天神山城③の詳細

天神山城③
山城めぐり(兄弟ブログ biglob)
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記事タイトル 天神山城③
概要

東支城を見ていない方は、是非にご覧になることをお勧めします。曲輪と空堀を形成する外周とが計算尽くして接続されています。 東支城本丸南城壁 本丸の周囲を空堀が囲んでいます。 東支城本丸 本丸西空堀 支城西曲輪 支城西大堀切 支城第二西曲輪、奥の城壁を登って 支城西第…… more 三曲輪 第三曲輪を見返しています。 尾根を登ります。 見返すと、二段の空堀 二の丸下の腰曲輪 二の丸城壁を見上げています。東支城へは二の丸から下れば、容易に見てゆくことができます。目印に二の丸の東側にごみ入れの籠があります。 以上で天神山城は終了です。次回 高取山城 埼玉県越生町 藤田康邦の次男 藤田信吉について 生涯 藤田(小野)康邦(右衛門佐、泰邦)の次男といわれているが、康邦は天文24年(1555年)8月13日、つまり信吉が生まれる4年前に死去しており計算が合わない。このため、康邦の孫または甥ではないかと思われる。また、藤田泰邦の一族である用土業国(新三郎、新左衛門尉)の子息とする説もある[1]。 兄の用土重連が藤田氏邦(康邦の養子)に謀殺されたことによりその跡を継いだ信吉は、はじめ用土氏・小野氏を名乗っていたが、天正8年(1580年)8月、旧知の間柄であったという武田家臣・真田昌幸の調略を受入れ北条氏から離反し、武田氏に沼田城を引き渡した。その後、上州攻略で武功を挙げ、沼須城主となり、武田勝頼から5700貫の所領を拝領する。さらに藤田氏に復して勝頼から武田氏の通字「信」字を与えられ藤田能登守信吉と名乗り、海野信親の娘を娶った[2]。 天正10年(1582年)3月の武田氏滅亡後、他の上州国人と同様に織田氏の重臣・滝川一益に仕える。同年6月の本能寺の変の後、上杉方の長尾伊賀守に通じ、5千の兵で滝川益重麾下4千の兵の守る沼田城を攻めたて水曲輪の一つを乗っ取るも、一益が小幡、安中、和田、倉賀野、由良、長尾(館林)、内藤を従え2万の兵で北上した為、信吉は沼田城攻略を諦め、6月13日夜、泣く泣く越後に落ちていったという。ウィキペディアより close

天神山城③
サイト名 山城めぐり(兄弟ブログ biglob)
タグ 山城ー武州
投稿日時 2018-05-08 03:00:02

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