小倉城⑤の詳細

小倉城⑤
山城めぐり(兄弟ブログ biglob)
ページの情報
記事タイトル 小倉城⑤
概要

小倉城は武州の山城で私は一番好きな山城です。今の季節でも曲輪に草が覆っている個所はありません。また尾根続きで青山城へもハイキングできます。 郭5から郭3へ 東遺構から通路を北に 土橋を下り 郭5 本丸にある俯瞰図、郭5の北東に竪堀があります。 竪堀 竪堀を東に下る…… more と 東曲輪(仮に) 東の麓に通じています。 下から見上げれば城壁を成しています。 郭5に接続された竪堀を登ってゆき 郭3の南虎口と石垣 郭3の東城壁 郭3の北の城壁、この城壁を見ずして小倉城は語れません。 郭3 次回 郭3から本丸東虎口へ 江戸城代─遠山氏  直景ははじめ四郎左衛門を名乗っていたが、早雲に仕えてからは官途名を隼人佐、受領名は加賀守、のちに丹波守を称している。永正三年(1506)正月、相模西郡の松田郷延命寺に「遠山隼人佐直景」と署名して寺領を寄進しているのが、直景の初見文書で、その花押は早雲のものと似ている。この年には早雲によって小田原城周辺に検地が施行されており、この寺領寄進も検地の結果であろう。  ちなみに『小田原旧記』によれば、遠山氏は伊豆衆二十家の一であり、後北条氏草創以来の譜代家臣であった。そして、松田氏・大道寺氏とともに後北条氏の三家老として重きをなした。  大永二年(1522)九月に、北条氏綱は朱印状でもって相模西郡大井郷の大井宮の神社規定を定めているが、その奏者に直景が登場している。翌三年三月の伊勢家朱印状では虎朱印の下に「奏者遠山(花押)」と花押を据えている。翌四年(1524)正月、太田資高・資貞兄弟の内応を得た氏綱は、伊豆・相模二万の兵を率いて江戸城を攻撃した。  『相州兵乱記』によれば、両軍は高輪原で激突し、「七八度もみ合」っても勝敗は決しなかったが、ついに後北条方の勝利となった。敗れた扇谷朝興は河越城へ奔り、江戸城は後北条氏の手に帰した。氏綱は江戸城を修築すると、遠山四郎兵衛を城代とし、武蔵進出の最前線を担わせた。以後、遠山氏が江戸城代を世襲することになる。  ところで、遠山氏が江戸城代であったと明記した確実な史料は『快元僧都記』の天文八年(1539)の条に「遠山江戸ノ城代」とあるのが唯一の例である。そして、遠山氏の江戸入城に関して「小田原記」には、「江戸の城には遠山四郎右衛門を籠められて」とある。  この四郎右衛門は直景のことである。しかし当初は、江戸城の本丸には富永氏が置かれ、遠山氏は二の丸にあった。このことから富永氏が江戸城代であったとする説もあるが、連歌師宗牧が江戸城へ赴いたときの記事には、遠山氏を江戸城を代表する人物として重視していることから、やはり、遠山氏が江戸城代であったとみて間違いないだろう。系図によっては、直景は第二次国府台合戦で戦死したとするものもあるが、直景は合戦の三十年以上も前の天文二年(1533)に死去しており年代的には合わない。  江戸城代となった直景は、古河公方足利高基に起請文を掲げて、後北条氏が古河公方に対して味方であることを神掛けて誓っている。直景は後北条氏を代表して古河公方に起請文を出す立場にあり、後北条家一門と同列の家格を認められていたのである。同年十一月に氏綱は、越後の守護代長尾為景に書状を出し、関東管領上杉憲房および甲斐の武田信虎と和睦したことを通達したが、その書状を越後に届けたのは直景であった。その後、上杉方の長尾憲長や藤田業繁等が後北条方に和睦を求めてきたときも直景が秩父次郎とともに使者となった。 武家家伝より 武蔵遠山氏は後北条氏の三家老の一人で江戸城代として重用されていたようで、もう少し注目してもよい一族と思いました。 close

小倉城⑤
サイト名 山城めぐり(兄弟ブログ biglob)
タグ 山城ー武州
投稿日時 2018-06-05 00:40:03

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