太田金山城⑫の詳細

太田金山城⑫
山城めぐり(兄弟ブログ biglob)
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記事タイトル 太田金山城⑫
概要

東南尾根から馬屋南尾根へ 東矢倉 東矢倉の南虎口 東西に長い曲輪、これは次の写真の曲輪となり(通路でもあるようです。) 馬屋の南から下って来る長い曲輪 長い曲輪は東側で虎口を開きます。この虎口は北条流を想起させます。 虎口を下り、集落へと通じています。 虎口を下か…… more ら見上げています。 馬屋南尾根へ 馬屋から南に下ります。 馬屋の南東に長い曲輪が始まり、東矢倉の南虎口まで下っています。やはり通路と考えたほうが良いと思われます。 壕道を下り 第一腰曲輪 第一腰曲輪を東から見ています。 尾根を下り 第二腰曲輪 さらに尾根を下り 笹薮ですが、馬屋南尾根がつづき、その先が 武者溜まりを思わせる平地、この右上の尾根に 物見曲輪と思われる曲輪があります。奥に見える山が大八王子山です。ここの空堀の遺構は素晴らしいものです。後日紹介します。 次回 南木戸尾根へ(訂正、南側の尾根は四つでした。本丸東南尾根、馬屋南尾根、南輝度尾根、鍛冶曲輪南尾根) 由良氏② 成繁は上杉謙信と結び、後北条氏に対抗した。反北条連合に加わったが、沼尻の合戦で反北条連合が負けると北条氏に屈服し、金山城を明け渡し、第9代当主・由良国繁は小田原城に事実上人質となった。天正18年(1590年)、小田原征伐で北条氏が敗れると、由良国繁は解放された。 由良国繁は北条氏に代わり関東に入府した徳川家康に謁見し、常陸国牛久に5400石を与えられた。後に高家に列し、明治維新を迎えている。冷泉派の歌人、横瀬貞臣が出る。 明治維新後に、新田氏と復姓し、新田氏の嫡流としての立場を認めてもらおうと明治政府に訴え出た。だが、当主の相次ぐ急死と横瀬-由良氏を新田氏の末裔とすることを疑問視する歴史学者の見解が出されたこともあって、新田岩松家(旧岩松氏)が新田氏の嫡流とされて華族に認定された。その後も、新田由良家(旧由良氏)の新田貞康は岩松氏は新田氏の正統な末裔ではないと訴えたが認められなかった[4]。 なお、河内源氏重代の家臣である紀氏の一族であるという船田氏とともに、新田氏本宗家累代の家臣である横瀬氏は武蔵七党丹党の出身であるとの研究がある。ウィキペディアより close

太田金山城⑫
サイト名 山城めぐり(兄弟ブログ biglob)
タグ 山城ー上州
投稿日時 2018-03-29 00:20:05

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