平井金山城③の詳細

平井金山城③
山城めぐり(兄弟ブログ biglob)
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記事タイトル 平井金山城③
概要

櫃岩尾根を歩きます。 櫓門跡・表門跡まで350m 本丸北側下に進み、まっすぐ歩けば本丸へ、右手に下れば井戸曲輪・櫓門へ 右手に歩き 堀切、櫃岩尾根曲輪群へ 振り返って北虎口を見ています。正面は本丸北城壁 堀切 北から見るとなかなかの堅固な堀切です。 曲輪7 縄…… more 張り図は「余湖くんのお城のページ」より、北尾根の曲輪7まで 曲輪7の北虎口 曲輪①(縄張り図に番号がないため) 曲輪② 曲輪③ 曲輪8(縄張り図に準じています) 曲輪④ この曲輪から井戸曲輪と櫓門への分かれ道になります。 次回 井戸曲輪へ 管領上杉氏の支城 雉岡城 山内上杉家によって児玉郡八幡山の独立丘陵に築かれた城ではあるが、鎌倉時代には武士が居住していたと考えられており、城としての形態に整備されたのが室町時代末期(戦国時代初期)とされる(15世紀後半に築かれたと言う事になる)。 『武蔵国児玉郡誌』『新編武蔵風土記稿』などによれば、山内上杉氏の居城として築かれるも、地形が狭かったゆえに、上杉家は上州平井城へ移ったものと考えられ、代わりに有田豊後守定基(城主となってからは夏目を称す)を雉岡城主として配備した。定基は赤松則村(円心)の裔孫であり、元は平井城に在城していた武将とされる。 築かれた目的は、鎌倉街道の交通要衝を押さえ、関東管領上杉家の最前線地となっていた五十子陣(児玉郡北部)への兵站を確保する事であり、そうした経済的側面があったものと考えられている。つまり、当初は五十子陣の支城としての役割があった。五十子陣の解体後、上野国平井城の支城として活動し、後北条氏の時代では鉢形城の支城として活動したとされる。 150年近い歴史をもち、最終的には松平家1万石の城となり、八幡山藩が立藩するものの、江戸時代をむかえる前に廃城となった。ウィキペディアより close

平井金山城③
サイト名 山城めぐり(兄弟ブログ biglob)
タグ 山城ー上州
投稿日時 2018-02-28 16:00:01

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