城跡 碑。 そして古い看板、三原城跡。 天主台の上は特に遺構は見当たらず。古絵図を見ても天主台(天主臺)は外周に土塀と隅部に二層櫓があるのみで、内部は森のように描かれている。 隅部から内堀を覗き込んで見る。なかなかの高さだ。内堀の広さは狭められることなく当時のまま残されている。 天主台より北東方面。奥のとんがった山(標高183m)は桜山で、三原城の詰城跡とも言われる。石垣や井戸跡などの遺構が残るとか。頂部は木々も伐採され、三原城天主台が眼下に一望という。いずれ行ってみたい。 天主台より西側。お濠は駅舎で遮られているが、かつては海の手前の中門と呼ばれる橋までずっと伸びていた。駅の北側だけでもこうして美しく残してくれたことに感謝。 天主台の上からは東側に少しだけ降りることが出来る。ここから東側面を間近に見ることが出来るので行ってみよう。 三原城 天主台 東側面。堀の外側(写真右端)の石垣は向こうまで繋がっているが、当時は右側に堀が伸びていた。ちょうど日が当たっているあたりの石垣は埋め立てた際に造られたものだろう。 天主台から一段低くなった本丸部分。不思議な形だが古絵図どおり。天主台は、本丸の北側に一段高くまた突出した形で築かれていたようだ。 天主台から降りて堀向いの道路へやってきた。ここもまだ当時の本丸。 駅舎の下を覗いてみると、本丸外周の石垣が駅舎を支えるように残されていた。 ではお濠の回りを周りながら、天主台をぐるっと見て回ろう。天主台の北西端。扇の勾配などの反りは見られず、一直線。 内堀越しに見る三原城 天主台。左側に伸びているのが本丸なので、天主台は北に突き出した形になっていることがよく分かる。 もう少し引いて、堀との距離感が分かる構図で。天主台の隅にはそれぞれ二層櫓が建っていたようだ。ちなみに天主台と呼ばれる部分自体は、江戸城の天守台に匹敵する大きさとのこと。 内堀を西に向かいながら、天主台を見ていこう。角度に寄って印象も変わる。 内堀沿いには色々な観点で説明されたパネルが設置されており、街のシンボルに対する三原市の力の入れようが感じられる。こちらは内堀外周に整備された三原城跡歴史公園の説明板。天主台の北側にあった後藤門の石垣が復元されているようだ。また、やはり東側は当時の形とあまり関係なくまっすぐ埋め立てられている模様。 史跡小早川氏城跡 説明板。築城当時、三原湾に浮かぶ大島・小島を繋いで築かれたと伝わるという。 古い史蹟碑。三原城址。 そしてこちらが復元された後藤門の石垣のようだ。雁木もあるが、残念ながら上には登れず。 後藤門の石垣 推定復元。実際にはもう少し高く、また食い違い虎口となっていたため車道の方に石垣が長く伸びていた。復元に使った石材は、過去の石垣修理で保管していた刻印石を再利用したとか。 かつて後藤門があったあたりから。左からやってきて、ここで折れ曲がり、門を越えて、右へ進む。 矢穴や刻印のある石材が確かに使われている。ただし石垣は失われていたため、場所のみの復元。 後藤門あたりから見た天主台。 少し角度を変えて見ると、また違った印象を与えてくれる。本丸側から結構突き出しているのが分かる構図。 天主台跡のうつりかわり 説明板。明治14年の古写真には、櫓は失われているが、まだ土塀が残っている! これを元にまずは塀を復元しては如何だろうか。 北西端の隅部から。駅の南側はほぼ埋め立てられ当時の趣はほとんど見られないが、北側はこの様相。すごい。 魚眼レンズでお濠と天主台の全景を見る。よくぞこれだけ残してくれました。 訪問記其の二では、天主台以外に残る三原城の遺構を見に、街なかを歩きます。 >> 三原城 [2/2] へ続く。<< 訪問時期:2018年4月 撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF10-24mm – – – – – – – – ブログ人気投票参加中. いつも投票アリガトウ(^-^) 投票するのも、順位を見るのも、上↑のアイコンを押してね! ページの一番上に戻る close

三原城 [1/2] 小早川隆景が水軍の拠点として築いた巨大海城
サイト名 城めぐりチャンネル
タグ お城 続日本100名城
投稿日時 2018-08-13 02:20:04

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