松井田城(群馬県)の詳細

松井田城(群馬県)
むぎの城さんぽ
ページの情報
記事タイトル 松井田城(群馬県)
概要

【松井田城】まついだじょう 【別名】諏訪城・小屋城・霞ヶ城・堅田城 【構造】山城 【築城者】安中忠政 【築城年代】1560年(永禄元年) 【指定史跡】市指定史跡 【場所】安中市松井田町高梨子 地図 松井田宿から近く、碓氷道、東山道、中山道が通る交通の重要地点でした。 碓氷峠…… more に備えた城でもあり、尾根を城郭化して造られており枝尾根にも別城を繋げて造るという 別城一郭の複合城郭です。 二度目の登城にあたり、現地説明会に参加してきました。 今回は大手道からではなく国道18号沿いの登城口から登城しました。 松井田城入口 こちらは大手道からの登城口になります。 道の反対側はゴルフ場なのでゴルフ場が見えてきたら注意して入口を曲がって下さい。 入口にある案内図 とにかく広い城跡で、ほとんど手つかずの状態の山城なので 見応えがあります。 一時は道路の開発で遺構が壊されてしまいそうになったのですが地権者との話し合いが 進まなかったため、幸にも遺構が残されたかたちとなったそうです。 駐車場 松井田城入口から車で登れるのはここまです。 ここで車を置いて徒歩で本丸を目指します。 登山道入り口 看板に立て掛けてある棒は杖に使えるようです。 堀切 登り始めて最初の看板です。 右手に堀切りが見られます。 細道 あまり整備されていない山道を、ひたすら遺構を目指して登ります。 ところどころ倒木があったり、落ち葉で滑りやすく危険個所もあります。 藪になっているのでクモの巣やら、虫、蛇、獣の出没も想定されますのでこれからの時期はしっかり準備をして入山することをお勧めします。 ※現在は保存会、有志の方々が草刈等管理をされています。 別れ道 右へ行くと本丸方面、左手に行くと水の手を経て安中曲輪方面に行くことが出来ます。 ちなみにぐるっと一周して、またこの地に戻って来ることが出来るので どちら周りで行くかは自由です。 横堀 次に見えて来たのはこの看板。 ちなみに今回、保存会の手入れによって城址内の看板の誤字も訂正をしたそうです。 別れ道 この先右手に連続竪堀があるのですが道は倒木に阻まれており無理をすれば通れるのですが、ここは断念。 ※現在は倒木は処理され通過できるようになっています。現地説明会ではここを通って連続竪堀を 見学に行っています。 武者溜 この先に連続竪堀があります。 小振りな武者溜に見えたのですが一段上にも武者を配置出来るような仕組みもある場所です。 堀切もあって連続竪堀から守りを強化している場所と言えるでしょう。 連続竪堀 松井田城の特徴でもあ6本の竪堀が畝状に掘られています。 写真ではとても表現しずらいので現地で直接見ると凄いです。 竪堀が幾重にもなって切られている様子が見える場所です。 堀と堀の間隔が狭いので連続している様子がよく見えます。ちょっと感動。 扇子門跡(大手門跡) 石垣らしい石垣が見られるのはここ。 かつては木戸があったと思われますがこれだけの石組で想像するにはどんな形???? いろいろな形の門を妄想してしまいます^^; 本丸(本城) 大道寺曲輪とも呼ばれ、大道寺駿河守政繁の時に大改修した松井田城の本丸です。 虚空蔵堂 ここはかつて櫓台があった場所で、現在は虚空蔵堂が祀られています。 この虚空蔵堂があることでこの山が虚空蔵堂山と呼ばれる由来となりました。 本丸も草刈がされ、全様が見えてます。 青木や草は刈られていますが杉木は伐採した後の処分に手間がかかるということで 今回は草刈のみで木の伐採はお預けとなったそうです。 櫓台(矢倉台) 本丸広場の先に櫓台があり、ここからの眺めは良かったものと思われる。 本丸から少し戻って二の丸を見に行きました。 馬出 このような山の中に馬出しとは…いかに。 馬がここまで登って来れたのだろうかと疑問に思ってしまうのですが無くも無い話なので 当時の足の短い日本の馬ならここまで登って来れたのだろうということで。 土居(土塁) 土を盛り上げて造ってあります。 この先は谷になっていてここを登って来るのは厳しいのではないでしょうか。 高梨子側を見渡せる場所でもあり、こちら側に向って土塁が盛られ押さえとなっています。 二の丸 本丸の守りを固める役割をしていました。 本丸と二の丸の間には大堀切があって、馬出を経て二の丸に入るかたちに なっていることからも本丸と二の丸は一城別郭の見方も出来そうです。 ここも木々がなければ眺めは抜群だったことでしょう。 しかし、下はバイパスが!!転がり落ちたらヤバいところです。 この先天神山トンネルの上の連続竪堀への道があるにはあるが、急斜面を下ることになるので 危険なので今回はこの連続竪堀を見に行くことは断念しました。 それでもマニアのために?ロープを張って下さったそうです。 運動能力に自信のある方、ど~しても連続竪堀を観たい方、気をつけていってらっしゃいませ! 枡形 土居をめぐらせて造った小さい曲輪です。私には藪で解りずらいです。 竪堀 空堀をよじ登って来る敵を上から石などを落して防いだそうです。 S形空堀 侵入した敵兵を前後左右から攻撃できる仕組み。 このような造りは高崎市の山名城にも見られ、誰が付けたのかS形と表現していますが 本来の呼び名ではない呼び名の看板が付いています。 ※このあたりも草刈をしていただき、見やすくなっていました。 水の手(水曲輪・井戸曲輪) ダム状に石や土を盛って水を貯めて水を得た場所。 大石を組んで堰き止めた跡が残っています。(小池があった説もあり) 渇水期でも水が絶えることが無いそうです。 このまま道を下って行くと最初の別れ道に合流。岐路へ。 安中曲輪 安中忠政が築城し、武田氏と戦ったのが安中曲輪。 安中曲輪の一帯が市指定の史跡となって松井田城跡の碑が建っています。 松井田古城碑 この古城碑、良く見ると大道寺駿河守政繁居城記念碑と記してあります。 大道寺曲輪の本丸に建ててくれれば良かったのに、なぜ安中氏の安中曲輪に建ててしまったのだろう…。 この碑には松井田古城とも記されているのであまりしっくり来ないけどここで勘弁。 さて、帰り道です。 腰曲輪 安中曲輪の腰曲輪です。 登城口 国道18号沿いの登城口です。 以前は倒木があって通れなかった道を、現地説明会に合わせて保存会の方々が整備して 今回は大手道ではなくこちらから登り降りしました。 補陀寺館 北条方の大道寺駿河守政繁を入れ、この地に居館を置き、碓氷峠の徳川勢に備えました。 この時松井田城は大きく改修され、それまで城の中心としていた安中曲輪から 西側の本城部分を増築し、補陀寺からの登城道も備えられました。 補陀寺については別の機会にまとめたいと思います。 とにかく広い山城で、どこから説明しようかホント迷いました。 安中曲輪、大道寺曲輪と城址二つ分が合体してるような要塞でこれだけの規模を ざっくり紹介と言っても難しいです。 また、昨年より保存会の方々が整備を再始動されて今回現地説明会に参加させていただきました。 昨年11月には保存会が主催の斎藤慎一氏を招いての講演会にも参加し、地元内外からも 多くの人から注目を浴びている城跡であることを認識しました。 今後の整備にも夢が膨らみ、期待される城址です。 平成28年3月27日登城 平成30年3月18日再登城 歴史家の城歩き中井 均,齋藤 慎一高志書院 close

松井田城(群馬県)
サイト名 むぎの城さんぽ
タグ 百名城以外の城
投稿日時 2018-03-30 17:20:02

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